第11話 人間の番は認めない
ガルディア帝国の帝都は、想像していたよりもずっと大きかった。
白い石造りの街並みが、なだらかな丘に沿ってどこまでも続いている。
通りを行き交う人々の頭には、さまざまな形の耳。
背中には、さまざまな色の尻尾。
(本当に、獣人の国なんだわ)
物珍しさにきょろきょろしていると、背後でルーヴェン様が小さく笑った。
「気に入ったか」
「は、はい。とても綺麗な街ですね」
「お前の国になる街だ」
「……ですから、それはまだ」
「分かっている。言ってみただけだ」
ちっとも分かっていない顔で、ルーヴェン様は私の髪にそっと頬を寄せた。
(もう……!)
馬上で逃げ場のない私は、ただ真っ赤になってうつむくことしかできなかった。
皇宮に着くと、ちょうど大広間で何かの儀式が行われているところだった。
扉の向こうから、厳かな鐘の音が聞こえてくる。
「……陛下の、葬送の儀です」
バロンが、苦い顔で言った。
「明日には、ガイウス殿下の即位式が予定されております」
「ずいぶん手回しのいいことだ」
ルーヴェン様は、冷ややかに笑った。
そして私の手を取ると、迷いのない足取りで大広間の扉へ向かった。
「へ、陛下? 私も行くんですか?」
「当然だ。お前を置いてはいかない」
衛兵たちが、ルーヴェン様の顔を見て凍りつく。
止める者は、誰もいなかった。
扉が、大きく開け放たれる。
大広間には、黒い喪服をまとった貴族たちがずらりと並んでいた。
正面の祭壇には、ルーヴェン様の肖像画が飾られている。
そしてその前に、ひとりの男が立っていた。
灰色の髪をきっちりと撫でつけた、品のいい初老の紳士。
頭の上には、ルーヴェン様と同じ狼の耳がある。
(あの人が、ガイウス様……)
穏やかそうな顔立ちだった。
けれどその周りに、うっすらと黒い靄のようなものが漂っているのが見えて、私は思わず目をこすった。
(今の、何……?)
もう一度見ると、靄はどこにもなかった。
「――ルーヴェン?」
ガイウス様が、目を見開いた。
大広間が、水を打ったように静まり返る。
次の瞬間、貴族たちのあいだから、どよめきが湧き上がった。
「陛下……!?」
「生きておられたのか!」
ガイウス様は、すぐに表情を変えた。
驚きから、心からの喜びへ。
あまりにも自然な変化だった。
「ルーヴェン! ああ、よく……よく無事で戻った!」
両腕を広げて、ガイウス様が歩み寄ってくる。
「どれほど心配したことか。お前が崩御したと聞いて、私は……」
「ご心配をおかけしました、叔父上」
ルーヴェン様は、その腕を受け入れなかった。
一歩も動かず、ただ静かにガイウス様を見つめている。
その金色の瞳は、ぞっとするほど冷たかった。
「森で、少々、獣に襲われまして。親切な娘に救われたのです」
「……そうか。それは、それは」
ガイウス様の笑みが、ほんの一瞬だけ、こわばった気がした。
「陛下、そちらの方は?」
鈴を転がすような声がした。
貴族たちの中から進み出てきたのは、目の覚めるような美しい令嬢だった。
鮮やかな赤い髪に、ふさふさとした金色の狐の耳。
喪服でさえ、まるで夜会のドレスのように着こなしている。
「ヴァルピナ公爵家のフリーダですわ。陛下のご帰還、心よりお喜び申し上げます」
優雅にお辞儀をしてから、フリーダ様は私に視線を向けた。
上から下まで、値踏みするように。
その目が、すっと細められる。
「……あら。人間ですのね」
くすりと、扇の陰で笑う。
その笑い方が、レオノーラにそっくりで、私は思わず身をすくめた。
「陛下を救ってくださったという親切な娘、というのはこの方ですの? まあ、ずいぶんと……素朴な方」
周囲の貴族たちから、ひそひそとささやきが漏れる。
「人間の娘だと?」
「なぜ陛下が、人間などを大広間に……」
「耳も尻尾もない、魔力の気配もない。あれでは、ただの平民では」
ひとつひとつの言葉が、小さな棘のように胸に刺さる。
(……ここでも、同じなんだ)
魔力がない。
役立たず。
場違いな娘。
国が変わっても、私に向けられる目は変わらない。
うつむきかけた、そのとき。
ぐい、と腰を引き寄せられた。
「――っ!?」
気づけば私は、ルーヴェン様の腕の中にいた。
大きな手が、私の肩をしっかりと抱いている。
「よく聞け」
ルーヴェン様の声が、大広間に響き渡った。
決して大きな声ではない。
それなのに、空気がびりびりと震えるような、圧倒的な声だった。
「この娘の名は、アイリス。俺の命の恩人であり――俺の番だ」
大広間が、しんと静まり返った。
フリーダ様の扇が、ぴたりと止まる。
「つ、番……? 陛下、何をおっしゃって……人間の娘が、番だなんて」
「俺がそう言っている」
金色の瞳が、フリーダ様を射抜いた。
フリーダ様が、ひっと息をのんで一歩下がる。
「この娘を侮る者は、俺を侮るのと同じだ。それを忘れるな」
ルーヴェン様は、大広間をぐるりと見渡した。
誰ひとり、声を上げる者はいなかった。
「アイリス。行くぞ」
「は、はい……っ」
肩を抱かれたまま、私は大広間をあとにした。
背中に、たくさんの視線が突き刺さっているのが分かる。
けれど、さっきまでのように怖くはなかった。
肩を包む大きな手が、ずっと温かかったから。
大広間を出る直前、私はふと、後ろを振り返った。
祭壇の前に立つガイウス様と、目が合った。
ガイウス様は、穏やかに微笑んでいた。
けれどその目は、少しも笑っていなかった。
そして、その体の周りに。
さっき見えた黒い靄が、今度ははっきりと、まとわりついていた。
(あれは……)
ルゥの首に巻きついていた、黒い蔦。
あれと、同じ気配がする。
背筋が、ぞくりと冷たくなった。
「アイリス?」
「……いえ。何でもありません」
私は前を向き、ルーヴェン様の袖をきゅっと握った。
この人を、二度とあんな目に遭わせない。
そう、胸の中で強く誓いながら。




