第8話 フェンは恐竜の卵を監査できるか? その2
恐竜の卵と監査役の限界
◆ 帰社 ― エヴァの説明と“未処理案件”
御用邸から戻った監査役室。
フェンは椅子に倒れ込むように座った。
「……疲れた。
御用邸って、なんであんなに精神力削られるのよ……」
エヴァはすでに机の上に、
御用邸で見た目録のコピーを広げていた。
「監査役。
先ほどの目録について、
“要監査”としてマークされていた項目の説明が必要です」
フェンは顔を上げた。
「……ああ、あの赤丸のやつね。
何だったっけ……“用途不明”とか“評価不能”とか……
ろくでもない単語しか覚えてないけど」
エヴァはページをめくり、
ある一行を指で示した。
《恐竜の卵(大型)/化石標本扱い/出所不明/要監査》
フェンは眉をひそめた。
「……恐竜の卵?
化石の卵ってこと?」
エヴァは淡々と首を振る。
「“化石標本扱い”は、
前監査役が“便宜上”つけた分類です。
実際には、殻内部に“生体反応”が確認されています」
フェンは固まった。
「……ちょっと待って。
生体反応って……
それ、化石じゃないじゃない」
「はい。
“有精卵”の可能性が高いと記録されています」
フェンは机に突っ伏した。
「なんでよ……
なんで恐竜の卵みたいなものが、
会社の“受託保管品”になってるのよ……」
エヴァは淡々と続ける。
「前監査役は、
“処理方法が存在しないため保留”という判断でした。
“未処理案件”として分類されています」
フェンは絶望した。
(……なんで私が引き継ぐのよ、こんなの……)
◆ その横で、ゴンタが“御用邸タッパー”をつまみ食い
その真横で、
ゴンタが エマのタッパーを開けていた。
中には、
御用邸で出された豪華な料理がぎっしり詰まっている。
「これ、美味しいね。
御用邸の料理って、冷めても美味しいんだ」
「えっ、あっ、あのっ……!
そ、それ……わ、私が……!」
エマはオロオロし、
手を伸ばすが届かない。
フェンは苦々しい顔で言う。
「ゴンタ。いつの間に来たのよ!
今、恐竜の卵の評価で死にそうなんだけど。
なんであなたは“つまみ食い”してるのよ」
「だって、お腹すいたし。
エマさんのタッパー、いい匂いするし」
エマの顔が真っ赤になる。
「そ、それ……御用邸の……
食べられなくて……持ち帰っただけで……!」
ゴンタは気にせず、次の一口を運ぶ。
その瞬間――
エヴァの視線が、氷のように冷たく ゴンタに向けられた。
言葉はない。
注意もしない。
ただ、
“それは秘書見習いの大切な料理です”
とでも言いたげな、
静かで鋭い視線。
ゴンタは一瞬だけ固まり、
ゆっくりと箸を止めた。
「……ごめん、エマさん。
ちょっとだけ、ね?」
エマは慌てて首を振る。
「い、いえっ!
あの……食べていただけるなら……!」
フェンは頭を抱えた。
(……この温度差で、どうやって“恐竜の卵”の評価をするのよ)
◆ 特別保管室 ― 卵の“実在確認”
エヴァの案内で、
一行は地下の特別保管室へ向かった。
「監査役、そもそも『受託保管品』として恐竜の卵を扱うのは、会計上正解なんですか?」
エマが不安げに尋ねると、フェンは疲れた顔で人差し指を立てた。
「いい、エマ。**受託保管品**っていうのはね、平たく言えば『友達から放課後まで預かってと言われたゲーム機』みたいなものよ。自分たちの持ち物じゃないけど、預かっている以上、勝手に捨てられないし、壊したら大変でしょ? だから帳簿に載せて管理しなきゃいけないの」
「なるほど……。じゃあ、今からやることは?」
「**実在確認**よ。図書室のリストに100冊あると書かれていたら、本当に棚に100冊あるか一冊ずつ指差し確認する作業。今回は、その『一冊』がとんでもなく巨大で生きてる卵ってだけよ」
金庫のような扉が開くと、
そこに卵が鎮座していた。
エマは息を呑む。
「……大きい……」
フェンは目録を確認しながら呟く。
「“化石標本扱い”って書いてあるけど……
どう見ても化石じゃないわね」
エヴァが淡々と補足する。
「前監査役は“未処理案件”として保管していました。
“どうにもできないため、現状維持”という判断です」
フェンは頭を抱えた。
「……つまり、
“何もできないから置いておく”ってことね……」
◆ 孵化 ― ゴンタの“無茶な案”
その時だった。
ゴンタが卵をじっと見つめ、
ぽつりと言った。
「……孵す、っていう手もあるよ」
フェンは跳ね上がった。
「はああああ!?
