第七話:北の小屋の惨劇
その夜は、まるで古い墓場のような静寂へと変貌を遂げていた。
樹々の間に低く垂れ込めた濃霧が月光の残滓を呑み込み、周囲の情景を濃密な灰黒色に染め上げている。
目指す木造小屋の前庭では、二人の男が消えかけた焚き火の周囲で緊張した面持ちで警戒にあたっていた。
「俺はこういう夜の空気が心底嫌いなんだ」山賊の一人が暖を求めて火の手に両手をかざしながら呟いた。
「何を怯えてやがる? 周りは至って静かで平和そのものじゃないか」相棒が鼻で笑う。
「その静かすぎるのがヤバいんだよ、バカ野郎! 境界地帯で急に静まり返るってのはな、お前の命を刈り取る何かが忍び寄ってる証拠なんだよ!」
怯える相棒を見て、もう一人の男は鼻で笑ったが、その双眸は不安気に暗い森の奥を泳いでいた。突如として夜風が強く吹き抜け、壁際の松明の火が弱々しく揺らめいた後、ぷつりと消えた。
サクッ……サクッ……。
草むらから、枯れ葉を踏みしめる音がかすかに聞こえた。静かで、規則正しく、足音を殺そうとする熟練した歩調。
「……今の音、聞こえたか!?」
「腹を空かせた野良犬だろ」
「違う! 野良犬がこんな整然とした足音を立てるか!」
シュッ! ガキィン!
男が確認のために踏み出すより早く、漆黒の影が夜霧を切り裂いて肉薄した。暗闇に鋼の刃が閃き、静寂を破る鋭い金属音が響き渡る。
「敵襲だ!! 誰だ貴様らッ!?」
絶叫に答える声はなかった。
霧の帳から現れたのは、全身に黒装束を纏った四人の刺客。その動きは異常なほど素早く、精密で、足音一つ立てない。布マスクの隙間からのぞく瞳だけが――冷たく、虚ろに、濃密な殺意を宿して光っていた。
「叩き潰せ!! 一人たりとも生かして返すな!」
前庭で血で血を洗う死闘が勃発した。交錯する刃が火花を散らし、砕け散る木片と泥水が新鮮な返り血によって赤く染まっていく。黒装束の一人が低く跳躍し、山賊の首筋を狙って薙ぎ払う。斧で間一髪防がれたものの、直後、背後から滑り込んだ第二の影が不可避の刺突を繰り出した。
ドスッ!
それはもやは、騎士の誇りある決闘などではなく、生き残るための野蛮な屠살だった。刺客の一人が丸太の支柱に打たれ、水樽を粉砕しながら激しく吹き飛んで動かなくなった。鋼の刃先から朱い血が滴り落ちる。生き残った三人の刺客は、息遣いと金属音だけを響かせ、容赦ない連携で山賊を追い詰めていく。
離れた場所から、俺は大木の陰に身を潜めてその光景を凝視していた。
枝葉の隙間から三파전の死闘を見つめる俺の表情は冷静そのものだったが、瞳は鋭く敵の動きを分析していた。
正体不明の四人の刺客対、残された二人の誘拐犯。だが、誘拐犯の頭目もただの山賊ではない。彼の防衛行動は重厚でありながら極めて練達していた。 blind に振り回すのではなく、間合いを正確に把握し、ぬかるんだ地面さえも味方につけて相手の体勢を崩している。
庭の激闘が一時的に静まり、馬のいななきと荒い息遣いだけが響いた。刺客のもう一人が倒れ、黒泥の中に半ば埋もれたまま、光を失った瞳で夜空を見つめている。
俺は深呼吸をし、血の臭いと冷たい夜霧を肺に満たした。
「ボス! 残りの奴らが森の西へ引いていきます!」
山賊の一人が庭を駆け抜け、その影が幻影のように霧の中へ消えた。俺は静かに待った。一、二、三秒。西側の松明が風で完全に消えた瞬間、俺は地を蹴った。
足音は極めて殺され、地面の摩擦音すら立てない。一歩一歩の足場を、騎士としての直感で完璧に計算する。刺すような夜風が肌を撫でたが、研ぎ澄まされた集中力が途切れることはない。
