07 迷いを、中心に重ね合わせて
学校から帰宅後、春はリビングのソファに腰を掛けていた。
最初に来た頃は何もなかったが、次の日にはソファにテーブル、食事用にダイニングテーブルと椅子など、緋奈が手配していた家具が一式届いたのだ。
緋奈曰く、全て組織経由らしく、ネノプロジェクトの試練に対する本気度が垣間見えている。
また家は借りている状態だが、合否次第では明け渡して貰えるらしい。
家を借りている、という観点だけで言えば、お隣の家はどうやら劫とその彼女である雫が同じく同棲しているようだ。
一緒に帰ることを提案してきたのは、劫は既に春が隣に住んでいると知っていたからだろう。
それを言えば、緋奈も全てを知っていたようだが。
「木藤くん、具合は大丈夫? 固まっていたから……その、一緒に住む関係だから、気になったの」
緋奈は目の前のテーブルに紅茶の入ったティーカップを二つ置いてから、相向かいのソファに腰をかけていた。
座る仕草すらも上品で、座ったことを認識するのが難しいと思えてしまう。
現状、緋奈の服装に驚きを隠せない春としては、少々混乱してしまうのだが。
「用意してくれてありがとう」
「気にしなくていいの。話をする気だったのは私だし、紅茶はただの趣味」
「……具合は何ともないよ。ちょっと、動揺してただけで」
そう、と息をこぼし、緋奈はティーカップを手に取っていた。
ゆらりと揺れる湯気すらも、緋奈の口に触れただけで止まっているように見えてしまう。
春自身、彼女を意識しすぎだと理解しているが、言葉の影響か注視してしまうのだ。
春は拳を握りしめてから、緋奈を深く見た。
「あのさ、鳥羽さん」
「どうしたの?」
「……鳥羽さんは、協力関係……お互いに行動しあう、そのことについてはどう思う?」
春は気になっていたのだ。
コマンダーとの話の際、緋奈は間違いなく反論していた。それだけならまだしも、明らかに春を実力不足と判断し、危険な行動は全て受け持つとすら取れる発言をしていたのだ。
緋奈が一人でやり通す、その意志は評価すべきだろう。
春が自分のこと……少なくとも過去を話さないように、緋奈も組織における過去話をしたがらないのは重々理解している。
それでも緋奈の事を知りたいと、春は強く願ったのだ。
春が眼差しを向けているからか、緋奈は少し息を吐き出してから、ティーカップをテーブルの上に置いた。
「それについて話し合うとでも?」
「まあ、さっきの時点で答えは出てるよね。でも、僕はやっぱり、コマンダーの前じゃなくて、鳥羽さん自身から聞きたいんだ」
傲慢、と言われても仕方ないだろう。
実際春は、やると決めたら貫き通す意思を持っている。だからこそ、緋奈を知る、今はそれだけで十分なのだ。
「……過去を話す気はないの」
「過去を話すのは好きだよ」
「云われなくても。……強いていうなら、自分のミスを他人に背負わせたくない、それだけ……」
「それが協力を拒む理由?」
「それ以上を答える必要があると思った? 知りたいなら、無理やりにでも聞き出す、調べ上げること」
これは緋奈から告げられた、了承の証と受け取れる。
緋奈は以前、確認をすること、と基礎的な面を口にしていた。
勝手に調べるのは反するが、この後であれば春がどんな手段を持ちいろうと、緋奈の過去を知る機会があれば知ってもいいと言っているも同然である。
「私はあなたの事を調べた、そういえば対等でしょう?」
「どこまで?」
「一言で言えば、分からなかったわ」
「だろうね」
「だからこそ疑問なの。あなたは、一体どこの組織所属なの?」
春は正直、ネノプロジェクト以外の組織を全く知らない。
試練に参加する直前で聞かされたが、ネノプロジェクト自体、あくまで組織の頂点だ。
それに連なるツリーのように、傘下の組織として枝のように分岐している。
ネノプロジェクトから枝分かれしているが、原点たるネノプロジェクトは極秘独立機関であり、傘下の組織に属していても存在を知っているのは一握りにも満たないらしい。
秘匿性が何よりも高く、経済や情勢に左右されない、独立した組織。
その組織に試練から目指す以上、緋奈が言っていたように試練者間での組織の話はタブーとなるのだろう。
緋奈は劫に対してそう口にしていたが、聞いてくるのはそれなりの理由があるのだろう。
「もちろん、組織の話をするのはルール違反。それでも、私はあなたをペアだと認めるのなら、多少なりとも知る権利がある。抹消されている、あなたの出生、過去、家族関係であっても」
「驚きだよ、そこまで調べあげていたなんて」
「コマンダーのあの不自然な資料。それを踏まえて、ようやく確信をもったところ」
緋奈を甘く見積もっていた節があった。
それを改めないといけない、と春は強く思ってしまう。
実際、春の過去を知れないのは当然として、抹消されている痕跡を見つけたのは緋奈が初めてなのだ。
組織の試験に春は何度か参加していたが、そのうちの全てにおいて相手は何も知らなかったのだから。
春はティーカップに口をつけてから、息を吐き出す。
「答えられる範囲だけど……まず、僕は組織について、この試練が始まる前日までは何も知らなかった。軽く聞いた程度だし、君たちの組織が傘下であるということで、組織自体も理解していない」
