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The Hotel Scandinavia  作者: 奈鹿村
2章
5/6

2日目 1

 アルゲの意識は微睡みの中で揺蕩っていた。枕の感触を肌に感じる。掛け布団の重さが、この夢に少しのリアリティを足しているような気さえ、かすかに、した。乳白色の意識の波が、さざ波のように左右に揺れる。


 アルゲはこの波の中ではっきりとした意識を保ちつつ、その意識は透明で、無感動だった。彼女の眼が波の中で見開かれていたが、感覚としては上から波を覗いていた。しかし彼女は、自分が波の中にいることをはっきりと知っている。


 その時、ノックの音で起きた。顔を横にして枕に沈めながら、アルゲは俯けに寝ていた。また、すこし控えめなノックの音がする。アルゲはそのまま目をしばたたく。ノックの音があまりに遠慮がちだから、自分はまだ夢なのかしらと思う。また一回、ノックの音がした。


 アルゲは唸りながら腕をベッドに立てて、上体を起こす。


(眠い……だれ?)


 茫然とした意識を持ちながら、アルゲはベッドを抜け出した。脚がすこしふらつく。扉の前まで来て、自分が下着姿のままなことに気が付いた。シャツとパンツしか着ていない。じっと顔を下げて体を見てから、やはり茫然とした意識で、扉を少しだけ開けた。


 扉が少しの音を立てながら開かれる。廊下の明かりが暗い室内に入り込む。アルゲは、自分の身体が光にさらされないように、扉の内側に入り込むようにして、扉の隙間から顔を出した。廊下に佇んでいたのはパーシだった。


 パーシが気まずそうにこちらを見ている。彼女が何かを言う前に、アルゲは、よくここがわかったなと思った。そういえば、昨日の夜何回か廊下であったのだったか。アルゲはパーシの部屋を確かめていないが、彼女はアルゲが部屋に入るのを確かめていたらしい。三階が女性、四階が男性と階層によって性別が分けられていた。


「ごめんね。起こした?」


 その通りだ、という言葉を、アルゲは飲み込んだ。しかし表情はありのままに出たのだろう。


 パーシが作り笑いをして、気まずそうに言った。


「ごめんね。寝てたよね。ええと――ちょっと外に行こうと思ったんだけど、一人じゃ、怖いでしょ? それで誘いに来たんだ」


 まず、今何時なんだと思う。アルゲは背後を振り返って、時計を探した。すかさずパーシが言った。


「七時半だよ」


 ――ああ、なんて早いんだろう!


 アルゲは眉をひそめたが、つい頷いてしまった。


「本当!?」


 もう起こされてしまったのだ。けだるいが、別について行けないこともない。別段彼女と行きたい気分もないのだが。


「まあ……うん、いいよ。待ってて」


「ありがとう! ああ――」


 パーシが何かを言いかけたところで、アルゲは扉を閉めようとした。アルゲが扉を途中で止めて振り返ると、パーシが両手を軽く左右に上げながら言った。


「外套がいるよ。たぶん、少し寒い」


 たしかにパーシは薄めの外套を着ていた。アルゲはうなづきながら扉を閉める。


 アルゲはまずベッドに腰を下ろした。そのまま後ろに倒れこみたい気分だったが、なんとかこらえた。それにしても、なんて面倒くさいんだろう。アルゲは昨日、外の美しさに感動したが、それとこれとは話が別だった。アルゲは重い腰を上げて立ち上がり、部屋のカーテンを開けた。確かに外はぼんやりと明るかった。アルゲはさっと顔を洗って、髪を濡らして、ドライヤーで髪を乾かしながら着ていく服を考えた。


「またせたね」


 アルゲが扉を開けたとき、パーシは廊下の先を意味もなさげに眺めていた。


「ううん! 全然」


 アルゲは羽織った外套の前縁を両手をそれぞれつかんで、着心地を直す。


「じゃあいこっか」


 言って、アルゲはパーシと廊下を進み始めた。


 二階に降りた。左手には図書室がある。アルゲは右手に進んだ。右手は一階へ繋がる階段がある。調理室の前で二人は足を止めた。窓からダージが作業をしているのが見えた。アルゲは窓を開けて声をかけようとしたが、窓は閉まっていた。二人で扉のところまで行って、扉を開けた。


「おはよう」


 ダージが言うから、二人は同じように返してから、ダージの傍に寄った。


「どこかへ行くの?」


「うん、今からパーシと外へ行く」


 アルゲが答えた。


 調理室は壁側に冷蔵庫が並び、部屋の真ん中に台所の付属した流し場が、互いに背を合わせながら一列に並び、それが二列あった。ダージはそのうち一つの下部を開いていた。パーシがダージの開いているところを覗き込みながら言った。


