2.【刻】
「一緒にランチ食べよっ」
「…………ヴァー」
午前の授業終わり、シンシャが、グレアの受講する教室を訪れた。
本人の身の丈にやや合わない、大ぶりを革鞄を肩から提げて、さも嬉しそうに。
グレアは目を剥き血の気を失い、嘆きを漏らした。脱力した手から、しまいかけた教本がこぼれ落ちる。
「あ、そう言えばさ、訊いておきたいことがあって」
その本を拾い上げつつ、シンシャは切り出してくる。
室内には、リジェクはともかく、シールがいる。
幸いにしてまだこちらには気がついていないが、シンシャは嫌でも目を惹く存在だ。すでに周囲がざわめき始めている。
こと、その筆頭は、ミチル・ジョゼ・サウヴァージュである。
「んな、な、な……!」
濃紺のブラウスに施した、瀟洒な刺繍が揺れる。それに合わせたあつらえたらしい黄金の中に青玉を嵌めた羽根飾りを載せた頭がわななかく。
唇を震わせ、かすかに上下する指先を、彼らに向けて差している。
「私でさえ、そんなお誘い、受けていなかったのに……!」
と、今にも感情を爆発させ、金切り声を出しかねない様子だった。
「? どったの」
それを気づいているのかいないのか。あどけなく小首をかしげる彼の手を、有無を言わさず掴み取った。
それから、思いっきり引っ張って、全速力で教室から逃げ出したのだった。
〜〜〜
「わお、こんなとこまで引き入れるなんて、大胆」
「そりゃこっちのセリフじゃ、だ、です!?」
例の如く、出会った壁上の楼閣。
正直いまだに距離感が掴めず、言葉拙くしどろもどろになるグレアに、シンシャはにこにことしながら、
「良いよ、無理してかしこまらなくて。自然体自然体」
などと宥めてくる。
そう促されるまま、息を整える。拍動と動揺を抑える。
抑えただけで無くなりはしないが、少なくともちゃんと話せるようになってから、グレアは言った。
「ハァ……たく、何考えてんだよ。こっちは立場が危ういんだってのに」
「……そうなの?」
「まぁ、それはこっちの都合だ。あんたには関係ない。で、訊きたいことってなんだ?」
「あー、まず……名前、なんだっけ」
「…………グレアだよ! グレア・アンティキラ! そう言えばきちんと名乗ってなかったね!? ごめんね!?」
「知ってるー。冗談だって」
顔を下から覗き込みながら、
「でも、君の口から聴きたかったからさ……グレア。良い響き」
そう、人懐っこく笑って横をすり抜ける。少年の赤髪が肩の横下を通り抜ける間際、その身体の小ささを意識する。
「ほら、一緒にご飯食べよ」
「ここで? 食堂は?」
「いや、俺自分で作るんだよね……そっちのが安心できるし」
「は?」
「大丈夫だって、ちゃんと多めに作ったから、グレアの分も分けたげるよ」
「要らねーよ。俺だって自前だ!」
「おっ、そこも気が合うね」
(……ほんと、なんなんだよ、こいつは!)
苛立ちと共に、誘われるがまま地べたに共に座る。陽光に曝されてきた煉瓦が、じんわりと温かい。
どうにも、ペースが掻き乱される。いつもであれば適当に流すか無言でやり過ごすところで、いちいち反応して躓く。
そしてそんな状況に、そこまで不快感がないという事実に、動揺しているグレア自身がいた。
「……で、結局何の用だ?」
「あ、そうそう」
手荷物の中から大ぶりの紙袋を取り出して、それを抱え込み、中から焼魚と大ぶりのチーズをサンドしたパンを取り出した。
そしてソースをわずかに親指ですくい、舌先でちろりと舐めてから、
「グレアのパークってさ。結局『時間を止める能力』ってコトで良いんだよね」
と、おもむろに切り出した。
「……そうだよ」
今更韜晦しても仕方ないので、素直に認める。
ポケットからナプキンを取り出し、そこに野菜や果物を焼き固めた菓子を並べ、その脇に水筒を置く。
「まぁ、色々制約はあるがな」
「セーヤク」
「まず一つに、一度発動させるとクールダウンが必要になること。エニグマが爆発的な魔力の負荷に過剰な熱を持つ。もう一つは、発動させても、急には停止とはならない。ゆるやかに時の流れが遅くなり、完全停止はほんの数秒だ」
「体感時間で二秒ってところ?」
「……なんで、分かる?」
「あ、やっぱそうなんだ。グレアの身体が超速くなって――あ、これが時間の鈍化か。んで、そっから完全に見えなくなるまでの動作の稼働域からそんなところかなと」
グレアは内心で舌打ちした。
つくづく、天才。努力家であっても、それを上回って余りあるほどの、超人的な感覚の持ち主だ。
「で、こいつが割と致命的なんだが」
と言ってから、グレアは腰の帯に佩いたままのクラドスを鞘に納めたまま、【エニグマ】を装填口に差し込んで起動させた。
件のパーク――【刻】を、発動させる。
徐々に自分とシンシャ、世界の感覚がズレを見せ始めた。完全停止するまでの間に水筒の蓋を開け、指先に垂らして湿らせる。
そして停まったシンシャの首筋に触れた瞬間、その時間と色がたちまちに正常に戻る。
「んわひゃっ!?」
その冷たさか、感覚そのものか。素っ頓狂な声をあげたシンシャが、大きく上体を震わせた。
「な?」
「いやいや、『な?』とか言われましてもですね……どゆこと?」
「動植物に触れた瞬間、効果時間が強制解除されるんだよ。ちなみに、クラドス自体を含めた物越しでもそうなる。たぶん、『自分と自分の動かしているモノ』って定義づけられてんだろうな」
