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26. 魔界/幻術



 高層で高級なマンションの一室。その瀟洒な空間に、あまり似つかわしくない雰囲気の面々がたむろしている。


 かさついた肌にタトゥーや斑点が黒々と浮き、火のついた巻き葉っぱを手にして、酒をくらい、賭けカードに興じ、アジア人からヨーロッパ人までいるが、だれひとり堅気ではない様子。


 散らかり放題のテーブルの上で、不意に振動が起こった。

 濁った眼、血走った眼が、突き刺すように携帯端末に注がれる。


 スキンヘッドの東欧人がビールをぐびっとやってから応答した。「何だよ」

 だがすぐに怪訝な顔をして電話を耳から離した。「ジャップが猫の真似してやがる」


 一同は顔を見合わせ、――HAHAHAHAHA!


 視線を戻したスキンヘッドの酔眼に、液晶画面から半身を出した黒猫の姿が映った。


「――AHHH!!」


 悲鳴は廊下の奥、ブルーライトに照らされた寝室にも届いた。だが男と女は唇を接着したまま離れようとしなかった。


 清潔感とやんちゃさが共存した三十路頃の男に対し、その女はどう見ても五十を超えており、髪と肌の感じは六十歳のようで、それでいながらニ十歳の虚飾ガワをかぶっていた。


 大きな物音も聞こえ、そこでようやく男女は舌根の綱引きを中断した。


「何かしら」女の顔から笑みが消えた。

「ほっときぃって」


 女は聞かなかった。別の生き物になったかのように、厚化粧の眼をらんらんと光らせ、リビングに向かっていく。そしてはたと立ち止まった。


 男どもがひとり残らず伸びている。


 黒猫がいた。テーブルの上から、女にじっと視線を刺した。


「――娼婦ビアッチ!」


 叫んだ女の口から牙が伸び、手足が暴力的な隆起を帯びた。詰まった脂肪が岩に変わったかのようだ。


 飛びかかってきた女をナッツはかわす。が、着地したところにも敵の姿。


 顔に引っ掻き傷をもらったスキンヘッドだ。魔導円陣を完成させようとしている。


 その対面に、別の魔導円陣がひらいた。


 そこから槍が突き出し、光を帯びた穂先によって、スキンヘッドの陣をガラス破りのごとく撃ち砕いた。


 悲鳴。転倒。


 女がふたたびナッツに突っ込む。すると何もなかった宙にいきなり盾が現れ、女の一撃を防いだ。


 続いて別の角度から騎士像の下半身も登場し、女を一蹴のもとに退けた。


 吹っ飛んだ女の身体は、ちょうどやってきた家主の男に激突した。

 男は倒れ込み、うめきながら起き上がり、かたわらの女を見てぎょっとした。


「なんや、こんババァ!?」


 男は部屋の惨状に気づいて息をのんだ。なんやこれ、誰やねんおまえらとわめき、そこで何か思い出したように、はっと眼を剥いた。


 満月だ。――男の黒眼のなかに浮かび、ゆらゆらと揺れ、崩れかかっている。


「うそやろ……なんで俺、こんな……」


 頭を抱える男のもとに、騎士像が近づいていく。その甲冑の石肌から黒いものが染み出して全身を覆ったかと思うと、瞬く間に、眼隠しをした女の姿に変わった。


 汗だくの男の顔に、煙草の煙が吹きかけられる。


「大丈夫」

 バロンはささやき、ほっそりした指で男の額から鼻を撫でた。

「悪い夢よ……」


 男はひざをつき、意識を失った。

 女魔術師と使い魔は廊下の奥へ。


 本来は寝室であるらしいその部屋に入り、本来はあるはずのない〝それ〟を見つけたとき、ナッツはむうとうめいた。


 魔導円陣。床にひらいて、柱状の光を放っている。

その中心に、ちいさなロッドが置かれていた。



 ◆



共鳴杖コンロッド……儀式魔術の道具が、こんなところに」


 ホロウィンドウに映ったものを見て、ブルーノの表情が険しくなる。

 バロンの携帯端末が投影した映像には、木の枝に根を巻きつけてつくった原始的な代物が映っていた。


「親父が、しかけたんですね」


「本人はいなかったけど」


 窓辺の椅子に腰かけているバロンは、気だるげに足を組み替えた。


共鳴杖コンロッドは複数のエレメンティアの魔導制御系をつなげる装置。頭数を揃える必要がある……とはいえ、シリウス卿ともあろう人があんな雑菌のような連中とつるむとはね」


