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34. 魔獣召喚



 その館の玄関ホールはなかなか立派なものだったが、客をもてなすようなあたたかみはどこにもなかった。


 大きなシャンデリアに火は入っていない。ほこりっぽい暗闇が、絵画の裏や調度品の隅々まで伸びている。


 周囲を探るように佇んでいたバロンは、やがて動き出すと絨毯を踏みしめ、館の奥へと進んだ。


 雨が、窓と外の庭をしとどに濡らしている。


 ときおり差す稲光が、女魔術師の蒼白い横顔を照らし出す。嵐というほどのものではないが、やみそうにない。

 まるで、天気が雨しかない星に迷い込んだような。


 バロンは階段をのぼり、廊下を渡り、部屋から部屋へ抜けていった。行き先がわかっているかのように、あるいはいざなわれるかのごとく。


 最奥の広々とした居室のなかほどまで進んだとき、咳が聞こえた。


 寝室へと続くドアが開いている。

 バロンはそこへゆっくりとパンプスを踏み入れた。


「さびしい老後ね。こんなところでひとり……何を待っているの」


「……死を」

 しゃがれ声が重く響く。


 大きな窓から雷光が差した。


 とがった顔つきの男が、ナイフの切先のような眼をバロンに浴びせていた。


「そもそも、あなたは生きているのかしら? シリウス卿」


「貴様は、どうだ」


「さぁね」

 バロンは肩をすくめた。


 男の顔はしわのひとつも動かない。


 すっかり薄くなった髪をうしろになでつけた老紳士。ベッドの上に身を起こしている。


 背骨は曲がっていないが、節々に多少ガタがきているようだ。ぶかぶかのシャツとガウンに包まれた、骨と皮の右腕を何年ぶりかというように持ち上げ、長い指先をバロンに突きつけた。