「何してるの?」


「今食器とか、調理器具を確認してたんだよ。ちょっと古いのもあるけど、まあ全体的にきれいで、うん、うまく使えそうだよ」


「へえ」


 アルゲが声を上げた。


 アルゲたちは調理室を抜け出して、一階に降りた。ロビーを抜けて外へ出る。朝日は天頂に向けて登りつつあり、朝日がホテルの周りの原を照らしていた。それでも、雲があるからだろうか、外はまだ薄暗さを残していた。


「きれいだねー。わたし、こういうところに来たことが……ほとんどないんだよ」


「そうなの?」


 アルゲたちは外を目的なく歩いている。パーシの焼けた肌は日に焼けたからだろう。服の内側に見え隠れする彼女の本来の肌の白さが、それを裏付けていた。アルゲはてっきり、パーシはこういう自然と親しんできたのだと思っていた。


「うん。わたしのところには、こんな自然はあんまりなかったんだ」


「本当に?」


 アルゲが言うと、パージは頷いた。


「わたしのところは都会でね。なんていうか、もう本当に街の中だったんだ」


 パーシは言いながら、草を踏み分けながら進む。二人は自然と、ホテルの周りを回るように進んでいた。


 へえ、とアルゲは声を上げた。


「わたしの街はね、白い大きな建物が、無機質に並んでいて、すごくつまらないところ」


「でも、あなたの肌はすごく焼けてるよ。だから、わたし、てっきり……」


「これは作り物だよ。わたしたちには、自然の光は贅沢品だった」


「そう……」


 アルゲには彼女の言っていることがよくわかる。世界にはそういうところもあるのだ、と聞いている。

 パーシが言った。


「あなたの故郷は?」


 アルゲは軽く笑った。


「大したところじゃないよ。山間の小さな村から出て、その近くの小さな街でくらしてた」


「そこはいいところだった?」


 アルゲは歩きながら肩をすくめた。


「さあね。よくもあり、わるくもあり。そんな感じ。でもつまらない街だったなあ」


 アルゲがそう言えば、パーシはくすりと笑った。


 二人がホテルの後ろ側にきたところで、パーシが足を止めた。


「ほら、あそこ、見える?」


 言いながら、パーシは指を指す。彼女の指の先、奥に小さな建物の影が見えた。


「あれなんだろう」


 アルゲの問いに、パーシは少し唸った。


「行ってみようよ」


「気になるの?」


 言われて、パーシは、うんと頷いた。


 小さいホテルだ。外に出てからここに来るまで大した時間もかかってない。アルゲは朝の散歩がてら、パーシに付き合うことにした。もしかしたら、もっと彼女と仲良くなれるかもしれない。それならそれに越したことはないはずだ。


 二人は草原を歩き続けた。しばらくすると、黒い影は輪郭をはっきりさせ、建物の形がわかり始めた。それは平たい、二階だての家だった。


「家かな?」


 アルゲが言うと、パーシは頷いた。


「そうだね」


 二人は家の前で立ち止まる。


「どうする? 入る?」


 パーシは玄関扉前の石段に建ちながら言った。


 アルゲは少し迷った。家は年季が入ってるような佇まいだが、小ぎれいな風だった。だが、アルゲは迷った。


「誰もいないよね?」


 パーシがアルゲを見る。悩むような顔をして、彼女は何も言わない。


(もちろん、そのはずだ。わたしたち以外には誰もいないんだ)


 しかし、時の流れを感じさせるこの家のありようは、アルゲにもしかしたら中に誰かいるかもしれないとの不安を感じさせた。


 ――馬鹿な。そう思って、アルゲはパーシに言った。


「ちょっとだけ、見てみようよ」


 パーシが扉を開けて、家の中へ入る。入ってすぐ居間だった。扉から前に進んで階段があって、二階へ続いていた。家は簡素な造りで、この居間の中にテーブル、椅子、台所が並んでいた。


 二人は入り口近くで立ち尽くす。


 中は思ったよりもきれいなままだ。二人が黙っていたから、部屋は静かだ。アルゲは自然と耳を澄ます形になっていた。何も聞こえない。階段の先は降り曲がって上へ続いている。折れたところにぼんやりと闇があった。それを怖いとは思わなかったが、自ら好んで足を進めようとも思わなかった。


