35. ふたりなら負けない
【カルア……】
――カレ……ン?
【リンちゃんを……助けに】
まぶたがぶるぶる震えるのが自分でもわかった。シャッターを無理矢理こじ開けるように、カルアはまどろみを払い、瞳に力を取り戻した。
「おい!」
「ひゃい!?」
梶原は背すじをぴんとした。
「戻れ! 早く!」
「はいいいいいいい」
大型バイクが土煙をあげて転回する。
工場にとって返すや、カルアはタンデムシートを飛び降りて出入り口を目指した。
するとなかから女の子がふたり、必死に逃げてきた。
同時に、身の毛もよだつ鳴き声が響き渡った。
「……!!!」
カルアはその光景に凍りついた。
ほとばしる鮮血。
壊れた人形のように宙を舞う身体。
「リクーッ!!」
激情が、カルアを突き動かした。
突っ込んでいくカルアに、魔獣が気づいた。長大な尾をしならせ、横薙ぎに叩きつけてくる。
カルアはシェイプシフトで巨大化させた拳を構えた。
「らァっ!」
激突。
右肩がとれるかと思うほどの勢いで弾き返され、カルアの身体は浮いた。
受け身も取れず、細かな破片の散らばる床に倒れ込んだ。
「う……ッ」
視界に火花が散っている。歯を食いしばって起き上がろうとするも、身体の反応がにぶい。
魔獣の叫びが針のように耳をつつく。近づいてくる。――やられる。
(カルア!)
はっとした。
顔を上げると同時、頭上に迫る巨大な尾を視認する。タンクローリーが落ちてきたかと思った。しかしカルアは瞬発的に横っ飛びし、逃れた。
体勢を整え、上がる息を静めようとする。
砂利のついた耳に、またカレンの声が響いた。
(だめです……。身体を大きくしても、あの〝獣〟には敵いません)
「じゃあ――」
言い返そうとしたが、カルアはあわてて駆け出した。魔獣の尾が隅っこのゴミをこそぎとるかのように追いかけてくる。
「どう――しろってんだよぉ!?」
(魔力の変換を……。あなたなら、できます。リンちゃんの言葉を思い出して)
夕焼けの砂浜。昨日の陸の赤らんだほっぺたと、物知りぶった話し声がよみがえる。
もっと良いやり方があるんだよ、と言いながら陸は砂に何か描いていた。
「魔素から筋肉をつくるんじゃなくて、魔力を運動エネルギーに変えれば……あっ!」
陸が指で描いた図を、カルアは手ではらった。
「んなのいいから、アレ教えろよ。こう……タトゥーが出て光るやつ」
「君、光るの好きだね」
陸は呆れつつ、「〝文身〟術は体質にもよるし……文字の印はむずかしいから」とシンプルな図形を砂に描いた。「これ」
日輪の印。
その力の刻円がいま、敵に向かって疾走するカルアの右手に輝く。
魔獣の咆哮。
翼を広げ、舌なめずりのくちばしを突き出し、正面から向かってくる。
叩っ返す!
「――ッ!!」
それは拳の砲弾だった。
拳骨が触れたところからことごとく破砕する。
魔獣のくちばしはひしゃげ、ついにはへし折れ、余波を受けたその巨体が天を仰いでのけぞった。
「KHYEEEEEEEEEEEEEE――」
自らの体液で、魔獣の顎が真っ赤に染まる。それは血の色だけではなかった。傷口付近から魔素が浮かび上がり、緋色に染まって消えていく。
燃える紙が灰に帰すがごとく。その現象がまたたまらなくあの獣を苛むようだ。蛇の身体が半狂乱のようにのたうった。
よっしゃ!
