08 振るうことに事故はつきもの
「これを」
緋奈はそう言って、庭に出るなり春の方に木刀を投げてきた。
しっかりと手入れが施されているようで、木刀は地面によく刺さっている。
春は渡された木刀を迷わず手に取り、庭を軽く見渡した。
「何気に初めて庭に出たな……」
リビングから見える庭は、高い外壁が外と隔てるようにあるものの、窮屈さを感じさせない広さがあった。
木刀を振っていても、外から見られることも無ければ、試練をしていることもバレない、それほどまでに防音性もある壁だと見ただけで理解できる。
緋奈の方を見ると、緋奈は既に違う木刀を手に持っており、春を待っているようだ。
「違和感はないかしら?」
「むしろ手に馴染むな……」
そう口にしたが、軽く違和感を覚えた。
春の持っている木刀と、緋奈の持っている木刀は同じようで、どこか違ったのだ。
とはいえ、手に持った普通の木刀に見えるこれですら、技術が使われていると思わしき繊維の流れを感じさせてくる。
渡したままのペンを踏まえても、何かしら細工をしていてもおかしくない。
おかしくないが、緋奈の持っている木刀は明らかに普通のものだからこそ、春の方に細工をしていそうで対等感を感じないのだ。
春は握り心地を改めて確かめつつ、緋奈と見合った。
「あなたにもう一度言っておく。私は、振れるものが好きなの」
「随分とお喋りになったようで」
「……何も話さないで振った方がいいかしら?」
「ごめんなさい嘘です。鳥羽さんが自分のことを話してくれて、僕は嬉しいよ」
「ひよっこね。まあ、いいわ。それで、私はよく、鍛錬も含めて木刀を振っている、つまりは分かるわね?」
お互いに木刀を手に持っている時点で、理解できない方が難しいだろう。
「なるほど、試し打ちならぬ試死切りをしたいと」
「ええ、素振りだけはつまらないもの」
「話は分かったけど、僕はできることなら女の子に手を出したくないかな」
「その泡沫、いつまで夢見られるか。忠告。油断しないで、ちゃんと防御の構えくらいはすることよ」
その言葉だけで、緋奈がどれほどの強者なのか、春は判断できた。
一般的であるのなら、それは単なる痩せ我慢、かませ犬に近い発言だろう。
それを組織的な一面から見るのだとすれば、緋奈の風貌、淑女で強者であるのを踏まえると、情報を知らない春にとっては大きな忠告でしかないのだ。
勝負とはいわば、情報戦。
相手の癖、相手の動き、相手の洞察力に思考、それらを把握しているだけでも対策や行動を制限できるように。
とはいえ、知っている、という自負は予想外の事態に対処が遅れかねないからこそ、注意が必要になる。
「――私は、あなたを知っておきたい。今後、本当の試練……あなたの手を必要と出来るのか」
緋奈は木刀の先端を向け、宣言してきた。
春も緋奈を知りたい、その気持ちがあるからこそ、気持ちには気持ちで、期待には期待で応えたいのだ。
(……動きやすそうな私服だけど、困ったものだな)
緋奈は現在、クリーム色の長袖シャツに灰色のスカートだ。
緋奈にとっては動きやすい服かも知れないが、春にとっては懸念点と言えるものである。
春は邪な考えに首を振り、息を吐き出した。
向き合うのはただ、目の前にいる緋奈だと、自分に言い聞かせながら。
「心得た。なら、僕も僕なりに、相手をさせてもらおうか」
お互いに獲物を握ったのなら、立場がどうあっても、土俵は同じだ。
ポニーテールが揺れると同時に、しなやかな踏み込みで緋奈は距離を詰めてくる。
木刀の間合い、互いに振るった木刀が当たり、重くも軽い音を立てた。
力一筋ではない重さ。それは、春を少しばかり後ろに引かせるほどの重みがあったのだ。
相手は異性であり、女の子だ、という考えは捨てるべきだと判断するには十分な情報と言えた。
