第六話「紅葉の清水寺と、気づかない距離」
十一月。海星高校の二年生は、三泊四日の修学旅行で京都を訪れていた。
修学旅行二日目。班行動のメインとなるこの日、湊、結衣、栞、そして健太を含む六人の班は、定番の観光ルートを回っていた。
「わあ、すごい! 本当に金ピカだ!」
金閣寺の鏡湖池の前で、結衣が無邪気な声を上げる。秋晴れの空の下、黄金に輝く楼閣が水面に美しく映り込んでいた。
「結衣、はしゃぎすぎ。周りの迷惑になるだろ」
健太が呆れたように言うが、結衣は全く気にする様子もなくスマートフォンで写真を撮りまくっている。
「だって修学旅行だよ? はしゃがなきゃ損じゃん。ねえ湊くん、一緒に写真撮ろ!」
結衣は湊の腕を引っ張り、強引にカメラのフレームに収めようとする。
いつもなら、湊は照れ隠しに文句を言いながらも嬉しそうに応じていたはずだった。しかし今の湊は、無意識のうちに結衣の手から自分の腕をそっと引き抜いていた。
「あ、ごめん。ちょっと喉渇いたから、お茶買ってきていいか?」
「え……あ、うん。いってらっしゃい」
結衣は少し戸惑ったような表情を見せたが、すぐに別の班員と話し始めた。
湊は自販機へ向かうふりをして、集団から少し距離を置いた。
体育祭のあの日から、湊の心の中で何かが決定的に変わっていた。結衣の無邪気な笑顔を見ても、以前のような胸の高鳴りがない。代わりに、彼女の無自覚な振る舞いを見るたびに、どこか冷めた感情を抱くようになっていた。
「……湊くん」
自販機で冷たい緑茶を買った湊の背中に、静かな声がかけられた。
振り返ると、栞が立っていた。彼女もまた、結衣たちの輪から少し離れた場所にいたのだ。
「栞。お前も喉渇いたのか?」
「ううん。ただ、湊くんが一人になりたそうだったから」
栞はそう言って、湊の隣に並んで立った。
「……結衣、楽しそうだね」
栞の視線の先では、結衣が健太たちと笑い合っている。
「ああ。あいつはどこに行ってもああだからな」
湊は淡々と答えた。その声に感情の起伏はない。
「湊くん、最近……結衣に対する態度、変わったよね」
栞が、探るように湊の顔を見上げる。
「そうか? 別に普通だろ」
「ううん。前みたいに、結衣を目で追わなくなった。それに……結衣が触れてきても、さりげなく避けてる」
栞の観察眼の鋭さに、湊は苦笑した。
「……バレてたか」
「ずっと見てたからね」
栞のその言葉には、深い意味が込められていた。しかし湊は、それにどう答えていいか分からず、ただ緑茶のペットボトルを握りしめた。
午後になり、一行は清水寺へと移動した。
清水の舞台から見下ろす景色は、赤や黄色に色づいた紅葉で埋め尽くされており、息を呑むような美しさだった。
「すごい……綺麗……」
栞が、舞台の手すりから身を乗り出すようにして景色を見つめる。その横顔は、紅葉の鮮やかな色に照らされて、どこか儚げで美しかった。
湊は、結衣ではなく、栞のその横顔をじっと見つめていた。
体育祭で泣き崩れた彼女を抱きしめたあの日から、湊の目は自然と栞を追うようになっていた。彼女が笑っているか、無理をしていないか、悲しそうな顔をしていないか。
「栞」
湊が声をかけると、栞が振り返った。
「写真、撮ろうか。せっかくだし」
「え……私と?」
栞が驚いたように目を丸くする。
「ああ。お前、さっきから風景の写真ばっかりで、自分の写真全然撮ってないだろ」
湊はスマートフォンを取り出し、カメラを起動した。
「……うん。ありがとう」
栞は少し恥ずかしそうに笑い、湊の隣に並んだ。
二人の肩が、ほんの少しだけ触れ合う。その微かな温もりに、湊の胸の奥が小さく高鳴った。
カシャッ、とシャッター音が鳴る。
画面には、紅葉を背景に、少しはにかんだような笑顔を見せる栞と、穏やかな表情の湊が写っていた。
「どう? ちゃんと撮れてる?」
栞が湊のスマートフォンを覗き込む。二人の顔が近づき、栞のシャンプーのほのかな香りが湊の鼻腔をくすぐった。
「ああ。結構いい感じだろ」
「ふふ、本当だ。後で送ってね」
二人が笑い合っているその様子を、少し離れた場所から見つめている視線があった。
「……」
結衣は、湊と栞が楽しそうに写真を撮っている光景を、言葉もなく見つめていた。
いつもなら「私も入れて!」と間に割って入っていたはずだ。しかし、今の結衣にはそれができなかった。
二人の間に流れる、穏やかで、しかしどこか親密な空気。それは、結衣が入り込む隙を与えないような、特別なものに見えた。
(……なんで、私とじゃなくて栞と?)
結衣の胸の奥に、チクリとした痛みが走る。
それは、今まで感じたことのない、得体の知れない感情だった。
修学旅行の昼下がり。
美しい紅葉の中で、三人の関係は静かに、しかし確実に形を変え始めていた。




