第二十話
江戸と日夏は、朝焼けの中、海岸線をゆっくりと歩いていた。
「ママはね、私が六歳のときに交通事故で死んだの」
日夏は前を向いたまま言った。
「すっごく悲しかった。いっぱい泣いた」
「……ああ」
相槌を打つことしかできなかった。
「そこからは、パパが一人で私を育ててくれたの。仕事も大変だったのに、いっぱい時間作ってくれて、たくさん遊んでくれた」
「良いお父さんだ」
「ふふ、でしょー」
少し嬉しそうに笑う。
「でもね、パパは寂しかったみたい」
「……」
「ママがいなくなってから、だんだん元気なくなって。それで、ママが住んでたこの島に来たの」
「そうだったのか」
海風が、日夏の長い髪を揺らす。
日夏は海の向こうを見る。
朝日が、水面を照らしている。
「とっても素敵な場所だよね、ここ」
「そうかもな」
俺も海を見る。
「パパもね、この景色を見れば、きっと大丈夫になるって思ってた」
日夏の歩く速度が、少しだけ落ちた。
「私、寮生活だったんだけど、できるだけ家に帰るようにしてたんだ。でも……だんだん、私と顔合わせてくれなくなっちゃって」
「……」
「なんでだろうね」
日夏は笑っていた。
でも、その声は少しだけ震えていた。
「私のこと、嫌いになっちゃったのかな」
「日夏……」
「やっぱり、ママがいないとダメだったのかな」
日夏は大きく息を吸い、吐き出すように言う。
「私一人じゃ、ダメだったのかな」
何も言えなかった。
「それでね。ある日、家に帰ったら手紙が置いてあったの」
「手紙?」
「うん」
日夏は少しだけ声色を変えた。
「『僕はもうダメなんだ』って」
「……」
「娘に何言ってんだって感じだよね」
あはは、と笑う。
目元が、少しだけ濡れていた。
それでも、日夏はいつもと同じように喋る。
「それから、パパは帰ってきてない」
「そうか」
「でもさ、いつか帰ってくるかもしれないじゃん」
「……」
「そんときは、こう」
前に向かって軽く拳を突き出す。
「グーパンよ」
「……そうだな」
「しかもね、パパったらほんっとバカでさ」
「ん?」
日夏の声が震える。
「手紙になんて書いてあったと思う?」
「さあ」
「『高校二年生、頑張って』だって」
日夏は呆れたように笑った。
「私、三年生なのにね」
そう言って、右手でそっと左腕の袖を掴んだ。
制服の袖。
「だから、今コスプレ中なんだ」
「……え?」
「偶然会ったとき、パパが見間違えたら困るでしょ?」
振り返る。
日夏は、笑っていた。
朝日に照らされたブロンドの髪が、風に揺れている。
昨日、俺はこいつに何を言った。
『家族が誰もいない苦しみなんて分からない』
また謝りたくなった。
でも、やめよう。
きっと日夏は、俺に謝ってほしくてこの話をしたんじゃない。
だから――
「……可愛いよ」
「……」
日夏の頬が、ほんの少し赤くなった。
「ありがと」
また前を向く。
「……」
「ちょっと、しんみりしないでよ!」
日夏が振り返った。
「そりゃあ、いなくなったときは悲しかったし、めちゃくちゃ頭にもきたよ。でも、もういいの!」
自分の制服を指差す。
「これも半分は趣味だし!」
俺は微笑む。
「……なあ」
「ん?」
「どうして、そんなふうにいられるんだ?」
日夏が首を傾げる。
「そんなことがあって……簡単に割り切れることじゃないだろ」
普通なら、聞いちゃいけないことなのかもしれない。
でも。
日夏なら、答えてくれる気がした。
「どうやって、乗り越えたんだ?」
「ふっふっふ」
日夏が胸を張った。
「悲劇を経験した私は、超絶モテるからいいんだよ!」
「……は?」
「乗り越えた私は誰よりかっこいい!」
日夏は胸を張る。
「そして、頑張った私は世界一可愛い!」
指をほっぺにあてる。
「そーれーにー」
日夏は俺の方へ振り返った。
「いつかパパに会ったとき、『俺がいなくてごめんな』とか言われたくないもん!」
「……」
「パパがいなくたって、楽しく生きてやるの」
朝日が昇っていく。
「パパなんかいなくても、楽しく生きれるよーって!」
視界が滲んだ。
なのに、笑えてきた。
「はは……」
「なに笑ってんの?」
「お前……やっぱりすげーよ!」
涙を拭いながら笑う。
「マジでかっこいい!」
「あーーー!」
「え?」
「また『お前』って言ったな、このー!」
日夏が拳を振り上げる。
ぽかぽかと肩を殴られる。
笑い声が、朝の海に響いていく。