カルアは震えた。武者震いだ。
いける。闘える。
そこで何かが起こった。怪鳥の頭部に残っていた魔導円陣が、するするとしぼみ、光の線がかたちを変え、やがて実体化した肉の輪郭を形成した。
てらてらした剥き出しの脳と神経網、そしてふたつの眼玉。
魔獣の眼がぎらつく。その怪光爛々とした虹彩に、魔印が浮かび上がった。
瞬間、カルアの胴体部に、魔獣の眼と同じ印が現れた。
「なっ……?!」
何が起きたかわからなかった。気づいたときには、カルアの身体は抱えられ、数メートル動いたところでしりもちをついていた。
見ると、さっきまで立っていた場所では、魔獣の刻印が石に変わっている。それはふっと支えを失ったように床に落下して砕け散った。
はっと息をのむ。カルアのスカジャンの袖先も石になっている。だんだん肘のほうまで石化が進行してきたので、急いで脱いだ。
そのとき、横に誰か倒れていることに気づいた。
「リク!」
陸は明らかに消耗していた。身を起こすのも難儀する様子だ。服は裂けて赤黒く染まり、白い皮膚にも乾いた血の斑点が散っている。
しかし傷口自体はそうひどくない。エレメンティアの能力でふさいだようだ。
「……逃げよう」
陸は余裕のない眼で見返し、カルアの服をぎゅっとつかんだ。
「KHYEAAAAAAAAAAAAA――」
怪鳥が鉤爪を広げ、突進してくる。
カルアは迎え撃とうとしたが、陸に腰をつかまれて高々と上空に連れていかれた。魔獣はそのまま自らの尾に突っ込んだ。
ふたりは高天井の鉄骨にぶら下がり、眼下の様子をうかがう。
(カルア……)
カレンがささやいた。
(リンちゃんを、安全なところに)
カルアの返事はこうだ。――冗談だろ……ッ!
陸がカルアたちのやりとりに気づいて振り向いた。
「何か、言っ」
「おお~」
カルアは手でしっかりと陸の股間のモノを確かめた。
「元気そうじゃん」
「な、なっ……?!」
陸は赤くなって動転し、いまにも眼を回しそうになっている。
「手伝え」とカルアは言った。「――あの鳥頭をぶっとばす!」
そのとき、ふたりの身体のそれぞれに魔獣の印が浮かび上がった。
それを合図とするかのように、陸とカルアは飛び降り、二手に分かれる。
陸は壁や魔獣の身体を足場にして、身も軽く飛び跳ねながら、下に降り立った。身をかがめ、消えかけの魔導円陣に両手を置く。
「土巧神!」
三本の巨大な灰色の腕がコンクリートの床から生え、魔獣にまとわりつく。
カルアはというと、うごめく魔獣の尾にしがみついていた。うお、おと声をもらしつつ、タイミングを見計らって巨大な腕のほうに飛び移る。そうしやすいように陸が操作したのかもしれない。
灰色の腕はゆるやかに上昇カーブを描き、魔獣の頭へと向かう道になった。
――行くっきゃない。
立ち上がり、走る。
(やみくもに突っ込んでは……!)
「ダイジョーブ……!! そうだろ?」
カレンは黙った。脳裏にカリフォルニアでの〝あの日〟の光景が浮かぶ。片割れもそれを見たようだ。
(……そのとおり、です)
カルアの足元が激しく揺れる。魔獣の尾が灰色の腕にからみつき、背後から迫ってきている。
近くの別の腕に飛び移った。落ちそうになるのをこらえ、また立つ。駆ける。
星よ、聴いてとカレンがささやいた。
【――《統べる……力よ、我がもとに》……】
カルアの右手の印が輝く。日輪が猛々しく、赤々と。
歌が聞こえる。この世の音ではないけれど、カレンのたおやかな声が旋律を奏でるのがわかる。
魔獣が威嚇的に叫んだ。それ以上近づくな、というように。
(【わたし】の力は……)
緋色の魔素が右手から噴き出す。夕焼け照るようなしぶきの尾を引いて。
(……いいえ、〝わたしたち〟の力は……!)
カルアは跳んだ。
スリーポイントラインからのダンクシュートの要領で。
「おォ!」
魔獣の視線を浴びながら、その剥き出しの眼球をつかむように、カルアは腕を突き出した。
瞬間、右手の先からあふれたのは、宇宙のはじまりのような、閃光――