 ブルーノは椅子の上で身を揺すった。前傾姿勢を崩さず、落ち着かない様子だ。


「低級の術者をいくら連係させても、魔力の増幅効果は弱い……。親父の目的は、術効果範囲の拡大でしょう。間違いなく、ほかの場所にもしかけられているはずです」


 ――〝魔界イヴィルダム〟。


 バロンが口にしたその言葉に、ブルーノはうなずいた。


「周辺環境を術的に汚染し、術者の力が隅々まで及ぶ結界――〝魔界〟をつくる。獲物を追いつめる狩人の網……。慎重な親父らしいやり口だ」


「いいえ、杜撰(ずさん)だと思うわ。魔界の力が、コンロッドでつながったチンピラたちに悪用されている。無関係の人間に被害が及んでもいいというのかしら、あのじいさん」


 ブルーノは自分が非難されたかのように唇を噛んだ。


 そのとき、コーヒーテーブルの上に転送陣が現れ、黒猫が顔を出した。疲弊した様子でのそのそと這い出てくると、精彩のない眼でブルーノを見た。


「レディ、そろそろ勘弁してくれませんか」

 ブルーノはばつ悪そうに、顔のすぐ横に迫った槍の切っ先を気にした。

「俺に他意はないとわかってください」


「でも、におうのよね」

 バロンは寝ようとしたナッツをつまみ上げ、床に落とした。


「ずいぶんと用心深い。現代最高の魔術師、土曜日の女王とも称されるあなたが」


「そのへんにしなさい?」とバロンはぴしゃりと言った。


 ブルーノは口を閉じたが、ひるんだ様子はない。まっすぐ視線を返す。


「あたしは最強の駒クイーンじゃないし、できないことのほうが多いの」

 バロンは潰れたテーブルを指さした。

「チェスをやると、いつもああなる」


 ブルーノはそちらに眼をやったのを後悔したようにげんなりして、すぐ顔を戻した。


「俺は冗談を言っていない。今度こそ本気であなたに協力したいと思っている」


「今度こそって何?」


「あの〝世界災厄〟のとき、あなたの呼びかけに応じなかったことを、俺はいまでも後悔しているんです」


 バロンには思ってもない返答だったようだ。物理的に可能なら、眼を丸くしていたところだというような反応をした。


「別に……《天文台》の人間に期待なんてしなかったわ」


「ええ。実際、魔術師たちは英国とその同盟国しか守ろうとしなかった。この惑星ほしの至るところが揺れて、火を噴き、波うっていたというのに……。いまの俺なら、そうした考えには賛同しない。何かを護るために、ほかの何かを切り捨てる。そんなことは間違っている。そうではありませんか?」


