25. アニメ顔の少女
ファッションビルの二階から、隣接したアーケードのデッキ通路に出た。
鉄筋屋根のすぐ下を走るこの細い通路は、人通りもなく、ものさびしく見える。眼下の商店通りは人声に満ちて賑やかなのに。
本当はここ、立入禁止なんじゃないかとカルアは思ったほどだ。
「君、ななわで会ったよね。おぼえてる?」
「……はい」
さっきから話しかけていた陸に、少年がようやく返事をした。
カルアが柵から下を見るのをやめて振り向くと、ずっとうつむいていた少年がこわごわ顔を上げるところだった。話す気になったようだが、あいかわらず怯えた表情。
「助けてって、どういうことかな?」
「おれ、昨日のケンカ見てて……この人たちなら、って思って」
「それで今日、偶然、ぼくたちを見かけたんだ?」
「あやしすぎ」
カルアが口を挟むと、陸はしっと指を立てた。
少年はあわてたのか、必死な顔になった。
「ふたりは、あれですよね、魔術師!」
「ぼくはまだ――」
「んなわけ――」
声が被ってしまい、ふたりは顔を見合わせる。
「違うんですか……?」
少年はすがるような眼をした。
どうも様子がおかしいとカルアは思った。
少年の挙動もそうだが、持ち物も変だ。漆黒の水中マスクと、ペットボトルの水。両方ストラップに通して肩からさげている。
「何だよ、それ」
「え……?」
それ、とカルアは指さす。
途端、少年の顔がひっと引きつった。うわあっと叫んだかと思うと、ストラップごと、その物を放り捨てた。
「なんで……。おれ……あんなの持ってなかった」
水中マスクは通路の向こうまで転がっていった。
ペットボトルは衝撃で口がひらき、水がこぼれ出てきた。
「だいじょうぶ」
陸はやさしげに少年の背を抱いた。
ゆるふわコーデもあいまって、その包容力たるや常人では太刀打ちできないと思わせるものがある。
手を添えて少年を振り向かせ、ぼくの眼を見てとささやいた。
カルアはぽかんとしたが、そこで起きている異変を見逃すほど呆けてはいなかった。
水中マスクがカタカタ震え、そのストラップの輪のなかに、異様にも大量の水が噴き出している。
見る間にその水は人間のかたちをとりはじめた。
ツインテールの少女だ。
少女の下半身がまだかたちを成さないうちに、上半身が蛇のように伸びあがり、陸と少年へ向かって一直線。
「――おらァ!」
手前にいたカルアは、腕を巨大化させて迎え撃った。
が、手応えがない。水に戻った敵の身体がカルアの拳を受け流し、スカジャンの袖にまとわりつく。
途端、少女水が強靭な粘性と張力を帯びた。ぐんと腕を引っ張られ、カルアは通路の先に投げ飛ばされた。
あっと口をあけた陸に、うわあと少年が抱き着いた。
人影がぬっと現れる。
レインコートの陰気な男がそこにいた。
「嫌だあっ!」
少年はわめき、陸にしがみついた。
「もうヘンなことするなぁ! おれ、おれは、女の人が好きなんだ!」
聖なる糞、とうめきながらカルアは起き上がろうとした。
顔。
少女の顔が、眼の前に。
胴体は向こうにあって、首だけがこちらまで伸びている。首の途中に引っかかっているのは水中マスクだ。あらわになったその顔面は、人間のものとは思えない。
その眼。顔の半分以上もある。巨大で平面的で謎のキラキラ。
一瞬息が詰まったカルアの鼻先に、水の膜があるかのように波紋が生じた。
「オまえモ、くるエ……!」
不気味な少女の顔のなかでは例外の、常識的なサイズの鼻と唇が、カルアの口元に近づいてきて――
べっ、とつばを吐きつけた。
顔の真ん中にべちゃり。
半開きで固まったカルアの口に、そのつばが垂れて入り込んだ。それはしゅうと蒸気のような、無数の光の粒に変わり、緋色の輝きを残して消えた。
瞬間、カルアは犬歯を剥いた。
「――ッッッ!」
敵のおちょぼ口に喰らいつき、ありったけの力で咬みちぎる。
煮えたぎった血流が押し寄せる脳内に、グミに近い歯ごたえだけがかすかに届いた。
少女のそれ以上ひらく余地のない双眸のなかで、輝く黒眼がぎゅっとちぢまり点になった。
アニメ顔のろくろ首はのけぞり離れていき、そのえぐれた口元に、大きな大きな波紋が生じた。
キィ――――――と、スピーカーのハウリングのような金切り声が響き渡る。
レインコートの男も絶叫し、口元を押さえて倒れ込んだ。そのあいだに陸が行動を起こしていた。
「唵……!」
陸の青く光る右手が、ゲル状に溶けかけた少女の胴体に突き刺さる。すると敵の身体全体が波打ち、ふくれ、次の瞬間、水しぶきとなって爆散した。
鶏の断末魔のような悲鳴を上げ、レインコートの男がびくびくとのたうった。
少年は怯えてあとずさる。
「とどめ刺して!」
陸が言うと、少年は真っ青になりつつも、雄叫びを上げて男に突進した。
上からは雨のような落水、下の通りからは混乱寸前のざわめきがのぼってくる。
カルアは通路に残された水中マスクを思いきり踏み潰した。
口のなかのものをぺっと吐き出す。それはただの水にしか見えず、全然熱くもなかったが、湯気のようなものが立ちのぼっていた。
いや、湯気ならキラキラ光ったりしないだろう。こりゃ何だよ、という眼でカルアはぼんやりと見下ろす。
「行こうっ」
陸が来て、カルアの腕をとった。
手を引き引かれるがまま、ふたりで駆ける神戸の街。
お付き合いいただき、ありがとうございます。
物語は半分ほどまできました。
明日も更新する予定です。よろしくお願いします。




