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【完結】役立たずと捨てられた令嬢ですが、森で拾ったモフモフ子狼(皇帝陛下)に番として溺愛されています  作者: フトダマノミコト


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第15話 祖国からの「返還要求」

 翌日、謁見の間に現れた使者を見て、私は息をのんだ。


 金の刺繍が入った豪奢な上着に、見慣れた金髪。


 使者の一行を率いていたのは、ユベール殿下その人だった。


 そしてその後ろには、父――クローデル伯爵の姿もあった。


(どうして、二人がここに……)


 婚約破棄の夜から、まだふた月も経っていない。


 それなのに、二人ともずいぶんとやつれて見えた。


 殿下の頬はこけ、目の下には濃い隈が浮かんでいる。


 父の髪には、以前はなかった白いものが目立っていた。


「エルセリア王国王太子、ユベールである」


 殿下は、玉座のルーヴェン様に向かって、尊大に胸を張った。


 それから、玉座の隣に立つ私を見つけて、目を見開いた。


「アイリス……! 本当に、ここにいたのか」


 殿下の視線が、私のドレスに注がれる。


 ルーヴェン様が用意してくれた、淡い若葉色のドレス。


 伯爵家にいたころのお下がりとは、比べものにならないほど上等なものだ。


 殿下の顔に、一瞬、苛立ちのようなものがよぎった。




「親書は読んだ」


 ルーヴェン様が、静かに口を開いた。


「アイリスを、エルセリア王国へ返還せよ、と。どういうつもりだ」


「どういうつもりも何も、アイリスは我が国の民だ」


 殿下は、苦々しげに言った。


「それに、我が国にとってなくてはならない存在なのだ」


 謁見の間が、ざわめいた。


(なくてはならない……? 私が?)


 ついこの間、私を役立たずと呼んだのは、ほかでもない殿下なのに。


「先日、亡き祖父王の遺言状が見つかった」


 殿下は、懐から古びた羊皮紙を取り出した。


「そこには、こう書かれていた。『クローデル家の娘アイリスを、決して手放してはならない。あの娘と、その母の力が、この国を瘴気から守っている』と」


 私は、思わず胸もとを押さえた。


 前国王陛下は、知っていたのだ。


 母の力も、私の力も。


 だからこそ、幼い私と殿下の婚約を決めた。


 ――私をこの国に、留めておくために。


「アイリスが王都を去ってから、国中に瘴気が湧きはじめた。作物は枯れ、魔物が増え、民は病に倒れている」


 殿下は、苛立たしげに言葉を続けた。


「レオノーラの光魔法では、何の役にも立たん。瘴気を祓うどころか、自分が真っ先に寝こむ始末だ」


 その言い方に、私は少しだけ驚いた。


 あんなに大切そうにレオノーラの肩を抱いていたのに。


「だから、アイリス」


 殿下が、私のほうへ一歩踏み出した。


「帰ってこい。婚約破棄は、取り消してやる。お前を、正式に王太子妃として迎えてやろう」


 まるで、ありがたく思えと言わんばかりの口ぶりだった。




 父も、殿下の隣で進み出た。


「アイリス。お前の病死の届けは、まだ出していない。取り消してやる。だから、家に戻ってきなさい」


 父の声は、書斎で聞いたときと同じように、冷たく平坦だった。


 けれど、その目だけが、何かにすがるように私を見ていた。


「お前の部屋も、元通りにしてやろう。北の部屋ではなく、日当たりのいい南の部屋を用意する」


(……ああ)