前庭の戦音を聞きながら、俺は小屋の外壁に背中を密着させた。木壁の亀裂から中を覗き見ると、部屋の中央に誘拐犯の首領が一人立っていた。彼は緊張を漲らせた面持ちで正面の扉を睨みつけ、手に握った大型の戦斧を回しながら、庭の惨劇が室内へ雪崩れ込んでくるのに備えていた。
息を整え、俺は手薄な裏手へ回る決断を下した。
ギィ……。
腐ちかけた木扉が、かすかな悲鳴を上げる。
姿勢を低くし、羽毛のような足取りで室内へ侵入する。だが、俺が完全に足を踏み入れるより早く――。
「そこまでだ、野郎」
部屋の闇から、殺気に満ちた低音の警告が響いた。首領がゆっくりと振り返る。油ランプの微かな光のなか、彼の鋭い双眸が俺の姿を正確に捉えていた。その手にある巨大な戦斧は半ば振り上げられ、いつでも俺の頭 skull を叩き割る準備が整っていた。
重苦しい静寂が狭い室内を支配し、屋外の金属音は遠のいていく。
「そうか……お前も、外で暴れてるあの刺客どもの仲間か」首領が淡々と言い放つ。その口調は、この血生臭い対話の結末を既に知っている者のそれだった。
俺は口を開かなかった。ただ重心を低く落とし、腰の右側に差したミラの短剣の柄を強く握りしめた。
「俺は、お前の命を奪いに来たわけではない」押さえつけた声で告げる。
首領は鼻で笑い、無骨な顔に冷たい嘲笑を浮かべた。「笑わせるな。夜が明けてからここへ忍び込んできたロクデナシどもは、全員そう言っておいて俺の首を刎ねようとしてきたぞ」
「俺はお前たちと争うつもりはない。だが、力ずくで止めようというのなら――」
「戯言はそこまでにしろ」
彼は踏み込み、巨躯を誇示するように構え直すと、俺の目をまっすぐに見つめた。戦斧が空を切り、狭い室内に鋭い風切り音を響かせる。
「黒装束の刺客でないというなら……今夜俺が殺すリストに、お前を追加するだけだ!」
俺は一歩も引かなかった。「……血を流すことしか道がないというのなら、受けて立つ」
暗闇の中で視線が交錯し、次の瞬間――。
ガキィィン!!
戦斧の痛烈な一撃と短剣の受け流しが激突し、激しい火花が散った。衝撃でテーブルの油ランプが落ち、床板に小さな炎が燃え広がって二人の影を怪しく揺らめかせる。
刃の交錯する音が重なる。首領の重斧が圧倒的な筋力とともに狭い空間を切り裂く。俺はミラの短剣で必死にその軌道を逸らしたが、腕の骨にまで激しい振動が走った。首領の押しは強く、正確で、絶え間なかった。
「潜入者の割には見事な動きだ!」荒い息の下で首領が叫ぶ。「だが、お前の剣には迷いがある!」
斧の振り下ろしを剣を交差させて防ぎ、俺は体術で側へ旋回して拘束を逃れた。足首を狙った低空の払い足を放つが、首領は驚異的な反応速度で斧の柄で防ぎ、そのまま俺の腹部へ強烈な前蹴りを叩き込んできた。
ドゴッ!
背後の木製テーブルごと吹き飛ばされ、床に叩きつけられる。割れたランプの油が広がり、炎がゆらゆらと二人の影を映し出す。
「お前は雇われの暗殺者ではないな」首領が目を細めて俺を睨みつける。「だが、お前のような男こそ……玉座にとっては最も危険な存在だ。自分の信じる『正義』で動いているからな!」
俺は乱れる呼吸を整え、痛む脇腹を押さえた。
「俺はこの命を捨てに来たわけではない」低く、だが確固たる意志を込めて吐き捨てる。「だが、探しているものを手に入れるまで、ここを去るつもりもない!」
「死にゆく若者の、実に威勢のいい捨て台詞だ!」
首領が再び襲いかかり、戦斧を斜め上から振り下ろした。俺は頭を紙一重でかわし、そのまま相手の右肩へ向けて電光石火の刺突を繰り出した。
ズシャッ!
