24. 夜話昼話
夜を映す窓に水滴が光る。
分厚い壁を持つ塔のなかにも凍てつくような雨の気配が寄せてきて、暖炉の炎をいっそう愛おしいものにしている。
ひそやかに静止した空間に、二連続の急いたノックの音が差し込まれた。
扉を開けて入ってきたのは、ブルーノだ。
「失礼します」
硬い表情だった。雨に湿ったオーバーコートを脱ぎながら彼は、ふと部屋の一角に眼を止めた。ぺしゃんこのテーブルがあり、その下の床はクレーターのようにくぼんでいる。
一瞬呆気にとられたようだったが、軽く頭を振って前を向いた。
「レディ・バロン、折り入ってお話が……レディ?」
バロンは窓際の椅子に腰かけ、外のつめたい闇に顔を向けている。
そのとき、どこからともなく全身のっぺりとした石像が現れ、ブルーノのオーバーを受け取ってハンガーにかけた。
その外套がお下がりの年代物だと気づく者は少ない。ていねいに仕立て直され、大事に使われている。
「用事が多いのね」
バロンは興味もなさそうに言い、煙草をつまんだ手をサイドテーブルに伸ばした。ティーポットとカップに挟まれた灰皿には吸い殻の山ができている。
「申し訳ない。昼間は……お見苦しいところを」
「指輪」
「え?」
「せめて隠したら」
ブルーノは自分の薬指を一瞥した。
「親父と同じことを言うんですね。魔術師として生きるなら、親しい者などいないように振る舞え、と?」
「実際、弱みにしかならないじゃない? 家族なんて」
ブルーノの顔に複雑な表情が過ぎった。《天文台》とシリウス卿とレディ・バロン。三者の真ん中にいる自分の立場を考えたようだ。
「あんたも例外じゃないわよ? 〝シリウス〟」
バロンは振り向き、皮肉げに笑んだ。
「《天文台》最高の戦士の称号。二十一人の一等星魔術師のなかでも特別な……」
「よしてください。あなたは、そんな肩書きなんてくだらないと思っているんでしょう。俺も同感ですよ。それにこの称号は、政治力のない番犬に与えられるものです」
「そうかしら? あんたの前任者は政治家だったじゃない」とバロンは言った。「英国上院議員。アネッド・ウィリアム・ハウンドは――《天文台》内輪のごっこ遊びの爵位とは違う、れっきとした貴族だった」
ブルーノは表情を硬くし、「戦争のおかげですよ」と言って手近の椅子にかけた。
「親父は……いや、俺もです、殺しをやって地位を得ました」
事実上はそうだ。ブルーノの場合は三人。ほかに二十人以上を病院送りにしている。
いずれも人の道をはずれた術師――〝邪導師〟で、そのなかには〝獣の十二巣〟の残党も含まれていた。彼らは、結社を裏切り潰滅に追い込んだシリウス卿に報復しようとした。
父親を守るため、この優男は襲撃者を次々と返り討ちにしたのだ。
「感傷的ね」
ふふとバロンは笑んだ。
「闘争で身を立てるのは《天文台》魔術師の伝統じゃない。かつての〝同胞たち〟もそうやって王様に取り入ったのよ」
ブルーノは眉をひそめて聞いていた。しかし十五世紀の薔薇戦争、およびヘンリ七世の戴冠を契機とする《天文台》の歴史を否定はしなかった。
「……昔もいまも、皆がみな、好きこのんで争いをしたわけではないはずだ」
「本当にそう? あんたたち殺したがってるじゃない――あたしの〝太陽〟を」
「それは違う!」
ブルーノは顔色を変えて立ち上がった。
「座ってちょうだい」
いつの間にか、ブルーノのすぐ横に先ほどの石像が立っている。そののっぺりとしたフォルムが、みるみるうちに騎士甲冑の造形を得た。まるで見えない職人の手によって彫刻されたかのごとく。その槍の穂先がかちりと傾き、ブルーノの横顔に向く。
「……俺は協力を申し出たはずです」
そう言い終わらないうち、鼻先に紫煙が漂ってきてブルーノは眉をしかめた。
「あたしに何のメリットが?」
バロンの返事に、彼はいっそう顔をくもらせた。
「俺が――親父を説得します」
言葉に決意があった。言外には、もうひとつの意図も見える。ブルーノはバロンも説得するつもりなのだ。
「俺の言葉なら親父は耳を貸します。言ってやらなければ……眼を覚ませ、と。どんな理由があろうと、人ひとりの人生を即断的に終わらせるなんて間違っている。それもまだ子ども」
「そんな一般論で、あのじいさんの気が変わるかしら?」