 胸の中で、何かがすとんと腑に落ちた。


 この人たちは、少しも変わっていない。


 私が必要になったから、取り戻しに来ただけ。


 私自身のことなど、最初から見てはいないのだ。


「――断る」


 私が口を開くより先に、ルーヴェン様の声が響いた。


 謁見の間の空気が、一瞬で凍りついた。


「アイリスは、俺の番だ。近いうちに、ガルディア帝国の皇妃となる」


「番、だと……? ふざけるな! そいつは、我が国の――」


「ルーヴェン様」


 私は、そっとルーヴェン様の袖に触れた。


 金色の瞳が、こちらを向く。


「私に、答えさせてください」


 ルーヴェン様は、しばらく私の顔を見つめていた。


 それから、小さく頷いて、口をつぐんでくれた。


 私は、一歩前に出た。


 足が、少し震えている。


 けれど、もう下を向くつもりはなかった。


「殿下。お父さま」


 二人の顔を、まっすぐに見る。


 伯爵家にいたころは、一度もできなかったことだった。


「私は、帰りません」


 殿下の顔が、こわばった。


「お父さまは、私を病死したことにするとおっしゃいました。殿下は、私を役立たずだとおっしゃいました」


 声が震えないように、両手を握りしめる。


「ですから、あの国のアイリス・クローデルは、もういません。ここにいるのは、ガルディア帝国の薬師、アイリスです」


「な……っ」


「私の居場所は、もうあの国にはありません。私を必要としてくれる人のそばに、私はいたいんです」


 謁見の間が、しんと静まり返った。


 父が、唇を震わせて何か言いかけ、そして黙った。




「アイリス、お前……!」


 殿下の顔が、怒りで赤く染まった。


「たかが伯爵家の娘が、王太子の私に逆らうのか! いいから来い!」


 殿下が、私の手首をつかもうと手を伸ばす。


 その手が、私に届く前に。


 がしり、と。


 横から伸びてきた大きな手が、殿下の腕をつかみ止めていた。


「俺の番に、触れるな」


 いつのまにか玉座から降りていたルーヴェン様が、殿下を見下ろしていた。


 低く、静かな声だった。


 けれどその声には、空気がびりびりと震えるほどの怒りがこめられていた。


 殿下の顔から、さあっと血の気が引いていく。


「は、離せ……! 私はエルセリアの王太子だぞ!」


「それがどうした」


 ルーヴェン様の指に、力がこもる。


 殿下が、悲鳴を上げて膝をついた。


「アイリスを連れ去ろうとするなら、それはガルディア帝国への宣戦布告とみなす。それでもいいなら、好きにするといい」


「せ、宣戦……っ」


 殿下は、がたがたと震えだした。


 瘴気に苦しむ今のエルセリアに、獣人の大国と戦う力などあるはずがない。


 ルーヴェン様が手を離すと、殿下はその場にへたりこんだ。


「バロン。お帰りいただけ」


「は」


 バロンが、殿下と父を両脇から抱えるようにして、謁見の間から連れ出していく。


 扉が閉まる直前、父が一度だけ、私のほうを振り返った。


 何か言いたそうな顔だった。


 けれど、その言葉が私に届くことはなかった。




「よく言ったな」


 二人きりになった謁見の間で、ルーヴェン様が私の頭をそっと撫でた。


 その手のひらの温かさに、張りつめていた糸が、ぷつりと切れた。


 膝から力が抜けて、ルーヴェン様の胸にもたれかかる。


「……怖かった、です」


「ああ」


「でも、言えました」


「ああ。立派だった」


 ルーヴェン様の腕が、私を包みこむ。


 しばらくそうしていてから、私はぽつりとつぶやいた。


「あの……ルーヴェン様。ひとつ、お願いがあるんです」


「何だ」


「エルセリアの民のことです」


 殿下や父のことは、もういい。


 でも、瘴気に苦しんでいるのは、あの国で暮らす普通の人たちだ。


 ハンスも、まだあの国にいる。


「王家や貴族のためではなく、民のために、何かできることはないでしょうか」


 ルーヴェン様は、少し驚いたように私を見た。


 それから、ふっと目を細めた。


「お前らしいな」


「だめ、でしょうか」


「いや。帝国の名で、国境の村々に救護の者を送ろう。お前が浄化した薬と、魔術師たちも一緒に」


 ルーヴェン様は、少しだけ意地の悪い笑みを浮かべた。


「ただし、王家を通さず、民に直接届ける。誰が民を救ったのか、民自身がよく分かるようにな」

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