春は初めて、組織の成り立ちを試練前に知ったのだ。
「僕は推薦者として、コマンダーの言っていたネノプロジェクト……その組織の内部から立候補されただけだ」
緋奈は目を丸くしていた。
春がネノプロジェクト及び組織に所属こそしていないが、その関係者の一部からだとは思いもしなかったのだろう。
春はどちらかと言えば、ネノプロジェクトと直接関係があるわけでなく、あくまで間接的だ。運よく拾われた、と表現した方が正しいほどに。
裏付けるように、春には参加するか選ぶ権利はあった。だが、紳士を目指している以上、断る理由が無かったのも事実だ。
緋奈はそっと胸に手を当てて、息を吐き出していた。
情報を整理するために落ち着かせる、精神統一の一種だろう。
緋奈がここまで明らかな仕草を見せるのは、ここ一週間ほど過ごしてきたが初めてだ。
「あの時のペンといい、今までの行動……少しばかり、納得がいく。考えれば、組織に関与していない人間が試練を受けたところで、小手調べで息苦しくなっているわよね」
「爪を研ぐのを忘れれば、お洒落に気を使っても意味がないからかな」
「やっぱり、木藤くんは紳士としては認められない。でも、お父様の面影……不器用なところは、紳士らしさを感じる」
褒めているのか否定しているのか、緋奈の発言は理解しがたいものだ。
理解できないのに、ほっとするのも事実である。
春としては、緋奈に自分がどんな紳士として見られているか、それがずっと不安だった気持ちが勝っていたせいだろう。
最初の時点で、紳士として否定される酷評をされこそしたが、気になりはするものだ。
またコマンダーから、近くて遠い、と受け取れる発言をされたからこそ、揺らいでしまいかけたのかもしれない。
「ところで木藤くん」
「はい」
「どうしてさっきから目が泳いでいるの?」
緋奈はそう言って、首を傾げていた。
頭の後ろで揺れるポニーテールは、動揺している春にとってはこそばゆさを感じさせてくる。
春の視線が安定していないのは事実であり、その原因が緋奈の姿だ。
緋奈は現在、クリーム色の長袖シャツに、灰色のスカートを身に着けている。
シャツは無地で特徴が無く、むしろ緋奈の体型を理解させてくるのだ。
一般的な服装だからこそ、緋奈の元ある雰囲気含め、緩やかなラインからなる、ふくらみすらも男としては見逃せないものと言える。
緋奈は今まで一般的な服を着ている様子が無かったどころか、ほとんどブラウスかフレアスカートの組み合わせだったのもあり、上品から離れた服装は珍しいのだ。
「その、えっと……服装が違うから、目のやり場に困ってたんだ」
「そういうこと。別に見ても構わないわよ。私は組織的な動きが無い限り、こういった服装をしているの。もちろん、家の中限定だから。見ることが出来る木藤くんは、運がいいだけ」
「にしては刺激が……」
「女の子の服に弱すぎなだけじゃないの? もしくは、お隣さんと同じく、むっつりを超えた獣かしら?」
「あいつらと一緒にしないで!」
春は異性に耐性が無いというよりも、緋奈に対してだけに近い。
異性という観点だけで見れば、ここまで意識したのは今の今まで一度もないのだから。
緋奈が学校の誰もが認める美少女だからなのか、同じ屋根の下に住む関係になっているからなのかは、春自身も分かっていない。
ある意味壁として立ちはだかっている今、自分の事を理解できず、紳士になるのは不可能だ。
さり気なく、紳士を目指す上では、緋奈という高い壁を超える必要が出来ている。
春の気持ちを知ってか、わざとらしく人差し指を口元に当てている緋奈は、誘っていると受け取れても仕方ないだろう。
春が深く呼吸をすると、緋奈は珍しく微笑んでいる。
「あのさ……どうして服装について教えてくれたの?」
「木藤くんが、私について知りたがっているからよ。もしかして、それすらも見抜かれていないとでも? それなら私を侮りすぎどころか、紳士としては未熟よ」
「流石淑女……一つの言葉の重みが違うな」
淑女という言葉を緋奈に言いたくはなかったが、今の場では適切と言える。
組織的に目指すのが紳士という立場が春であれば、緋奈は淑女という立場でこちらを見ているのだから。
紳士と淑女、一見同じようで違いながら、天秤のように欠けてはいけないものだ。
気づけば、緋奈は立ち上がって、春を軽く見てきていた。
「木藤くん」
「……なんだよ」
「言葉遣い……は、まあいい。振れるものは好きかしら?」
「触れるもの? 振れるもの?」
「発音的に、後者の方よ。前者が『の』だけになったら、地の穴に落ちてもらいたいところね」
振れるものが好きかと聞かれれば、答えは無いに等しいものだ。
振れるものなら、ペンか自分くらいしか春は振っていないのだから。
「私の趣味を知ったのだし、せっかくだから付き合ってちょうだい」
「つ、付き合う!? いや待って、いつ趣味を知った!」
「そうよ。私の、好きな日課、にね」
後者の問いに対して答える気が無い緋奈に苦笑しつつも、春は立ち上がり、緋奈の後に続くことにした。
(振れるもの? 最近の姫君たちは特殊な趣味でも持っているのか?)
庭に出るらしいが、緋奈が一体どんな日課を持っているのか、春は不思議でならないのだった。