「俺の本心です。ありきたりであろうと、届くはずだ」
「魔術師なんて生き物はみんな屈折している。とくに戦争を生きた世代はそうよ。人の道理は通じない」
「そんなことはありません! 俺はあの人と生きてきた……だからわかるんです」
ブルーノは拳を固く握った。
「あなたの娘と同行すれば、親父のほうからやってくるでしょう。どうか〝太陽〟の居場所を教えてください」
バロンは長く煙草をくわえていた。そして口をひらいたが、煙は出なかった。
「……逆に訊くけど、あんたはシリウス卿の居場所に心当たりはないの? 分身が日本に現れたからといって、本人もそこにいるとは限らないわけだけど」
ブルーノはうつむき、首を振る。
そのとき、携帯端末が震えた。バロンは面倒そうに手に取る。
弟子から、娘の写真が送られてきた。
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柱に張られた鏡のなかに、際どい恰好の女がいる。
胸の盛り上がったへそ出しセーター。尻のはみ出そうなホットパンツ。ふとももに食い込むハイサイソックス。
鏡映しのその姿を、カルアは珍しいものを見る眼でしげしげと眺めた。
「おいカレン……てめえ、フーターズの店員みてえになってるぞ。いいのか?」
明らかにカレンの趣味ではない。カルアもこんな恰好はしたことがなかった。下半身は動きやすいが、防寒着のセーターで腹を出す意味は何だ?
「――カルアちゃーん」
その声に一瞬、カルアは奇妙な感覚におちいった。違う世界に迷い込んだような。
ファッションビルのなかで自分の名前を呼ばれるなんて。ありえないとまではいわないが、カルアにとっては非日常的といっていい。
タキシードを着込んだウサギが現れてもおかしくないとすら思ったが、向こうからやってきたのは、もう見慣れた感もある女の子ふたりだった。
「どう? うちの推しコーデ! 気に入った?」
そう言って顔をのぞきこんできた子は、ある意味ウサギっぽいが、絵李という名だ。
ゆっくりと戻ってきた現実感を受け止めながら、カルアはちいさくうなずいた。「まぁ」
「やろ? かっちょええし、何よりエロい!」
「エッ……!? ロくねえし!」
カルアは動揺して声を上げた。
「仮にエロくてもそれはカレンであってオレちゃんじゃねえ!」
あわてて自前のスカジャンを羽織り、身体のラインが目立たないようにした。
「あーん、もっと見せてえや」
「ダメです」
夏香が手を伸ばし、絵李に眼隠しをしたあと、カルアのほうを向いた。
「無理して着なくていいですよ。陸先輩も言ってましたけど」
は、とカルアは突っぱねた。
「あいつの言うことなんて聞かねーよ。つか、あいつどこ行った?」
「陸ちゃんはお手洗い」
「どっち使うんだよ、あいつ」とカルアは思わず言った。
んっと、と絵李が答えた。
「学校では一応、男子のほう……あ、でもな、うちの学校はどっちも使ってええねんで。誰でも。昔からそういう校則があんねん」
男女共用ということらしい。
そういえば、カルアがここ数年過ごしていた土地では、公衆トイレでもそういうところが多かった。なぜおぼえているかというと、カレンと入れ替わって街を歩いたときにびっくりさせられたからだ。
カルアが身体を使わせてもらうこと、ましてや外出させてもらえることなんて、めったになかったから、ちょっとしたことでも案外記憶に残っている。
「でも、カルア先輩が知らないのは意外でした」
そうつぶやいた夏香に、カルアはがしっと肩を組んでにやけた。
「〝センパイ〟って良い響きだな。もっと呼んでいいぜ」
「え、えーと」
もじもじしている夏香に、反対側から絵李が抱きつき、しれっと話を戻した。
「たぶんあれやん? 陸ちゃんがカルアちゃんにはっきり言わへんかったんやない? 見たまんまだよ~、とか、好きなほうでいいよ~、とか」
「イエス! それ! カレンも同じこと言っててよぉ!」
かれん? と絵李も夏香も首をひねったが、そこは聞き流した。
「陸ちゃん、ウチらにもそう言うねん。まぁー、いまではみんな受け入れてるけどな、転校してきた最初はちょおっとぎくしゃくしたで」