ちょっと待って、何言ってるの!?
孵すって、恐竜よ!?
恐竜の卵よ!?
孵すって何よ!!」
エマは完全に固まっている。
「か、孵す……?
ここで……?」
エヴァだけが、静かに ゴンタを見ていた。
「……可能なのですか?」
ゴンタは軽く頷いた。
「うん。
この子、まだ“生きてる”。
ちょっと手を貸せば、孵るよ」
フェンは絶叫した。
「ちょっとって何よ!!
あなたの“ちょっと”は信用できないのよ!!」
ゴンタは笑った。
「大丈夫。
壊したりしないから」
そして――
ゴンタは卵にそっと手を添えた。
光も音もない。
魔法陣も出ない。
ただ、
ゴンタが“何か”を卵に伝えた。
コン……
エマが悲鳴を飲み込む。
コン……コン……!
ひびが走り、
殻が割れ、
小さな頭が覗いた。
エマの目が潤む。
「……かわいい……」
フェンは頭を抱えた。
「かわいいけど……
これ、どうするのよ……!」
◆ 親元返還 ― ゴンタの“前例ゼロの案”
ゴンタは小さな恐竜を抱き上げ、
静かに言った。
「返すよ。
“元の時代”にね」
フェンは固まった。
「……元の時代って……
白亜紀ってこと?」
「うん」
エマは震えた声で言う。
「で、でも……
そんなこと……」
ゴンタは軽く笑った。
「できるよ。
少しだけ“時間をずらす”だけだから」
フェンは絶叫した。
「あなたの“少し”は信用できないのよ!!」
ゴンタは笑った。
「すぐ戻るよ。
フェン、返還記録の準備しておいて」
「返還記録って何よ!!
“白亜紀に返還”なんて前例ゼロよ!!」
「じゃあ、初めて作ればいい」
次の瞬間――
空気がふっと揺れ、
ゴンタの姿が消えた。
◆ 数分後 ― 帰還
空気が再び揺れ、
ゴンタが戻ってきた。
腕の中は空っぽ。
「返してきたよ。
親がすごく喜んでた」
フェンは呆然とした。
「……本当に……
白亜紀に返してきたのね……」
ゴンタは頷く。
「うん。
あの子、ちゃんと親に甘えてたよ。
あれなら大丈夫」
「……親が、すごく喜んでた」
ゴンタの瞳には、まだ遠い時代の残光が宿っているようだった。
「見せてあげたかったな。僕が卵を置くと、地響きを立てて巨大な母親が草村から現れたんだ。彼女は僕を警戒するどころか、足元で鳴く小さな子供を鼻先でそっと転がして……それから、僕に向かって一度だけ、短く鳴いた。あれはきっと、ありがとうって言ってたんだと思う」
静まり返る保管室。
フェンは、自分の手元にある無機質な目録と、ゴンタが語る生命の温もりのギャップに目頭が熱くなるのを感じた。
「……そう。監査役の仕事で、感謝されるなんて思わなかったわ」
エマは胸を押さえた。
「よかった……
本当に……」
◆ 監査役の“経理処理”
エヴァは淡々と記録を開く。
「では、返還記録を作成します。
監査役、署名をお願いします」
フェンは机に突っ伏した。
「……“恐竜の卵を白亜紀に返還”って、
監査調書にどう書けばいいのよ……」
エヴァは冷静に答える。
「“受託保管品(恐竜卵)返還済み。
返還先:原時代(親個体)”
で問題ありません」
「問題しかないわよ!!」
内部機密:監査報告書(案)
文書番号: AD-2026-003-EG
作成日: 202X年 某月 某日
作成者: 監査役付秘書官 エヴァ・グリーン
承認者: 監査役 フェン・ワイルド
1. 監査対象および背景
前オーナーの所有物において「受託保管品」として管理されていた大型未確認卵(以下、本件対象物)に関する実在性、およびその資産価値の評価を目的とする。