「生命の実感もないまま、ただ生かされ続ける……それは恥だ。そう思わぬか」


 ふ、とバロンは一笑に伏した。

「それがあなたの動機? 何もわからないままおしめをして、ボケ老人扱いされていたのが、そんなにショックだった?」


「死にざまは選ぶべきだ」

 そこでシリウス卿は咳を押さえつけるように、ウッとうめいた。

「……選べるうちにな」


 バロンへの忠告のように聞こえた。


「あなたは選んだということかしら」


「無論だ……!」


 老人の身体が大きくなったように見えた。

 白いベッドがたちまち黒い魔力に覆われる。


 寝室の空間が掻き混ぜられたようにぐにゃりと曲がり、その歪みがバロンに襲いかった。



 ********************



 煌々とした照光とスティールの鈍色できらめく臨海部の工業地帯。


 企業の建物ばかりで民家のないその一帯に、解体工事中の廃工場がある。


 柵で囲われた工場敷地内にいま、場違いなスポーツカーや軽自動車が停められていた。アルレッキオらの逃走車両だ。


「急いで配置に着け!」


 建屋のなかの大きな高窓から差す月光のもと、作業機械が撤去されてがらんとした構内に、輝く共鳴杖コンロッドを持った若者たちが輪になって並んだ。


 アルレッキオは赤髪の娘を輪の中心に押しやった。あごをつかんで顔を上げさせる。

 月の魔力に浸された、夢うつつな表情だ。


 道化も何か魅入られたように強張った顔で笑った。「まだ、ツキは俺にある……!」



 ◆



「あれです!」

 梶原の張り上げた声は、大型バイクの走行音にも負けず、フルフェイスのヘルメット越しに陸の耳に届いた。


 タンデムシートから陸は首を伸ばす。向かう先のひらけた区画に、柵で仕切られた工事現場が見える。


 梶原はその内部の様子をある程度つかんでいるようだ。彼女の〝魔眼〟はいわゆる千里眼だという。


 雇主のバロンが買ったのは、その運転技術もだろう。おそろしいスピードを出しているが、まったく危なげない。


 工業地帯の殺風景な道を、フロントカウルで切り裂いていく。半分崩された工場の建屋と、眠る首長竜のような重機のシルエットがぐんぐん近づく。


「そのまま突っ込んで!」と陸は言った。


「えぇっ?!」

 梶原は一瞬のけぞりかけたが、マシンの手綱コントロールは失わなかった。

 ドリフトしながら車体の向きを調整し、工事現場の出入り口から突入する。


 目的の建物は崩れた面ががら空きだが、障害物があった。大量の瓦礫が土手のように積もっている。


 さらに、そこで待ち構えていた《新暦》の若者たちが、エレメンティアの力を発揮して、鉄骨やらコンクリート片やらを投げつけてきた。


 車体を左右に振って飛来物をかわしながら、「やっぱ無理ぃ!」と梶原が叫んだ。


「行けます!」

 陸は地面に干渉して隆起させた。

 ジャンプ台だ。


 フルスロットルの助走をつけ、カワサキ・マシンが空を飛ぶ。

 NINJAの名に違わぬ跳躍で瓦礫の上を飛び越えていく。


 眼下の工場内部に、蒼い光のサークルが見えた。陸はその中心めがけて飛び降りる。


 どよめきが起こり、光る杖を持った若者たちの陣形が乱れた。


 降下しながら陸は、汗でメイクの褪せた男の顔を見た。道化の魔術師。

 その手には、ちいさな銃が握られている。


 マウンテンパーカを自分の身から剥ぎ取り、広げ、眼眩ましデコイにした。ひとつの賭けだったが、陸はそれに勝った。


 銃弾が、宙を漂う上着に穴をあけているすきに、五体無事で着地する。

 瞬時に距離を詰め、アルレッキオの手から拳銃を蹴り飛ばす。


 流れる動きで身体にうねりを加え、


 まわし蹴り。


 魔力を打撃力に変換した渾身の一撃を叩き込む。


 道化の細長い身体は吹き飛び、コンクリートの床に跳ねてクの字に折れ、四肢を放り出しながら転がっていく。


 梶原のバイクが荒っぽく着陸し、急ブレーキをかける金切り音が、鉄骨の高天井まで響き渡った。


 そのあいだ、若者たちは眼を見開いたまま固まり、自分たちの導師となるはずだった男が消えていった薄闇の向こうを呆けたように見つめていた。


「――太刀花ぁ……!」


 近くにいた少女が陸に飛びかかった。それが前の学校のクラスメイト、ミカだと気づき、陸は避けるのをやめた。


 ミカの鋭く変化シェイプシフトした指先が、陸の頬を裂いた。


 傷は浅かったが、垂れた血の赤みに、切りつけた相手のほうが青ざめた。物言わず見返す陸の視線に、ミカはにじり下がっていき、顔をくしゃくしゃにした。


「お嬢さん!」

 梶原の声が聞こえ、陸ははっと振り向いた。


 倒れていた〝彼女〟の肩を梶原が抱き、上体を起こしたところだった。陸も駆け寄ってドレッドヘアのあいだに手を入れ、首をさすった。


 彼女は半ば眼を開けているが、反応がない。


 陸と梶原が不安な顔を見交わしたそのとき、悲鳴が耳をつんざいた。


「んだよ、これ?!」

「助けてぇ!」


 恐怖の叫びがこだまし、周囲は混乱に陥っている。


 体育館ほどもある工場のなかを、複数の魔導円陣が飛び交っている。それらが逃げ惑う若者たちを捕らえ、六芒星の円のなかへと引きずり込んだ。


 陸のもとにも飛んできたが、〝破邪オーム〟の印を刻んだ右手で打ち壊した。


「くく……」


 薄闇からアルレッキオが現れた。肩関節がはずれ、足をひきずり、満身創痍といった様子だが、血と砂利でぼろ崩れた顔には、勝ち誇りの笑みがある。


「本物の魔演ショウを……見せてやるぞガキどもォ!!」


 道化の魔術師は腕を振り上げた。その手首の時計型デバイスから、光る文字列が飛び出してくる。それはうずを描いて二重螺旋をかたちづくった。


(召喚術……!? ひとりでやる気っ?)


