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第8話:悪意の道しるべ

 拒絶の言葉は呪いのように私の心を蝕んでいた。

『もう、君の顔は見たくない』

 セルジオさんのあの凍てつくような眼差し。軽蔑と嫌悪に満ちた低い声。

 カビ臭いアパートの薄汚れたベッドの上で、私は膝を抱え、一週間もの間、何度も何度もその場面を反芻していた。

 窓の外はまだ薄暗い。

 あの岩場で拒絶され、絶望のままに転倒して擦りむいた膝や、打ち付けた腰の痛みは、一週間が経って随分と薄れていた。けれど、体の痛みなんてどうでもよかった。胸に空いた穴から私の生きる意味がドボドボと漏れ出していくような感覚の方が、遥かに恐ろしかった。

「……あやまらなきゃ」

 乾いた唇から、うわ言のように言葉がこぼれる。

私が悪かったのだ。私が弱くて、無様で、彼の足を引っ張ったから、あんなに優しい彼を怒らせてしまったのだ。

 ちゃんと謝って、許してもらわなきゃ。

 彼に見捨てられたら、私はまた「死神」と呼ばれるだけの孤独なゴミに戻ってしまう。それだけは嫌だ。絶対に嫌だ。

 重い体を引きずり起きる。

 洗面台の割れた鏡には、一週間まともな食事も摂らず、目の下が黒く窪んだ幽霊のような自分が映っていた。

 水を顔に叩きつけ、無理やり意識を覚醒させる。

 行こう。ギルドへ。彼が来る前に待っていよう。土下座でもなんでもして、足元に縋り付いてでも許しを請おう。

 アインクランの朝は早い。

 通りには既に多くの冒険者たちが行き交い、クエストへの活気に満ちていた。

 けれど、私が歩くと、その活気が潮が引くように避けていく。

 「死神だ」「朝から縁起でもない」

 ヒソヒソという嘲笑。突き刺さる視線。いつもなら俯いてやり過ごすだけのそれが、今日は皮膚を直接切り裂く刃物のように感じられた。

 セルジオという「盾」がないだけで、世界はこんなにも寒くて、鋭利だった。

 ギルドの重い扉を押し開ける。

 ムッとする熱気と喧騒。

 私は柱の影に隠れるようにして、ロビーを見渡した。

 いつもならこの時間帯、彼は窓際のソファで資料を読んでいるか、装備の最終確認をしているはずだ。青と黒の制服姿は遠目でもすぐに分かる。

 ……いない。

 どこを見ても彼の姿がない。

(遅れてるのかな……それとも、あの時の怪我が……)

 不安が喉元までせり上がる。

 一時間、二時間。私は入り口で立ち尽くし待ち続けた。けれど、時計の針が正午を回ってもその姿は現れなかった。

 もう待てなかった。私は意を決して、受付カウンターへと足を向けた。

 あいにくいつも親切にしてくれるツバキさんの姿はない。休憩中だろうか。

 代わりにカウンターにいたのは茶髪の男性職員だ。名前は知らない。ただ、いつも私を見る目が、汚物を見るような目つきであることだけは知っていた。

「あ、あの……」

 声をかけると男は露骨に顔をしかめた。書類を整理する手を止めず、私の顔も見ようとしない。

「なんだよ、死神。何の用だ? 採取の依頼なら掲示板を見ろ」

「い、いえ……依頼じゃなくて……セルジオさんが、来てなくて……何か知ってますか?」

 私がその名前を出した瞬間、男の手が止まった。彼はゆっくりと顔を上げ、私を見た。その口元が、三日月のように歪に吊り上がっていく。

 それは、退屈を持て余した子供が、面白い玩具を見つけた時のような、純粋な悪意に満ちた笑みだった。

「ああ、セルジオか。あいつならもういないぜ」

「え……?」

「い・な・い・ん・だ・よ。ここにはな」

 心臓が早鐘を打つ。

 いないってどういうこと? まさか、辞めてしまったの? それとも、私のせいで入院してしまったの?

 視界が揺らぐ。

「ど、どこに行ったか、分かりますか……? 私、謝りたくて……」

 必死に食い下がると、男はわざとらしく顎に手を当て、「んー」と思案するふりをした。

 そして、近くにいた他の職員たちと目配せをする。彼らもまたニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべていた。

「そうだなあ。あいつ最近、だいぶメンタルやられてたみたいだしな。もともとイベリアから派遣された奴だし、またメンタルの不調で戻されたんじゃねぇか? よくある話らしいぜ」

「戻された……?」

「最近、ボロボロの手帳を眺めては『ファイナス村がどうの』ってブツブツ言ってたし、そこ行けばわかるんじゃねえの」

 ファイナス村。

 聞いたことのない地名だった。

「そこに行けば、セルジオさんに会えますか?」

「おうよ。あいつも寂しがり屋だからな、お前みたいに熱心なファンが追いかけてきたら、案外喜ぶんじゃねえか?」

 ドッと、カウンターの奥で職員たちが吹き出す声がした。

 何がおかしいのか分からない。けれど、今の私には、その言葉が唯一の希望の糸に見えた。

 会える。まだ、間に合うかもしれない。

「ありがとうございます! 私、行ってみます! ……あの、その村は、どう行けば……」

「はあ? 冒険者なら道順くらい自分で調べろよ。甘ったれんじゃねえ」

 男は冷たく言い放ち、シッシッと手を振って私を追い払った。

 何度もお辞儀をして、カウンターを離れた。

 ファイナス村。情報はそれだけだ。

 ギルド内の冒険者たちに聞いて回ることにした。恥も外聞もなかった。彼に会えるならなんだってする。

「あの、すみません。ファイナス村って……」

「あ? 知らねえよ。どけ、死神」

「近寄んな。呪いが移るだろ」

 誰一人として、まともに取り合ってくれない。声をかけるだけで罵倒され、突き飛ばされる。床に転がりながらもそれでも私は聞き続けた。

 一時間ほど彷徨っただろうか。

 ロビーの隅で酒を飲んでいた年配の冒険者が、私の惨めな姿を見て、憐れむように、あるいは嘲笑うように声をかけてきた。

「おいおい、ファイナス村だぁ? そんな地名は今の地図には載ってねえよ」

「え……地図に、ないんですか?」

「ああ。知りたきゃ、裏通りにある古本屋にでも行ってみな。あそこならカビの生えた古地図くらい置いてあるだろ」

 古本屋。

 その言葉に、私は弾かれたように顔を上げた。

 ありがとうございます、と頭を下げ、私はギルドを飛び出した。けれど、私の背後で、カウンターの職員たちが声を上げて笑っているのが聞こえた。

「おい、見たかよ。あいつマジで行く気だぜ」

「傑作だな。あそこ、数十年前に廃村になったゴーストタウンだろ?」

「モンスターの巣窟だって話じゃねえか。死ぬぜ、あいつ」

「いいじゃねえか。死神にはお似合いの墓場だろ。セルジオもせいせいするって」

 その残酷な真実は、必死に走る私の耳には届かなかった。

 彼らは知っていたのだ。あそこがただの廃墟であり、危険な死地であることを。それでも教えた。厄介払いのために。あるいは、私に降りかかろうとする不幸を楽しむかのように。

 外に出ると、空は重く鉛色に曇っていた。遠くで雷鳴が轟いている。

 私は裏通りへと続く暗い路地を、泥だらけの靴で駆け抜けた。偽りの道標とも知らずに、ただ彼に会いたいという一心だけで。

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