「でも……陸先輩はいい人です」と夏香は言った。「自分、エレメンティアの体質のせいで部活辞めなきゃいけなくなったんですけど……そのとき相談にのってくれて、良くしてもらいました」
エレメンティアのなかには、身体能力が常人をはるかに超える者もいる。ドーピングといっしょだ、アンフェアだ、ということでスポーツ界から締め出されていることは、カルアもうっすらと知っていた。
「うん。うちら、陸ちゃんにはほんま世話になったよな」
絵李と夏香の視線が不意に交わり、そのままになった。カルアはなんとなく夏香の肩を離した。
「逆に陸ちゃんは、あんまりパーソナルなこと、ひとに言わへん気ぃする……」
そう言って絵李はしんみりと眼を伏せた。
その陸から電話がかかってきた。
三分後、カルアはフロアの端のトイレに到着した。
機嫌が悪かった。電話一本で呼びつけられたこともそうだが、陸が絵李と夏香を帰らせたことも釈然としない。
奥に向かう通路の途中で、はたと立ち止まった。分かれ道だ。
青と赤の性別マークを見比べる。
そうっと女性用のなかをのぞきこんだ。
「何してるの?」
「うお――っどかすな、ばか!」
陸は背後にいた。
そのキャラクターは、絵李たちの語った人物像とは重ならない感じがする。試着した服を全部買ってそのまま着ている姿は、まず男には見えないし、良い相談者とも思えない。この陸自体が、カルアの悩みごとの原因なのだから。
「こっち」
陸は先に立って行った。栗色の髪の隙間にイヤリングが揺れている。頬がほんのり赤らんで、まつげと唇につやが出ている感じがする。
「さっきから尾行がいてさ」
陸がスライドドアを開ける。戸口のプレートを見上げてカルアは力が抜けた。
授乳室。
そのなかには、おしゃぶりをくわえた赤ん坊ではなく、猿ぐつわを噛まされ、トイレットペーパーで眼隠しされた男たちがウーウー言っていた。
「このふたり、どこかで見たことある?」
全然、とカルアは首を振った。
どちらの男もアジア系で、色黒のほうはぐったりしているが、色白のもうひとりはまだ抵抗している。筋肉隆々の全身に力を込め、真っ赤になっているが、無駄だろう。うしろにまわされた腕と膝立ちになった足がいずれも半分以上、うちっぱなしのコンクリートの壁のなかに埋めこまれている。
「ナッツ、これ調べてみて」
陸は携帯端末を二台、カルアのボストンバッグに入れた。この男たちが持っていたものらしい。
だがネコ科に電子機器を与えて、いったい何ができるというのか。
いや、できるのだろう。連中はそのすべを知っている。カルアはそれがどんなものかもわからない。そう考えると急に落ち着かなくなってきた。
「あ、これ」
カルアは床に並べてある男たちの所持品のなかに、見覚えのあるものを見つけた。スタンガンだ。
「前にボコったやつらも使ってたぜ」
「えっ、それいつの話? 大丈夫だったの?」
「こんなチャチいのにやられるかよ」
カルアはむきになった。
「うん……。でも一応、気をつけたほうがいいよ。バチバチ――って意識が乱されると、能力がうまく使えなくなるから」
「こんなふうにか?」
カルアは起きているほうの男に電撃をくらわせた。くぐもった呻きが洩れ、男はぐったりとなった。それだけでなく、ムキムキからタプンタプンに。皮膚下で氷が溶けて水になったみたいに体型が変わった。まさしくシェイプシフトだ。
あーあ、という顔をする陸。カルアは振り向いてにらんだ。
「てめえがオレちゃんにやりやがったのも、これか!」
「えーと……ゲーセンのときの話? 違うよ。たしかにぼくは、君の魔導制御系を乱そうとしたけど、ぼくに電気を使う力はないもん」
「うそつけ。めちゃくそ痺れたっつの」
カルアが詰め寄ると、陸はしゅんと声を落とした。
「あのときは、ぼくが乱暴になかに入ろうとしたから、君の身体のショックが大きかったんだと思う。……ごめん」
「話が見えねえ」
カルアは歯ぎしりしそうになった。
「わかるように説明しろ。イチからよ」
「ん~……それ、いまじゃないと駄目?」
がら、と不意にスライドドアが動いた。
がら、がらがらと少しずつひらいていく。
そこには子どもが――少年がいた。
た、と蒼い唇から声が洩れ、まつげの長い眼がじわりとうるんだ。
「助けて……」




