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【完結】役立たずと捨てられた令嬢ですが、森で拾ったモフモフ子狼(皇帝陛下)に番として溺愛されています  作者: フトダマノミコト


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第6話 満月の夜の願い

 満月の日の朝、ルゥの様子がおかしかった。


 いつもなら私が目を覚ますより先に起きて、顔をぺろぺろと舐めてくるのに。


 その朝のルゥは、寝台の隅で丸くなったまま、じっと動かなかった。


「ルゥ? どうしたの、具合が悪いの?」


 額に手を当てる。


 熱い。


 それに、呼吸がいつもより浅かった。


「……熱があるわ」


 慌てて毛布をめくった私は、息をのんだ。


 ルゥの首に巻きついた黒い模様が、また濃くなっていたのだ。


 この半月で、ずいぶん薄くなっていたはずなのに。


 それどころか、模様は首だけでなく、肩のあたりまで蔦を伸ばすように広がっていた。


(どうして? 昨日まで、あんなに元気だったのに)


「待っていてね。すぐにお薬を作るから」


 私は棚から熱冷ましの薬草を取り出し、乳鉢ですりつぶした。


 煎じた薬を少しずつ口に含ませると、ルゥはかすかに目を開けて、私の手に鼻先を寄せた。


 まるで、大丈夫だと言っているみたいに。


「大丈夫じゃないでしょう。……もう、無理しないで」




 昼を過ぎても、ルゥの熱は下がらなかった。


 それどころか、ルゥはふらつく脚で何度も寝台を降りようとした。


 扉のほうへ、よろよろと歩いていく。


「ルゥ、どこへ行くの!?」


 抱き上げると、ルゥは弱々しく身をよじった。


 外へ出ようとしている。


 それも、森の奥のほうへ。


(もしかして……私から、離れようとしているの?)


 獣は、自分の死期を悟ると、群れから離れて姿を隠すと聞いたことがある。


 背筋が、すっと冷たくなった。


「だめ。絶対に行かせない」


 私はルゥをぎゅっと抱きしめた。


「あなたがどこかでひとりぼっちで苦しむなんて、そんなの嫌。ここにいて。ね?」


 ルゥは、しばらく私の腕の中でもがいていた。


 けれどやがて、諦めたように力を抜いた。


 金色の瞳が、私を見上げる。


 その瞳がひどく悲しそうに見えて、私は胸が締めつけられた。




 日が沈み、窓の外に大きな満月が昇った。


 青白い光が、小屋の中にまで差しこんでくる。


 その光を浴びたとたん、ルゥが苦しげに鳴いた。


「キャウ……ッ!」


「ルゥ!?」


 見ると、黒い模様がまるで生き物のようにうごめいていた。


 首から肩へ、肩から背中へ。


 銀色の毛並みを、黒い蔦がじわじわと覆っていく。


(何なの、これ……! ただの模様じゃない)


 ルゥの体が、びくん、びくんと痙攣する。


 さっきまであんなに熱かった体が、今度は氷のように冷たくなっていた。


「ルゥ、しっかりして!」


 薬草を口に運んでも、もう飲みこむ力がない。


 毛布を何枚重ねても、体は冷えていく一方だった。


(どうしよう。どうしたらいいの)


 母に教わった薬の知識を、必死に思い出す。


 けれど、どんな薬草の名前を思い浮かべても、この黒い模様に効くものは見つからなかった。


 これは、病気ではない。


 もっと別の、恐ろしい何かだ。


「お願い……お願いだから……」


 私はルゥを胸に抱いて、寝台の上にうずくまった。


 冷たい体を、少しでも温めたかった。


 私の体温を、全部あげてもいいと思った。


「ルゥ。聞こえる?」


 銀色の耳が、ほんのわずかに動いた。


「あなたが来てくれてから、私、毎日笑えるようになったの。ご飯がおいしいって思えるようになったの。夜が怖くなくなったの」


 涙が、ぽたぽたとルゥの毛並みに落ちる。


「お母さまがいなくなって、お父さまにもいらないって言われて。私にはもう、誰もいないと思ってた。でも、あなたがいてくれた」


 黒い蔦が、ルゥの顔のほうまで伸びてくる。


 金色の瞳が、ゆっくりと閉じかけていた。


「いや……いやよ、ルゥ」


 私は、ルゥの冷たい額に自分の額を押し当てた。


「お願い。置いていかないで。ずっと、一緒にいて……!」


 そう叫んだ、そのときだった。




 私の手のひらが、白く光った。


「……え?」


 最初は、月明かりが反射したのかと思った。


 けれど違う。


 光は、確かに私の手から溢れ出していた。


 春の陽だまりのような、柔らかくて温かい光。


 それがルゥの体を包みこみ、黒い蔦に触れた瞬間――。


 ぱきん、と。


 ガラスが割れるような、澄んだ音が響いた。


「――っ!」


 黒い模様に、無数のひびが走る。


 ひびはみるみるうちに広がり、蔦は細かな黒い欠片となって、宙に散っていく。


 欠片は満月の光に溶けるように、跡形もなく消えた。


(なに、これ……? 私が、やったの……?)


 魔力なんてないはずの、私の手が。


 信じられない思いで、自分の手のひらを見つめる。


 光は、まだ消えていなかった。


 それどころか、ますます強くなっていく。


 ルゥの体が、光の中でゆらりと揺らいだ。


「ルゥ……?」


 腕の中の重さが、変わっていく気がした。


 けれど、確かめることはできなかった。


 光が強くなるにつれて、私の体から、すうっと力が抜けていったのだ。


 まぶたが、鉛のように重い。


(だめ……ルゥを、離しちゃ……)


 最後の力で、腕の中のぬくもりを抱きしめる。


 さっきまで氷のように冷たかった体が、今はとても温かかった。


 それだけで、もう十分だと思えた。


「よかった……」


 そうつぶやいたのを最後に、私の意識は、白い光の中に溶けていった。


 意識が途切れる、その直前。


 誰かが、私の名前を呼んだ気がした。


 低くて、震えていて、泣き出しそうな声で。


 ――アイリス、と。

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