少しでも油断すれば、引かない間合い、この距離、その全てが知ることに直結するのだから。
緋奈の言葉通りになったというべきか、何度も振られる木刀は、春を防戦一方にする実力が据わっている。
(一太刀、一太刀は弱い。でも、合気か? 受けてるだけなのに重いし、力を借りられてるみたいで攻めずらい)
春自身、何度か師匠に剣を教えられこそしたが、ここまでしなやかな連撃は見たことが無かった。
服が伸び縮みする腕や関節のしなやかさに、揺れないスカートで分かる姿勢の良さ。
緋奈は戦闘面で見ても恐らく、彼女が所属している組織でも上位の存在と言っていいだろう。
空を切る音が何度か続いた時、緋奈は振る手を止めていた。
「なんだ、もう終わりか?」
「なんの冗談かしら? 木藤くんが攻めの姿勢を見せてこない、それはどうして?」
やはりというべきか、春が攻めてこないのを気にしていたようだ。
春は途中から、攻めることは一切せずに、全て緋奈の攻撃を受け流すことに徹していた。
だからこそ緋奈の合気交りの剣術を、体感で感じ、裁くことを容易に出来ていた。
春は溜め込んでいた息を吐き出し、緋奈を仕方なく見る。
「正直に言うと、鳥羽さんの服装を気にしてるから……スカートやシャツがはだけたりして、あいつらと同類にされたくないから」
「はあ、その考えの時点で向き合ってないの。このシャツがかすった鉛玉くらいで破けることもなければ、スパッツを履いてるから木藤くんに見られるくらいどうってことないの」
「言っていいんだ、それ」
「最初の頃に透けて下着を見られたのに比べれば安いものよ。だからって、触っていい、とは一言も言ってないわ」
「触ろうともしていなければ、触る気もないから」
「どうかしら。ほら、あなたの方からどうぞ。見定めてあげる」
春は緋奈の言葉を信じ、構え、一歩を踏み出した。
ゆっくりと振られて落ちる木刀。それは、緋奈の木刀に当たる直前で加速する。
ようやく、とでも言いたげな様子で緋奈は笑みを見せた。
緋奈はやはり合気を扱えるのか、まるで綿、受け流されている中で反撃されているようだ。
柔らかく包み、傷つけない、技量が備わっていなければ出来たものではない。
「あのさ、なんで鳥羽さんは木刀、いや、振るうことが好きなんだ?」
「愚問。組織的には攻める必要はないの、だから護身的、体を整えるためよ」
「努力してるんだな」
「体型を維持するための努力を怠るのなら、努力の必要が無いの。女の子相手に、それを言わせるのは失格よ」
ほんの少し殺意じみた発言に感じたが、いつものことか、と春は自身の発言の過ちを流すことにした。
過ちを口にしたのなら、それは相手を知るためだったと思えばいいのだから。仮にそれで相手が離れるのであれば、相手が自分を必要としていない、自分も相手を必要としていない、ただその事実だけでことが済むのだ。
春は緋奈を少しでも知れた、その事実に嬉しさを覚えている。
過ちは行動で示して返すように、春は緋奈と対等に相手をしているのだ。
とはいえ緋奈が木刀を振り慣れている影響か、春の方が劣勢に変わりはない。
力量を技術で埋める、才能でありながら、天才とも言える努力が緋奈には垣間見えるのだ。
受けて当てて、を繰り返しているからこそ、春はその技術を見抜きつつあった。
「なら、これで――あわわ!」
春は力強く踏み込むと同時に、地面に足を取られて姿勢を崩してしまったのだ。
勢いのまま、前のめりで緋奈の方へと倒れていき……。
「ちょっと、きと――きゃっ!」
春は緋奈に覆いかぶさる形で、押し倒す状態で倒れてしまったのだ。
手に木刀を持っていたら危なかったかもしれないが、木刀は姿勢を崩した時に手放しており、地面に転げ落ちている。
(……夢か、これは?)
