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×愛ーカケアイー  作者: 菜乃音


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04 静かな休息、異性との交流は心を鍛える

 暫くして、閉じていたシャッターの開く音が家中に響き渡っている。


 二階と一階を繋ぐ階段が露わになっても、春は緋奈の隣で座っていた。


 沈黙こそあったが、暗闇の時間はずっと、手の甲に小さな手が重なっていた。

 確かな温かさは、人肌でしか知ることがないのだろう。

 春は知らない温かさだったからこそ、濡れてしまった服も気にならないほどに、ほっとしている。


「木藤くん」

「どうした?」


 緋奈が口を開きこそしたが、春はただ前を見ていた。

 前を向くのは、緋奈を見る覚悟が今は無いからだろう。

 初めてのキスの味、緋奈を見るだけでもそれを意識しかねないからだ。


 春自身、異性と行動することは少なからずあったが、異性との関係性についてはほとんどノータッチでやってきた。だからこそ、この不完全な、それでいて温かな気持ちに困惑している。


「私は木藤くんを、今でも評価しているの。自分の身を守れるほどに鍛えていないと、この先はやっていけないから」

「水の中でも、何度も聞いた。鳥羽さんの指の動き、それを忘れられないくらいにな」

「あなたは紳士としては残念だけど……私のヒーローとしては、十分。忘れないこと。生きて帰れなければ、安心できるものもできない、誰かが泣くことになる」

「失うのが怖いなら、誇れるように行動する。それとは真逆のようで、一貫してるな」


 緋奈が言いたいのは、自分の命を優先しろ、ということだ。

 仮に先ほどの試練中に水を抜く行動こそしたが、抜け切るまでに息が持たずに窒息していた。

 最悪の事態にならなかったのは、緋奈が口を重ね、息を分けてくれたから、というのは春自身が重々理解している。


 緋奈の優しさに、緋奈の人柄に、春は甘えてしまったのだ。

 場面的に甘えかと言われれば微妙だが、命を蔑ろにしたのは変えようのない事実になっている。


「あっ、これ」


 緋奈はそう言って、何かを拾い上げている。


 横目で見ると、緋奈の手には春が先ほどまで持っていたペンが握られていた。

 ペンを見たところ、ペン先は窓に無理やり押し付けた影響か小さなヒビが入り、いくつかの機能は停止しているようだ。


「……それは、鳥羽さんのお父さんが僕にくれたものだよ。普段使いのペンだけど、先のウォーターカッターに、小型ナイフや簡易的な火が出せる優れものだよ」

「組織の道具なのね。窓にぶつけた影響で、役割を果たせないみたいだけど」

「鳥羽さんを救ったんだから、冥利に尽きるだろうね。そのまま冥界に行く時点で笑えたもんじゃない」


 持っていた黒いペンは、今後も大事に使える大切なものだった。

 それをむやみやたら、一か八かの賭けで窓に使ってしまったのは春の落ち度だ。

 ペンがその身をもって命を救った事実を思えば、懺悔をするのはお門違いでもある。


「……木藤くん、このペン、しばらく私に預けてもらってもいい?」

「まあ、直すのかどうか知らないけど、持っているといいよ。その状態じゃ、どっちにしろ僕が持っていても宝の持ち腐れだからね」


 皮肉ね、と苦言を口にする緋奈は、機能不良であってもペン自体は使えると見抜いているのだろう。


 春は息を吐き出して、ゆっくりと緋奈を見た。

 緋奈を見た直後、真正面で無いとはいえ春は後悔しかけたのだが。


 後悔よりも、不慮の事故で見てはいけないものを見た、という感情の方が正しい。


(え、あ、なんで透けて。そっか、そうだよな、人体に密着してる水だからか)