 陸は瞠目を禁じえない。この世ならざるモノの召喚。通常は複数の術師による儀式により、それでも危険を伴う。並の術師の手に負える(わざ)ではないのだ。


 アルレッキオは、電子データに翻訳した魔導書グリモワを起動したようだった。それも生贄を要するような禁書指定の代物を。


 八名もの《新暦》のエレメンティアを食った魔導円陣群が、鼓動のようなリズムで明滅をはじめた。


 かと思うと、円陣のそれぞれから、ずるりと瘴気にまみれたものが這い出てきた。


 鉤爪のついた鳥の肢、蛇そのものの長い尾。


 各パーツは胴体から切り離されたかのようにばらばら。いずれも巨大極まり、みっちりと剛健な筋肉を内包し、硬質のごつごつした鱗に覆われている。


 五体不満足の怪物が、誕生の喜びに打ち震えるかのごとく暴れ出した。工場の床を打ち、重音と振動を響かせる。そして怯え竦む者たちに襲いかかった。


「ハハハハハハハアハハハ――」


 哄笑をあげていたアルレッキオだが、不意に頭上に現れた黒い影に表情を凍らせた。


「アッヒ」


 一基の円陣から突き出た鋭いくちばしが、一瞬にしてこの道化をさらっていった。


 陸たちは離れたところに逃れていた。梶原がバイクのうしろに〝彼女〟を乗せて外に出ると、陸はそこで立ち止まった。


「あとは頼みますっ」


 梶原がびっくりしたように振り向いた。「あなたは!?」


 陸は背を向けた。

 近くに落ちていたガラスの破片を拾い、切先を掌に突き立てる。


 暴れまわっていた魔獣の身体のパーツがひとところに集まりはじめ、その全貌を現そうとしている。


 切れ切れの羽根がついた翼。でっぷりとした胴体。工場じゅうにとぐろを巻くような蛇の尾とが、魔導円陣の融合によって結ばれる。


 そして、その巨体の頂上に抱かれた血染めのくちばしが、天を罵るかのごとくカッとひらかれた。


 夜気を引き裂き、轟く、絶鳴叫スクリーム


「――オン……」


 ひざをついた陸は、合わせた手を胸から正面に向かって伸ばし、ゆっくりとひらいた。


「……ハリチベイ・ソワカ――」


 五芒星の傷をつけた掌から、とろりと赤い液体が流れ落ち、床に血で描いた魔導円陣の上に溜まっていく。陸が両手を押しつけると、その図像サインが光り輝いた。


 ――土功神・大犯土オヅチ……!!


 工場の床下基礎をなすコンクリートが変形し、六本の巨人の腕となって突出する。


 灰黒いその「ハンド」が魔獣の巨体を突っ張り、向こうの壁に叩きつけた。


 怪鳥の悲鳴。その頭部にあるのはくちばしだけで、眼と頭が魔導円陣のなかに入ったまま受肉できていない。


 陸は大犯土の別の腕で、出口をふさいでいた巨大な尾を持ち上げ、道をつくった。


 逃げ遅れた者たちが一目散にそちらへ向かっていく。


 同時に陸は、敵の上体をわしづかみにしようとした。が、魔獣は蛇の動きですり抜けた。


 まずい。


 右手を円陣から離して〝破邪〟の印を用意する。途端、大犯土の腕の半分が力を失った。

 両手を離せば土巧神の術が完全に解けてしまうが、近接された場合に備えなければ――


「待ってぇっ……!」


 耳をつく声。陸は愕然として横を向いた。


 少女がひとり、転んで動けないでいる。それを見て、もうひとりが戻ってくる。

 ミカだ。


 魔獣の尾が暴れる。抑えていなければ、出口がまたふさがる。彼女たちが圧し潰されるかもしれない。


 しかし魔獣の頭は陸のほうに向かってきている。


「……っっ!」


 陸は両手を地につき、力を込めた。再び六本になった大犯土の腕で、大蛇の尾を抑えつけ、同時に怪鳥の頭部を迎え撃とうとする。


 しかし怪鳥はうねりながら身をかわし、すさまじい推進力で向かってくる。


 陸が鼓膜を裂かれるような鳴き声を間近で浴びたそのとき、ミカと少女の姿が夜外に消えた。


 凍てついた鋭い鉤爪が、陸の胴腹に食い込んだ。



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