「なるほどー。でも良いの。そこまでベラベラ喋っちゃって」
「話さなかったらどうせ後出しで再戦希望したり質問攻めにしてくるだろ。だったら、今一気にぶっちゃけちまった方が楽だ……俺にとっては、どうでも良いことだしな」
それを聞いたシンシャは、納得の首肯をしたすぐ後に、ん? と、小動物的に首を傾けた。
「つまりそれって、能力の内容がバレることより、《《能力を持っていること自体がバレる》》のが、グレアにとっては問題ってこと?」
と。
「…………ちっ」
「舌打ち!?」
ふだんであれば絶対に漏らさないような、余計な一言だった。
……なぜ、どうして。こうも口が軽くなる。
いったいこいつに、自分なんかの何を、知ってほしいと――
それが分からないがための、焦燥からの舌打ちだった。別に、シンシャに向けたものではない。
(まぁ、何が何故、どういけないのかをきっちり線引きしてやった方が、こいつがうっかり口を滑らせる可能性は低いか)
とあえて思い直し、一度菓子を、大口で呑み下してから口を開く。
「お前、クロノ・ナイツの原型……クロノ家伝来の魔導が何か知ってるか?」
「ん、機構魔導でしょ? 『機械を動かす法則や技術を、魔力の循環システムにも組み込みしましょー』、みたいな」
「それはあくまで副産物。源をたどれば、一つの系統に通じる」
「それは?」
「それが、時間魔導……未来視や過去視、あるいは並行世界の観測」
「ヘーコー?」
「まぁ言葉だけが文献に残っている状態で、俺もそのあたりよくわかってないが、別の時間の流れってとこだろうな。そういったものを使って、クロノ家は未知の技術を先取りし、再現できないものを魔導で代用した。それが機構魔導の起こりだ」
ほうほう、と相槌を打ちながら、シンシャはパンを抱えて少しずつかじっている。
「そんなわけで、俺のパーク【刻】もまた、そうした時間魔導の一種で、かつ家祖が使っていたとされる内のひとつだとされている」
「ん? で、それがバレることが何の問題?」
ここにきて妙な鈍さで問うてくるシンシャに、呆れ気味に、
「……末端の人間が先祖伝来の技を持ってることを、本家やほかの分家の人間が快く思うはずないだろ。あの人らには、俺のパークは『瞬発力の爆発的強化』ってことにしてる」
それで、バレたためしがない。
如何に予備知識があろうとも、グレアはそれを、本物の身体強化の魔導【速駆】と織り交ぜて使っている、時間の停止時間を認識できない以上、見分けるのはたとえクロノ家でも至難だろう。
そもそも同族間での戦闘行為自体がご法度だ。ましてパークを見せることなど。
(――いや、とも限らないか)
リジェクの、蛇のように絡みつく陰険な眼差しを、グレアは思い出した。
「あぁ、なるほど。いわゆるショセー術ってやつね。よっくわかんないなー」
サンドの残りを平らげながら、釈然としない様子でシンシャは言った。
「グレアはグレアなんだから、持ってる才能、フツーに使えば良いのに」
そう、無垢なまでに澄み切った瞳を細めて、そう言い切る。
あまりに眩しい、その目から逃れるように、グレアは碧眼を伏せた。
――そりゃ、あんたに分かるはずもない。
力も、位置も、財も。
自分を自分たらしめるすべてを持った人間に。
持たざる者が居場所を確保することが、どれほど難しいか。
出かけた言葉を、菓子の甘さに紛らし飲み込む。
「……ま、そういうわけだ。誰に対しても黙っててくれ」
「分かった。なんか、ごめんね?」
「良いって。俺だって、まさか看破してくるようなヤツがいるとは思わなかった。二、三度見た程度で能力の根本が時間操作だって言い出す奴がいたら、ふつうそいつは頭のネジが外れた狂人だ」
「……なんか、遠回しに馬鹿にしてない? てかやっぱ怒ってない? ほんと、ごめんて~」
「近いっての」
とても天才児とは思えない、情けない声をあげて縋りついてくるシンシャの顔を、ぐっと掌で押し戻す。
すとんと元の位置に戻ったシンシャは、わざとらしさを隠さず手を打った。
「その埋め合わせと言っちゃなんだけど、今度晩飯奢るよ。そーだなー、明日、授業終わり外出れる? 帝都の隅っこの方にさ、小さな料理屋あるんだけど、超デカい鍋で野菜とか山鳥とか蒸すの!」
……何やら、突拍子もない訳わからないことを言っている。
おそらく幻聴だろうと、断定する。
それからまたそのバカげた幻聴が聴こえる前に、即時残りの菓子を一口二口で平らげ、ナプキンを払ってしまう。そしてすぐさま立ち上がって、
「じゃあな。もう用事は済んだろ。これからはあるべき道に立ち返ろう」
そう足早に去ろうとする。
だが、双肩にずんと重みがのしかかった。
「いーじゃーん。一緒行こうよー」
と、シンシャが飛びつき、しがみついてきていた。浮いた両脚をばたつかせて、その華奢さのわりに強い圧をかけられる。それこそまるで、子竜にのしかかられているようだった。
「ふざけんな! 何が悲しくてライバル企業の御曹司と二人だけでメシ食わなきゃなんねぇんだよ!? 適当に女の子誘ってりゃあいいだろ!」
「家とか関係ないでしょ? あ、そんな拒否るんなら、パークのことバラしちゃうぞー」
「詫びとして奢ろうって奴がなんで脅迫してんだ!?」
……結局、昼休み中ずっとしがみつかれ、つきまとわれ、圧をかけられ続け――結果、渋々グレアは、その『お詫び』と応諾したのだった。