 老シリウスと〝太陽〟――どちらも天秤にかけるものではない、と。


 きれいごとだ。


「お願いします。俺とあなたの想いは同じはず。あなたが力を貸してくれさえすれば」


 くつくつとバロンは低く笑いはじめた。


「レディ……?」


 当惑しきりのブルーノに対し、バロンは笑みを含んで立ち上がった。


「ブルーノ……たしかにあんたは、政治家にはなれそうもないわね」


 不意に騎士像が椅子の背にまわり、ブルーノを羽交い絞めにした。


「何を……!」


「乗ってあげる。その口に」


 バロンはするすると近づき、おおいかぶさるように顔を近づけた。

 男の熱い呼吸と女のつめたい吐息が交錯した。


「――かくれんぼは終わりよ」


 ブルーノの瞳が震えた。その碧眼に浮かんだ炎が、激しく揺らめく。


 バロンの口先に、ちいさな魔導円陣がひらいた。


 ――神毒唇リップオブサマエル

 触れれば最後、防御不能の生体干渉――


 その術が発動する直前、ブルーノの瞳の炎が円を描いた。

 満月のように。


「――!」


 ブルーノの双眸から、白焔の化身のような「犬」が躍り出た。その犬は無数のちいさな個体に分裂し、突き飛ばされたバロンへと襲いかかる。


 女魔術師の黒衣は、一瞬にして、白朧の毛と爪と牙に埋め尽くされた。


 女の痩身がくの字に折れたかと思うと、のけぞり、青ざめた唇から苦悶の声が上がる。その腹に七つ連鎖した魔導円陣がひらいた。

 直後、バロンは犬もろとも石化しはじめた。


「レディ……!!」


 ブルーノは手を伸ばそうとしたが、周囲の家具や床にまで石化が及び、天井からはつららのような石柱がおりてきた。

 すでに背後の騎士像はかたちが崩れ、石化の波にのまれている。


 このままでは巻き込まれる。離れるしかなかった。



 ********************



「幻術――その〝しかけ〟はワインづくりに似ている。手順を踏んで時間をかけ、少しずつ、少しずつ進めていくのさ」


 プライベートクルーザーの二階デッキで、金髪の男は波に揺られている。道化のアルレッキオだ。


 夕焼けの海に囲まれ、ホワイトレザーのソファに並んだ少女たちのうるんだ視線を浴びながら、グラスのなかの真紅の液体をくっと飲みほした。


「それでこの船を乗っ取ったの?」と少女のひとりが訊いた。


 別の子が、無表情にトレイを持つ給仕の男を指さした。「この人、操られてる?」


 そのとおり(マッチェルト)、とアルレッキオは地声で応じたあと、翻訳デバイスが日本語で言い継いだ。


「このクルーザーもキャビアもワインも全部、他人ひとのもの。俺はそれで悦に入ってるただのコソ泥。って言わせるなよ」


 アルレッキオは手を伸ばし、隣の子の髪を軽くくしゃっとした。嬉しげな悲鳴と笑い声が上がる。


 その輪のなかにはミカも混じっている。駅で陸たちとすれ違った子だ。


「ねえ、アルさん」とミカは言った。下手なアイメイクと使い古しのカラコンにおおわれた瞳を輝かせ、「うちにも使える? その魔術」


「もちろん。五感に訴えかけるんだ。言葉、視線、接触、におい、なんでも使える。甘ぁくして相手に与えてやればいい。それが溜まり溜まって毒になる」


 糖分シュガーがやがて醗酵し、アルコールに変わるのと同じだ。


「ただし、気づかれないように。相手が自分の意思で受け取るのが大事だからね」


 むずかしーっ、と異口同音のブーイングが起こった。


「OK。――じゃあ実践しよう」


 クルーザーの船内はカーテンがひかれて暗く、ブルーライトに照らされていた。そこには男女の別なく十代ティーンが溢れていて、バーカウンターやダーツ盤に群がり、ビュッフェの食事を手にソファラウンジで笑い転げている。


 DJブースのスピーカーから音楽が響き、ちょっとしたクラブパーティの様相だ。


「なぁ! ほんま俺ら、日本におったら未来ないで」

「コネないとエレメンティア・スクール入れんって糞すぎよな」

「海外で魔術師になろうや。おっさん、つれてってくれる言うし」


 ミラーボールの下、金髪の道化男はちいさなステージに立っている。

 かたわらには冷や汗をかいた小柄な少年――陸の同級生の水口――が、オーディエンスの視線や野次に晒され、びくついている。


 アルレッキオは腕時計からの音声をマイクに通して煽りはじめた。


「ショウ・ミー・ユア・パゥワッ! みんなでこの水口くんに幻術イリュージョンをかけよう。声を合わせて……スリー! ツー!」


 全照明が落ち、音楽がやんだ。


 少女の短い悲鳴。何だ、と動転する声。物音がして、誰かが息をのんだ。


 ふたたび明るくなったとき、フロアには何人もが折り重なって倒れていた。


「なんでおまえがかかってんだよ!」

 笑う者。竦む者。立っている者はわずかで、反応は様々だが、どの顔にも動揺が見え隠れする。


 気取ったお辞儀をしていた道化男が、ゆっくりと姿勢をなおした。その整った顔に笑みはなく、最低の客を相手にして楽屋に戻ったあとのショーマンのような、うつろな表情が浮かんでいる。


「アルさん……?」


 戸惑うミカに対し、アルレッキオはにこやかな笑みを返した。


「おめでとう(コンプリメンティ)!」


 道化男が地声で言ったあと、広げた腕につけた時計型デバイスが言い継いだ。


「残った君たちは才能がア屡」


 その声はじょじょにノイズ混じりの、でたらめなエフェクトがかったものになった。


「そ野すばバら血、力を、モもっとHi鬼Theしてヤろう」


 ひっくり返っていた水口が眼を覚ました。彼はフロアの様子に愕然とし、恐怖にとらわれたようだ。


 少年少女たちがふらふらと集ってくる。光に引き寄せられる虫のように。


 みんな、いい子だ――道化と機械の声が重なった。



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