第11話:廃墟の雨と少女
ゴロゴロと、腹の底に響くような雷鳴が頭上で轟いた。
閃光が走るたび、闇の中に浮かび上がるのは、骸のような建物の群れだった。
ファイナス村。
そこは、村と呼ぶにはあまりにも凄惨な場所だった。
屋根は落ち、壁は崩れ、柱だけが墓標のように立ち尽くしている。石畳の道は割れ、その隙間から伸びた雑草が、かつて人の営みがあった場所を侵食していた。
人の気配など、どこにもない。あるのは、死に絶えた静寂と、叩きつけるような雨の音だけ。
「セルジオさん」
雨音に消されそうな声で、私は名前を呼んだ。けれど返事はない。当然だ。
建物の影、崩れた壁の向こう、枯れた井戸の中。泥を引きずりながら、私は必死に探し回った。けれど、どこを見ても、動くものはない。ネズミ一匹いない、完全な死の世界。
――療養には最適だ。あいつならそこにいるぜ。
ギルド職員の男の声が、脳内でリフレインする。あのにやけた顔。嘲るような目。
「……あ」
ようやく、私の鈍い頭が理解した。嘘だったんだ。
彼がここにいるはずがない。四十五年前に滅んだという廃墟に、人が住めるはずがない。彼らは知っていたのだ。ここがただの危険な廃墟であることを。その上で、私に教えた。
「死神」が勝手に死地へ向かうのを、面白い見世物として楽しむために。
「あは……、あはは……」
乾いた笑いが漏れた。膝から力が抜け、私は泥水の中に崩れ落ちた。
冷たい。泥が口に入る。
惨めだ。あまりにも惨めだ。恋に焦がれた乙女の冒険? 違う。これは、騙された馬鹿な女の、滑稽な自殺行だ。
「うぅ……っ、うあぁぁ……!」
笑いはすぐに慟哭に変わった。
地面を拳で叩く。泥飛沫が上がる。
痛い。寒い。寂しい。悔しい。
なんで私ばっかり。
リアルでも、この世界でも。なんで私は、いつも笑い者になって、泥水をすすらなきゃいけないの?
「……もう、いやだ」
心がポキンと折れる音がした。
もう動けない。指一本動かしたくない。私は泥の中に大の字になったまま、空を仰いだ。
雨粒が目に入り、涙と混じって流れていく。体温が急速に奪われていく。手足の感覚が消え、意識がぼんやりとしてくる。このまま眠ってしまえば、もう誰にも笑われない。もう傷つかなくて済む。
意識の灯火が消えかけた、その時だった。
チャプ、チャプ……。
雨音に混じって、誰かの足音が聞こえた気がした。幻聴だろうか。
いや、足音は軽やかに、スキップでもするかのように近づいてくる。
私は重い瞼をこじ開けた。雨のカーテンの向こう。崩れかけた教会の入り口に、誰かが立っていた。
セルジオさんじゃない。フリル付きの大きな傘を差した、小柄な人影だ。
「……うわぁ、ひっどい顔」
鈴を転がすような、可愛らしい声が降ってきた。
私は霞む視界で、その人物を見上げた。そこにいたのは、綺麗なツインテールに、この場所には不釣り合いなほどお洒落な真紅のコートを着た少女だった。
彼女は泥だらけの私を覗き込み、まるで汚れた野良犬でも見るような、それでいてどこか楽しげな目つきで見下ろしていた。
「ねえ、そこで何してるの? 泥遊び? それとも死体ごっこ?」
彼女はクスクスと笑った。
「……だれ……?」
「通りすがりの美少女。……と言いたいところだけど、ただの『聖地巡礼』。ねえ、このポエム知ってる?」
少女はフリル付きの傘を肩にかけ、空を仰ぐような大げさなポーズを取った。
「『降り続く雨が、石の街と僕の心の傷を洗い流していく。ここは孤独な魂の終着駅。理解者である彼女とだけ、永遠に寄り添い合えるファイナス村……』……あははは! 頭のおかしいメンヘラな男が裏でこそこそ書いてたポエムなんだけどさ。ここ、その気色悪い脳内設定にそっくりでしょ?」
少女はしゃがみ込み、私の泥だらけの頬を指先でツンとつついた。
「あいつがどんな顔してこれ書いてたのか想像するだけで、笑いが止まんなくてさ。……で? キミはなんなの。そのポエムの舞台で死にかけてる、間抜けな熱狂的ファン? それとも自殺志願者?」
「……しにたくない……」
「あはは! そりゃそうだ。死にたい奴はそんなに必死な顔しないもんね」
少女は立ち上がり、傘をくるりと回した。
「拾ってあげる。私もちょうど暇だったし、キミみたいな面白そうなオモチャ、放っておくのはもったいないしね」
「……え……?」
「ほら、立てる? 立てないなら引きずるよ?」
少女は私の手を強引に掴み上げた。小さくて華奢な手なのに、信じられないほどの力強さだった。
彼女は私を背負うどころか、まるでお姫様抱っこのように抱え上げると、楽しそうに微笑んだ。
「感謝してよね? 地獄の底で天使様に会えたんだからさ」
天使。
こんな腹黒そうな笑顔を浮かべる天使がどこにいるだろうか。けれど、彼女の体から漂う甘い香りと温もりだけは、本物だった。
「……なまえ」
薄れゆく意識の中で、私は問いかけた。この気まぐれな救世主の名前を。
少女は歩き出しながら、私の耳元で楽しげに囁いた。
「カナエ。……安心して眠りなよ、迷子のワンちゃん」
その言葉を最後に、私の意識はプツリと途切れた。
冷たい雨の音は遠ざかり、代わりに彼女のハミングだけが、子守唄のように響いていた。