春は今の状況に、思わす息を呑み込んだ。
目と目が合う、少し距離を詰めれば口が重なる、それほどまでに顔の距離が近かった。
透き通るような茶色の瞳には、春の顔が反射して映っている。
ただ一筋に見ている、というよりも呆気に取られているのかもしれない。
緋奈は恥ずかしいのか、じんわりと顔を赤くしており、涙目になりつつある。
「ご、ごめん! こんなつもり……は――」
春はすぐさま緋奈の上から起き上がって避けようとした時、力を入れた手に違和感を覚えた。
片手は地面について、緋奈に体重がかからないように自身の体を支えている。
しかしもう片方の手は、確かな柔らかさを感じたのだ。
(……え、あああ、えあおえあ?? ……柔らかい……ああ、胸、か……胸、ああ、鳥羽、さん、の……!?)
その手を見ると、間違いなく、緋奈のふくらみを揉んでいる。
揉んでいるというよりも、上から触れている、が正しいだろう。
春は手のひらに、自分にない柔らかさを、大きさを、実感している。
そう、服越しからなる下着越しであったとしても、実感してしまったのだ。
不慮の事故だとしても、打ち破ってはいけない壁を壊してしまったと言ってもいいだろう。
「あ、あの、鳥羽さん……」
「とりあえず、その手をどけてもらってもいいかしら? 堪能……したのでしょう?」
「は、はい」
はい、と言ってはいけない。
頭では分かっていても、春は口にしてしまったのだ。
春が手を避けて立ち上がると、緋奈は手に木刀を力強く持って立ち上がっている。
無防備な春に対して、緋奈は明らかに狩る側の雰囲気を宿していた。
緋奈が今でも顔を赤くしているのは、云うまでもなく春の手が自身の胸に触れていると最初から気づいていたからだろう。
緋奈は息を吐き出してから、穏やかな笑みで見てきた。
「触ったこと、弾力を知ったこと、あなたは忘れられるかしら? まあ、あなたが嘘をつけないのは、今までの話で分かっているの、気にしないで」
「……えっと、無理。無理だよ! 確かに事故だけど、あの柔らかさ……ましてや大きさを知れるほどの残った温かさ、どうすればいいと!」
「本当に、あなたが素直、正直もので助かるわ」
緋奈は微笑みある言葉とは裏腹に、向けた木刀を構えなおしたかと思えば、その木刀から銀の刃が姿を見せたのだ。
否が応でも、あの刃の錆にされるのだと、瞬時に理解できてしまう。
「冥途の土産に持っていくといいわ。安心してちょうだい……忘れる必要はないの。覚えている者を消せば、忘れさせるのは容易いもの」
緋奈が美少女及びに淑女でなければ、どれほど戦慄しなかったことか。
緋奈は凛とした笑みを浮かべているが、明らかに含みのあるものだと、身震いした肌は本能に直接訴えかけてきている。
優しさとは、常に凶器であり、狂喜できるものだ。
「本当にごめんなさい! 忘れることはできなくても、謝るだけで済むものではないけど、許してほしいんだ!」
「はあ。紳士じゃないのに、心意気だけは紳士なのよね……よかったわね、私のペアで」
「あんなことがあったのに、ペアって認めてくれるのか?」
「本当のペアかはさておいて、あなたは十分に示してくれた。付き合わせたのは私よ。だから、その……」
緋奈は少し考え、深呼吸をし、木刀を地面に突き刺し春を見つめていた。
とはいえ、地面により深く突き刺さっているので、銀の刃の切れ味が垣間見えているのだが。
「ありがとう。私の趣味に付き合ってくれて……」
「うん。お詫びってわけじゃないんだけど、僕でよければ、今後も付き合うから」
「そうね。本当に、正直者、素直、行動派。戻りましょうか」
緋奈に呆れられこそしたが、春は無事に切り抜けられたのだ。
交えなければ、こうして知る機会も、緋奈を見る機会も少なかっただろう。
家の中に戻る際、大きさや柔らかさを他言しないように、と木刀を向けられて念を押されたのは別のお話。