2. 実施された手続と事実の確認
本件対象物に対し、以下の監査手続を実施した。
手続項目
実在確認
実施内容
特別保管室における現物の目視確認
結果
書類上の記載と一致する卵の実在を確認
手続項目
状態評価
実施内容
専門的知見(協力者Gによる)に基づく生体反応調査。
結果
化石ではなく、孵化直前の「有精卵」と判定
手続項目
現場往査
実施内容
孵化プロセスの立ち会い、および個体の確認
結果
監査役指示のもと、安全に孵化が完了
3. 特記事項:イレギュラーな処理
本件対象物は「生体」へと変化したため、当社の保管規程および倫理規定に基づき、速やかな現状復帰が求められた。これに対し、協力者Gの特異的な技術(詳細は非公開)を用い、当該個体の本来の生息地(原時代)への返還を実施した。
4. 経理・監査上の結論
資産計上の要否: 本件は受託品であり、当社の資産ではないため、貸借対照表への計上および減損処理の必要はない。
管理責任の消滅: 返還完了(親個体への引渡し確認済み)をもって、当社の保管義務は適正に履行・完了したものとみなす。
総合評価: 前監査役が「保留」としていた未処理案件を、現監査役が実務的に完遂した。
フェンの内心(非公式・秘匿事項)
……ちょっと待って。読み飛ばせないわよ、この三行目。
**『協力者Gによる専門的知見に基づき……有精卵と判定』**って。
専門的知見も何も、アイツが卵を撫でて「生きてるね」って言っただけじゃない!
それを専門的知見で片付けるなら、世界中の監査法人が動物園の飼育員さんをスカウトしなきゃいけなくなるわよ。
さらにこれ。『現場往査の結果、安全に孵化が完了』。
「安全に」? どの口が言ってるのよ、エヴァ。
目の前で殻が弾けて、見たこともないトカゲの親戚みたいなのが「ギャー!」って鳴いた瞬間、新人秘書は腰を抜かして、私は心臓が止まりそうだったのよ?
それを「往査」の一言で済ませるなんて、あなたの辞書には『パニック』っていう単語が存在しないのかしら。
極めつけはここね。『返還先:原時代(親個体)』。
……さらっと書いたわね。時空を超えた超法規的措置を、まるで「隣のビルに荷物を届けました」くらいのテンションで。
これ、もし本部の審査部が読んだらどうなると思う?
「原時代ってどこの国ですか? 住所が抜けてますよ」って差し戻されるわよ、普通。
まあ、エヴァのことだから、追求されたらされたで「監査実務上の守秘義務です」って無表情で突っぱねるんでしょうけど。
はぁ……。
『管理責任の消滅』。
確かに、卵はもうここにはないし、親元に帰った。
会社の帳簿からも消えた。
実務的には「完璧」な終了。
でもね、エヴァ。
報告書には書けないけれど、あの時、親竜の背中越しに見えた夕陽の色とか、ゴンタがちょっとだけ寂しそうに笑った顔とか……
そういう「監査対象外」の出来事のせいで、私の胃痛が治まらないってこと、少しは理解してほしいわ。
……よし、署名完了。
さあ、次の『ろくでもない案件』を寄越しなさいな。
どうせ次も、私の常識がゴミ箱に捨てられる内容なんでしょうから!
あとがき
最後までお読み頂きありがとうございます。
次話「IRS監査官は、二度沈黙する。 〜ゴンタとエヴァの完璧すぎる回答〜」は、これまでの三話をお読み頂いている事を前提で書きました。
よろしくお願いします。




