3.都での逢瀬
「はぁ……」
講義が終わり、陽が傾く。
強引に取り付けられた約束の日。その暮れに、校門外の車留にて待ち合わせるまで何度、グレアは溜息を吐いたかしれない。
「なんで、こんなことに」
あのシンシャと出逢ってから、嘆きを漏らした最中に、その原因たるにっくき相手の声が飛んだ。
「お待たせー」
「遅ぇよ。なんで、詫びる相手が集合時刻過ぎてか、ら」
今まで溜め込んできた鬱屈は、それを実際に言いさした瞬間、そのシンシャ・ランドバークを目の当たりにした時、吹き飛んだ。
軽く息を切らしながらやってきたのは、まごうことな乙女である。
林檎色の髪を二つに分けて、長めのスカートを履き、脚や肩を出すなどして、むしろ普段より露出多めの軽装で。
二の腕の肌の質感、骨格、どの角度から見ても、同じ男性だとは思えない。
「いやー、途中でみんなに見つかりそうになってさ。ごめんね、遅れちゃって」
だがその鈴を転がすような声音は、何より天青色の瞳は、紛れもなくシンシャ・ランドバークのものだった。
「なんだ……その格好。趣味?」
「いや趣味じゃないけど。似合ってるでしょ、素朴でカワイイ町娘スタイル」
唖然と立ち尽くすグレアに、そそと近づき、そのグレアの胸元でそっと口を寄せて、
「いや、俺ってモテるんだよね」
妙にまじめくさった面持ちで、打ち明けた。
は? と低い声で、グレアは問い返した。
「だから、こんなカッコでもしないと、追ってくるみんなを撒けなくてさ。ていうか、グレアのためでもあるんだよ。君が、『ランドバーク家の人間なんかとご飯食べたくなーい』ってワガママ言うから、こうして泣く泣く変装を……」
何が悲しくて以下略。泣く泣くではなくノリノリの間違いではないか。
「……帰って良いか?」
「ダメダメ。もう手遅れ。恥をかくならご一緒に、てね」
「一人でやってろ」
「えいッ」
「腕を絡ませるのやめろ! 一人で歩く!」
なけなしの抵抗を見せながらも結局は折れ、ズルズルと帝都中心へ向けて引かれていく。
その視界の片隅で、グレアは憶えのある影を、見た気がした。
〜〜〜
帝都マクムートは、元は他国の首都であったという。
クラドスを初めて本格導入したことで知られる会戦において一気呵成に敵を打ち破った未来の帝国軍は、余勢を駆ってこのマクムートへと侵入。その速さと激しさに、いかなる防備も要害も、意味を為さず、わずか十日の内に陥落。この時の帝国軍が何より優れていたことは略奪を徹底して許さず、都市機能と民心を、丸々手に入れたことであろう。その甲斐あって今や、大陸随一の繁栄ぶりを見せている。
総人口約百万とも言われ、大陸の中心を結ぶ要衝であり、マギカ・エンテを除くエニグマ開発企業の本社および経営者一族の本邸が存在する。
多くの人々とすれ違い、衣をすり合わせながら、お似合い……に見えなくもない二人は、露店の合間を練り歩く。整理途中の中には、こういうごった返した区画がある。如何にも、奔放で子供っぽい、シンシャ好みといったところか。慣れた調子の足運びで、シンシャは進んでいく。
「こっちが近道なんだー」
という、いまいち安心感のない軽い言葉を、とりあえず信じることにして連れ立って歩く。
その人混みの中でも、跳ね気味の赤髪は、よく映える。目印としてはちょうど良いものの、
「目立つなぁ……」
というのが、難点だった。
へ、と間の抜けた呼気と共に振り返るシンシャに、
「その髪だよ。それどうにかしないと、一発でバレんだろうが」
と苦言を呈する。
「カツラまで用意する余裕は無かったからね。でも、赤毛なんて割といない?」
「だとしても、綺麗すぎるんだよ。あんたのは」
「えー、んなこと初めて言われたなぁ。けっこうクセッ毛だと思うけど」
「じゃなくて、色が」
夕闇の中でも、なお目を惹く、その深く濃く、染め上げられた色が。白磁のきらめきが。
そして、その下で揺れる眼光の、眩いまでの天青が。
そんな気恥ずかしいことなど、死んでも本人に聞かせたくないことだが。
「……ちょっと待ってろ」
溜息交じりに、グレアは一度来た道を引き返した。
そのうえで、左右に分かれたうちの一店舗、その店先の主人と二、三言の交渉を手早くこなしながら、品物と、腰のポケットから抜いた財布の硬貨を取り替えて戻ってくる。
「ほら」
と、その鍔付きの白い帽子を、シンシャに被せた。ごくシンプルなものだが、意外と生地も縫製も、しっかりしているものをその場で選んだ。
「これは?」
「一応、カモフラージュ」
「え~? そんな、わざわざ悪いよ。今日は俺が奢るのに」
「別にあんたのためじゃない……俺が! 当たり障りなくしめやかに、この晩餐を終わらせたいのっ、だから目立つな」
「……ありがと」
少し困ったように眉を下げるシンシャは、上目遣いではにかんだ。
その表情が、かつての少女の影と重なった。
(そう言えば、シール……様にも、昔こんな感じで帽子を差し上げたっけかな)
今、思い起こせば烏滸がましい限りだが、あの時は……自由だった。家柄や格差は確かにあったが、何よりも心が。
『歯車に、指を懸けるが如く』
老人の弱々しく枯れた声が、脳裏に響く。
『時の進みを緩めることはできる。わずかに留まることも出来よう。されど――巻き戻すこと、永遠に止めることは、能わぬ』
歯車の彫られたエニグマと共に、賜った訓戒。
己を己たらしめる定義。
生まれた意味を否定する、呪いの詛。
「あ、他のオンナノコのこと考えてる」
そう指摘されて、意識を浮上させる。
半分程度は当たっているから言い返せず、顔を逸らす。
(いやそもそも、他のオンナノコってなんだよって話だが)
「ダメだなー、逢瀬中にほかの子のこと考えてちゃあ。グレア、モテないでしょ」
「うるせ。てかあんた……お前だって、そういう気遣いが出来るようには見えねぇよ」
目線を合わせながら、そうやってからかってくる様子。
時間のことなどお構いなしに、あちこちに寄り道する振る舞い。
それらは、シールとはあまりにかけ離れ過ぎて、気が付けば彼女の影は、シンシャから抜け落ちていた。
少しだけ、人生にとってはまったく影響を及ばさないほどの程度ではあるが。
よしんば影響があったとして、こんな変人相手に絶対に認めたくはないが。
――心が、軽くなった気がした。




