2. 本論:招かれざる客とトートロジー
事件から一週間後。
僕のアパートのドアを叩いたのは、警察手帳を持った無骨な刑事――ではなく、ゴシックロリータ趣味の服装に身を包んだ、小柄な少女だった。
「初めまして、あるいは、さようなら」
彼女は開口一番、不吉な挨拶を投げかけてきた。
名前は、天川露知。
大学の後輩であり、故・教授の姪であり、そして何より厄介なことに、自称・名探偵だという。
「先輩、単刀直入に聞きますけど」
彼女は僕の部屋に上がり込むなり、散らかった本を積み木のように並べ替えながら言った。
「叔父さんを殺したのは先輩ですよね?」
「異議あり。それは推論の飛躍だ」
僕は冷蔵庫からコーラを取り出しながら、冷静を装って答える。
この子がまさか行き当たりばったりでこんなところに来た上でいきなり本題を突き付けてくるほど無能でも無脳でもでは無いことを知っている。だからこそ困る。
「警察は自殺と断定したはずだ。遺書はなかったが、現場の状況、そして何より、彼が最期に残したボイスレコーダーの言葉がそれを裏付けている」
そう。教授は最期の瞬間、会話を録音していた。
そこに残された言葉は、『……だから、これでいい』。
世間一般の解釈はこうだ。
研究に行き詰まった、あるいは老いに絶望した天才学者が、自らの手で人生の幕を引く際に漏らした、肯定と諦念の言葉。
――『(私の人生は)だから、これでいい(のだ)』と。
実に文学的で、感動的で、都合のいい解釈だ。
「あの録音データ、私も聞きました」
ロジちゃん(と心の中で呼ぶことにする)は、積み上げた本を指先でツンと突き、崩した。
「警察のおぢ様たちは、あれを『人生の総括』だと思っています。でも、変だと思いませんか? あの論理の悪魔と呼ばれた叔父さんが、死に際にそんなポエムを吐くなんて」
「人は死に直面すれば詩人になるものさ
」
「いいえ。叔父さんは死ぬ瞬間まで論理学者だったはずです。あの言葉は、感情の発露なんかじゃない。もっと冷徹な、論理演算の結果出力ですよ」
彼女の大きな瞳が、僕を射抜く。
やれやれ。これだから勘のいい子供は嫌いだ。
「先輩、あの時、現場には二つのカプセルの空き殻がありました。一つは毒、一つは無害。叔父さんは自分で選んで毒を飲んだ。これは事実です」
「ああ、そうだね」
「先輩は、叔父さんに二択を迫った。『右が解毒剤だ』と言って」
……おっと。
僕の心臓が、不整脈じみたビートを刻む。
なぜ彼女がそのセリフを知っている?
録音には僕の声は入っていないはずだ。
スイッチが入ったのは、教授が最期の言葉を呟く直前だったからだ。
「顔に出ていますよ、先輩。『なぜバレた』って」
ロジちゃんは悪戯っぽく笑う。
「簡単です。叔父さんの部屋にあったメモ帳。一番上のページは破り取られていましたが、筆圧痕が残っていました。そこには、マルコフ連鎖の計算式と、先輩の名前、そして『右』という文字」
失態だ。教授め、計算用紙代わりにメモ帳を使っていたのか。
「まあいい。百歩譲って、僕がその場にいたとしよう」
僕は開き直ることにした。どうせ物的証拠はない。
「だとしても、選んだのは教授だ。僕は無理やり口にねじ込んだわけじゃない。彼は論理的に考え、そして選択し、その結果として死んだ。つまり、あれは尊厳ある自殺……あるいは、不幸な事故だ」
「論理的に考えた、ですか」
ロジちゃんは首を傾げる。
「そこなんですよ。叔父さんが、あの単純な『嘘つきのパラドックス』を見抜けないはずがないんです」
彼女は指を一本立てた。
「先輩は『右が解毒剤』と言った。
叔父さんは考えたはずです。先輩が犯人なら、当然嘘をつく。だから『右』は毒で、『左』が正解だと。
でも、それだと単純すぎる。先輩は裏をかいて、あえて本当のことを言ったのかもしれない。
いや、裏の裏をかいて……。
この思考実験は、無限ループに陥ります。論理的には『決定不能』が正解です」
「その通り」僕は頷く。「だから彼は、最後は運に頼ったんだ。『ええい、ままよ』とな。それが『だから、これでいい』の意味だ」
「いいえ、違います」
彼女の声が、急に冷ややかになった。
「叔父さんは、運なんかには頼らない。あの言葉は、選択の根拠なんです。
『だから、これでいい』。
この接続詞『だから』が、何にかかっているか。そこが問題なんです」




