表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
だから、これでいい  作者: 御子柴 流歌


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/4

3. 解決:文脈依存性の致死性


 ロジちゃんは、僕の部屋の本棚から一冊の辞書を引っこ抜いた。


「先輩、日本語における指示代名詞『これ』の定義をご存知で?」


「馬鹿にするな。近称の指示代名詞だ。話し手に近い場所にあるものを指す」


「正解です。では、あの状況で、叔父さんにとっての『これ』とは何だったのか」


 彼女は、まるで講義をするように歩き回る。


「少々回りくどいかもしれませんが、こういう場面に説明は不可欠です。

 まず叔父さんは、カプセルを手に持っていました。つまり『これ』は、彼が選んだカプセルを指します。

 では、『だから』は?

 接続詞『だから』は、理由や根拠を示します。

 『Aである。だから、Bである』。

 Bが『このカプセルを選ぶ』という行為だとすれば、Aにあたる『根拠』は何だったのでしょう?」


 僕は黙って彼女を見つめる。嫌な予感がしていた。僕が想定していた「完全犯罪」のシナリオに、致命的なバグがあるような気がしてならない。


「先輩、あなたはさっき言いましたね。『僕は嘘つきです』と宣言してから、ゲームを始めたと」


「……ああ、言ったよ」


「それが全ての敗因であり、叔父さんの死因です」


 ロジちゃんは、憐れむような目で僕を見た。


「『私は嘘つきである』。これは有名なクレタ人のパラドックス、自己言及の矛盾です。

 もしその言葉が本当なら、あなたは『嘘つき』なのだから、その言葉も嘘でなければならない。

 もしその言葉が嘘なら、あなたは『正直者』ということになり、やはり矛盾する」


「そんな古典的なパラドックス、教授なら鼻で笑って無視するはずだ」


「ええ、論理学的には無意味な命題です。でも、現実(リアル)の対話では意味を持つ。


 叔父さんは、あなたのその『自己言及』を聞いて、ある一つの結論に達したんです。

 

 『こいつは、論理パズルに見せかけて、単なる言葉遊びを仕掛けてきている』と」


 彼女は一歩、僕に近づく。


「先輩は『右が解毒剤』と言った。


 でも、叔父さんは気づいたんです。先輩の言葉、その『発話の構造』そのものにヒントがあることに」


 どういうことだ?

 僕は必死にあの時の会話を反芻する。


 『右が解毒剤ですよ』。

 『僕は嘘つきです』。


「いいですか、先輩。

 叔父さんは、あなたが『どちらが解毒剤か』について嘘をついているか、本当のことを言っているか、それを推論しようとしたのではありません。

 そんなものは水掛け論だと知っていたから。

 叔父さんが注目したのは、あなたの『目的』です。

 あなたは、叔父さんを殺したかった。それは間違いない。

 でも、ただ毒殺するだけなら、黙って毒を盛ればいい。わざわざ二択のゲームを持ちかけたのはなぜか?

 それは、あなたが『自分の知能を誇示したかった』から。

 そして、『叔父さんに自分の敗北を悟らせてから死んでほしかった』からです」


 図星だった。喉が渇く。


「プライドの高い先輩のことです。絶対に、()()()()()()()仕掛けを用意していたはずだと、叔父さんは信じた。運任せのゲームなんて持ちかけるはずがないと、あなたを()()していたんです」


 信頼。

 殺人者に対する信頼。なんという皮肉。


「だから叔父さんは考えた。

 『あいつは、私が正解を選べるようにヒントを出しているはずだ』と。

 そこで重要になるのが、最初の宣言。『僕は嘘つきです』。

 これを論理パズルではなく、単なる『指示』として受け取ったらどうなります?

 『私の発言はすべて逆の意味である』というルール説明だとしたら?」


 ……あっ。


 僕は息を呑んだ。

 ま、待て。まさか。


「そう。先輩が『右が解毒剤』と言った。

 そして『私は嘘つきだ(=私の言うことは逆だ)』と宣言した。

 ならば、単純な論理演算として、

 『右が解毒剤』の逆、つまり『左が解毒剤』が正解になる……と、叔父さんは導き出したんです」


 そんな。

 そんな馬鹿な。あまりにも単純すぎる。子供のなぞなぞじゃないか。

 天下の論理学者が、そんな安直な裏読みに引っかかるわけが……。


「いいえ、引っかかります」


 ロジちゃんは俺の心の内を読み切るように断言した。


「なぜなら、そう解釈しなければ、正解を導き出す論理的な道筋が存在しないからです。叔父さんは『正解があるはずだ』という前提を信じたがゆえに、その唯一の解である『単純な反転』を選ばざるを得なかった」


 僕は呆然とした。

 実際には、()()()()()()()()()()()()()()()

 右も左も、致死量の毒だ。

 僕は最初から、ゲームをする気なんてなかった。ただ、悩んで死んでくれればそれでよかった。

 だが、教授は……。


「叔父さんは、左のカプセルを手に取った。

 そして、自分の推論に満足した。

 『あいつは嘘つきだと宣言した。右だと言った。

  ――(右ではない、という推論が成立する。)

  ――だから、これ(左)でいい』」


 ロジちゃんの声が、あの時の録音と重なる。


「あの最期の言葉は、人生への満足なんかじゃなかった。

 単なる、論理パズルの『解答提出』だったんです。

 『Q.E.D.(証明終了)』の代わりだったんですよ」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