ミラの短剣が彼の肩の皮膚を切り裂き、鮮血が噴き出す。首領は間合いを保つために一歩後退を余儀なくされた。
黒煙と炎が壁を包み込む中、俺たちは束の間動きを止め、視線を交わした。外の戦音は既に途絶えている。響くのは風の音と、二人の荒い息遣いだけだ。
俺は足場を組み直し、廊下の突き当りにある扉へ一瞬だけ視線をやった。長引かせる時間はない。タイムリミットは刻一刻と迫っている。
首領は肩の血を親指で拭うと、無感情に言い放った。「生きてここを出たいのなら……今この瞬間、全霊をかけて俺を倒してみろ!」
俺は柄を握る手にさらに力を込め、腕の筋を浮き彫りにした。「……血を流すことが唯一の道なら、お前の命、ここで絶たせてもらう」
二人は同時に踏み出した――。
キィィン!
俺の短剣が戦斧の柄に絡みつき、その重い動きを封じた。肩の力を叩き込み、相手の顎へ強烈な肘打ちを叩き込む。間髪入れず、胸元を円運動で斬り裂いた。首領は大きくよろめき、手から戦斧が落ちて床に転がった。その巨躯が、血の海の中に崩れ落ちる。
小部屋の中では、外に残っていた男の絶叫が前庭から響き渡り、続いて重い物体が倒れる音と武器が転がる音が聞こえた。
ルナ姫は両手で耳を塞ぎ、暗闇の部屋の隅で小さく震えていた。室内は煙と焦げ臭い匂いに満ち、激闘の衝撃で天井から埃が舞い落ちてくる。
壁の亀裂から、主室の赤い炎の光が差し込み、幼い少女の目に恐ろしく映っていた。
廊下から、慌ただしい足音が近づいてくる。何者かの体が壁に激しくぶつかり、建物全体が揺れた。
ルナは息を殺した。悲鳴を上げる勇気すらなく、ただ膝を抱えて目を強く閉じた。
外にいるのは誰? 私を苦しめに来た悪者? それとももっと恐ろしい怪物?
コツ……コツ……コツ……。
足音が、ゆっくりと部屋の扉へと近づいてくる。重く、静かな足音。
ルナは恐怖に目を見開き、目の前の扉を見つめた。助けを呼びたくても、乾いた喉からは声が出ない。
ドアノブがガタガタと震え、ゆっくりと回った。
ギィ……。
主室の赤黒い炎の光が差し込み、扉の前に立つ男のシルエットを浮かび上がらせた。男の服は土と埃に汚れ、肩で息をし、右手に握られた短剣の銀色の刃からは鮮血が滴り落ちていた。
数秒間、部屋を神秘的な静寂が包んだ。そして、痛々しいほどかすれ、けれど息をのむほど温かい声が響いた。
「……ルナ」
少女の wept 瞳が大きく見開かれた。その声、その響きは、彼女が人生で最も聞き慣れたものだった。
「ア……アブディ……?」
扉の前の男は一瞬沈黙した後、ゆっくりと短剣を下ろした。彼は近づき、膝をつくと、傷と返り血に汚れた顔に温かい微笑みを浮かべた。
「迎えに来ました……姫様」
ルナはその顔をじっと見つめ、これが死の間際の幻覚でないことを確認した。そして、誘拐されたあの忌々しい夜以来、初めて――小さな唇の端が上へと持ち上がった。
幼く、脆く、けれど確かな幸せに満ちた微笑み。
崩れゆく木造小屋の外では、立ち込めていた濃霧が空へと散りゆき、まるで、すべての運命が二人の再会を祝福しているかのようだった。