 緋奈の今の姿は、実に扇情的だ。


 水の影響を受けてか、緋奈のブラウスは予想以上に水を吸ってしまったようで、体のラインがくっきりと分かるほどに服が張り付いているのだ。


 服が張り付くだけならまだしも、ブラウスの中にインナー類を着ていないのか、確かな色が浮かび上がっている。


 胸を隠す下着が誘うような赤色を露わにし、フリルが付いたものである、と詳細な情報を春の視線を貫いて脳へと浸食していた。


 更に言えば、ふくらみはラインを強調しているのか、緋奈の身長も相まってか大きく見える。

 緋奈は着やせするタイプと今なら分かるほどに、服の上から見ていた大きさよりも違いがハッキリとしていた。


 フレアスカートも水の影響を受けているようだが、張り付くまでいかないのは幸いだろう。

 とはいえ、未だに垂れている水滴が緋奈の足を辿っているので目のやり場に困るのだが。


 自身が紳士であるのなら、愛すべき者以外の妖艶たる姿を見るべきではない、と気持ちが理解している。

 それでも春は、緋奈に至っては目線を泳がそうにも、どうしても見てしまったのだ。


 春が硬直している際、緋奈は首を傾げるだけなので、自身の状態を認識していないのだろう。


 息を呑み込んで、ようやっと春は脳が再起動を開始した。


「実に水に流したい事態だな。いや、既にフィルムが焦げるほどに焼いたけどさ」

「はあ、何を言いたいの?」


 蔑んだような目を向けながら緋奈が真正面を向いてくるので、春は鮮明に見えてしまった緋奈の姿に鼓動の早まりを感じてしまう。


 たとえ水に濡れていても、彼女は美少女、容姿端麗で一滴の狂いもない、淑女たる美しさを持っているのだ。


 落ちる水滴、肌を撫でる水滴、そのどれもが緋奈を引き立てている、と断言しても良いほどに。


「……単刀直入に言おうか」

「言いたいことがあるのなら、どうぞ」

「服が濡れて透けてるから、赤いのが見えてる。それと、胸の大きさがわか――」

「そ、それ以上は言わなくていいの!」


 緋奈は焦るように片腕で胸を隠したかと思えば、もう片方の手で春の口を塞いできたのだ。

 腕で隠すのは理解できるが、胸元が寄ったことによって柔らかさを視線が捉えてしまうのは、気持ち的には毒そのものである。


(まあ、僕らしくはある、のか?)


 春は遅かれ早かれ、緋奈を見た時点で脳に焼き付けてしまったので後の祭りそのものだ。


「……そんなに見たいの?」

「先のキスが未来を実らせるキッカケなら、いずれは知りたい、見たいの欲求は生まれるだろうね」

「馬鹿、サイズとか絶対に教えないわよ。……隣の家の彼氏に甘い淫魔(いんま)じゃあるまいし」

「え、隣の家の淫魔?」


 やば、といった様子で緋奈が目を泳がすので、明らかに情報を知っているのは明確だろう。


 春としては、淫魔、という単語だけで隣の家の塀が高い理由に納得しかないのだが。


「まあ、この後がお風呂にしといてよかったな。お先にどうぞ」

「今回ばかりはお言葉に甘えさせてもらうわ」


 緋奈はそう言って立ち上がり、自室へと戻ろうとしていた。

 その間、少し悩んだ様子を見せた緋奈だが、春にわざとらしく自分を見せるかのように口元に指を添えている。

 緋奈が立っていたのもあって、濡れた容姿である服も含めて、妖艶と言わざるを得ない刺激を脳に与えてきたのだが。


 水の一滴ですら、緋奈にとっては身に着けるものだ、と認識させられてしまう程に。


「……紳士としては失格だけど、あなたの今後次第では見直さないといけないようね」

「僕は僕でしかないから、お気になさらず」


 呆れた、と一言置いていく緋奈の後姿を、春はただ追うしかなかった。


(そっか、鳥羽さんと今後も一緒なのか……え?)


 忘れかけていたが、異性と同じ屋根の下、今後も共に居る時間を過ごすことになるのだ。


 春が現状で困るのだとすれば、緋奈の後のお風呂、緋奈の寝間着姿を目撃するかもしれない、という異性との交流関係だ。

 一人の紳士を目指しているが、精神修業が試練の一環と勘違いしそうになるのは遠慮願いたいだろう。


 春が座りこんで考えていると、手提げを持った緋奈が後ろに立っていた。


「別に、木藤くんは襲わなさそうだから、特に距離を取るように命じるとかない」

「……鳥羽さんは、異性との生活は初めてではないのか?」

「初めてよ。これでも、緊張しているの、言わせないで。……その素直な聞き方、下着を見られるより、恥ずかしくなるのだけど……ううぅ」


 緋奈はそう言って、頬を赤く染めて、潤んだ瞳で春を見てきた。

 見てきていたが恥ずかしくなったのか、逃げるように一階にあるお風呂場へと向かってしまったのだが。


「はあ。鳥羽さんとは、仲良くしたいかな」


 春休み明けまでには、緋奈との距離に慣れておく必要がある、と春は頭に刻みつつも……心は男だからこそ、緋奈の濡れ姿を忘れられなかったのだ。

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