 パーシが気後れしたような声を出した。


「あー、どうする?」


「中みてく?」


 言った時には、アルゲはすでに一歩踏み出していた。椅子の隣に立って、それを少し動かしてみる。

「いや、ごめん、わたしちょっと怖いかも」


「え?」


 意外と気弱なことを言うんだ、とアルゲは思った。パーシは見た目から運動が得意そうで……気丈に見える。アルゲだって、別に無人の家に入るのに何の抵抗がないわけではない。それでも、二人でいれば怖いものなのどあまりない。だが彼女は怖いのだ。それが、意外だった。


「怖い?」


「ううん、そういうわけじゃないんだけど。ただ、今はちょっと帰りたいかも」


 怖いのではないのかもしれない。何を気後れしているんだろう。アルゲはそう思いながら、椅子をつま先で元の場所で戻した。


 二人は草原を歩く。外はもうすっかり明るくなっていた。朝日の朗らかな光が足元の草を光らしている。


 アルゲはパーシと雑談をしながら、自分の腕を持ち上げた。袖をまくって、折った腕を上げる。白い肌に光がさして、腕の上部が光っていた。それに温かい。


 パーシがアルゲを見た。


「あの家なんだろうね」


「わからない。ああ、そうだ、シズも誘えばよかった」


 パーシがにこりとした。


「誘えば来てくれたかなー?」


「どうして彼女は誘わなかったの?」


「ううん、誘わなかったんじゃなくて、誘えなかった。わたし、彼女の部屋をしらないんだ。でも、彼女ならきっと来てくれたと思う。なんだかとても人が好さそうだったし、あの人のお母さんとは全然違うね!」


「どうしてわたしの部屋はわかったの?」


 パーシが少し軽く空を振り仰ぎながら、いう。


「昨日の夜、あなたの後ろを歩いてたんだ。たまたまだったんだけど、あなたが部屋に入ったのが見えたんだよ。それであなたの部屋を知っていたんだよ。ねえ、今度は三人であの家へ行っていようよ」


 アルゲはあの家へ大した興味を持っていない。でも、どうせ暇なのだから、否やはない。


「どうしてさっき、見て回ろうとしなかったの?」


 パーシは足を止めて、背後を振り向いた。


「なんだか、気軽に足を踏み入れてはいけないような気がした」


「人の家だからってこと?」


 パーシは少し悩んでいるかのように、軽く俯いてから、アルゲの眼を見る。


「違う。わからないよ」


「そう」


 言って、二人はまた歩き出した。でもまたすぐに、話題は戻る。


「あの家何なんだろうね。どうしてあんなところにあるんだろうね」


 アルゲが言うと、パーシはアルゲを見る。


「さあ……。見当つかない」


 アルゲたちはホテルに戻ると、三階で解散した。パーシの部屋は階段側にあるようで、アルゲが彼女が部屋に入るのを見送る形となった。


「さっきはありがとうね」


「気にしないで。いい散歩になったよ。また行こう」


 パーシは戸口に立ちながら、アルゲを見る。


「そういってくれてうれしいよ。あと一時間もないけど……朝食で、またね」


 はーい、と軽く手を振って、アルゲは廊下を歩く。


 アルゲは朝食で全員に顔を合わせた。朝食はパンと牛乳の簡素なものだった。ジャムの瓶が長テーブルの上にいくつも置かれていた。


 アルゲはそれを不思議に思ってのぞき込む。大別すればイチゴ味になるそれも、瓶にはいろいろな名札がつけられていた。名札の下にラベルが張ってあったが、そこに材料の写真がプリントされていた。アルゲはパンを食べながらそれを眺める。面白いものだ。アルゲはフルーツを見慣れていない。


 食器の片づけは、今日はダージがすることになった。自然と流れで彼が片づけだしたから、みんな甘えたのだ。


 アルゲはそれで全く構わなかったが、これから長い――少なくとも、アルゲにはそう思える――時間を過ごすのに不公平はよくないとも思う。


 食事はすぐ終わった。アルゲは朝が早かったから、もう一度二度寝しようとも思った。それで食堂前から、三階へ続く階段との間くらいでぼうっと経っていると、背後から声をかけられた。


「ねえ、この後のヒマなときに、ここを探検しましょうよ」


 シズの声だった。アルゲは振り返って、彼女に言う。


「いいよ。パーシも呼ぼうよ」


 シズは頷いて、踵を返した。


「また呼びにいってもいい?」


 振り返りながら、シズは言う。彼女の長いきれいな髪が、その背中で垂れ揺れていた。――きれいな人。いいよ、とアルゲは声を出して、振り返って先を進んだ。

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