第五話「変わってしまった日常と、隠しきれない視線」
体育祭の翌日。
海星高校の教室は、まだ昨日の熱気を引きずっていた。黒板には体育祭の順位が書かれたままで、生徒たちは口々に昨日の思い出を語り合っている。
しかし、相沢湊にとって、世界は昨日までとは全く違う色をしていた。
「湊くん、おはよー!」
いつものように、白石結衣が明るい声で話しかけてきた。
「おはよう、結衣」
湊は努めて自然な笑顔を作った。しかし、心臓の奥で微かな罪悪感が疼くのを感じた。
「昨日のリレー、惜しかったねー。でも湊くん、かっこよかったよ!」
結衣は無邪気に笑う。彼女は本当に、湊の失敗を気にしていないようだった。以前の湊なら、その言葉に救われていただろう。でも今は、その無自覚な優しさが、かえって痛かった。
「……湊」
結衣の背後から、藤川栞が歩み寄ってきた。
「おはよう、栞」
「うん、おはよ」
栞の視線が、一瞬だけ湊の目と交差した。
昨日、放課後の教室で泣き崩れた湊を抱きしめた、あの温もり。
言葉には出さなくても、二人だけが共有している「秘密」の記憶が、その一瞬の視線に込められていた。
「あれ? 栞、なんか今日雰囲気違う?」
結衣が不思議そうに栞の顔を覗き込んだ。
「えっ? そ、そうかな?」
栞は慌てて目を逸らした。
「うん、なんか……女の子っぽくなったっていうか。もしかして、好きな人でもできた?」
結衣の冗談めかした言葉に、湊と栞は同時に息を呑んだ。
「ち、違うよ! 結衣の気のせいだって!」
栞は顔を真っ赤にして否定した。結衣は「ふーん?」と疑わしげな顔をしたが、すぐに別の話題へと移っていった。
湊は、ホッと胸をなでおろした。しかし、同時に気づいてしまった。
今まで、結衣の言葉の一挙一動に一喜一憂していた自分が、今は栞の反応ばかりを気にしていることに。
昼休み。
三人はいつものように、屋上で弁当を広げていた。
「そういえば、来月修学旅行だねー。班分け、どうする?」
結衣が卵焼きを頬張りながら言った。
「私たち三人は確定として、あと三人誰誘う?」
結衣は楽しそうに栞に話しかける。栞は「うーん、どうしようか」と相槌を打つが、その視線は時折、湊の方へと向けられていた。
湊もまた、結衣の話を聞きながら、無意識に栞の横顔を見つめていた。
風に揺れるショートボブの髪。昨日、湊の涙を拭ってくれた、少し冷たい手。
(俺は……)
湊は、自分の心の中で何かが決定的に変わり始めていることを自覚していた。
結衣への想いは、まだ消えていない。七年間も好きだったのだ。そう簡単に割り切れるものではない。
しかし、栞への意識は、確実に結衣への想いを侵食し始めていた。
「ねえ、湊くん聞いてる?」
結衣の声に、湊はハッと我に返った。
「あ、ああ、聞いてるよ。班分けだろ?」
「もう、心ここにあらずって感じ。何か悩み事でもあるの?」
結衣は心配そうに湊の顔を覗き込んだ。
その真っ直ぐな瞳に見つめられ、湊は胸が締め付けられるような思いがした。
「……なんでもないよ」
湊は嘘をついた。
結衣の隣で、栞が悲しそうに目を伏せるのが見えた。
日常は、もう元には戻らない。
三人の関係は、見えないところで確実に軋みを上げ始めていた。




