1.クロノ家
グレアの起居する学生寮は、学園内の西に在る、元工廠とその倉庫類を繋ぎ合わせて改築したものだ。
高い天井と梁。石組みの分厚い壁。
暖と灯りがために夜間用いられている炉。
そんな談話室を占拠する一団がある。
いずれもクロノ家に関わりある生徒であり、そもそもが彼らのためにこの寮があるといっても過言ではない。
直立する上級生の間に挟まれるようにして、少年少女が対峙している。
グレアと、銀髪を編み込んで流し、清純と柔和さがそのまま形となったかのような、見目麗しい少女。彼女は、並べるようにした膝に拳を置き、もっとも質の良い椅子に座らされている。
ゆるやかな輪郭を持つ目元。時折、わずかに緑碧が混じる、灰色の瞳。その中で捉えられたグレアの表情は、罪人のように暗澹としている。
シール・クロノ。
夭逝した兄の代わりに、齢十六にしてクロノの名跡を継いだ才媛。
そんな彼女を守るように、かつグレアを罪人として弾劾ように、周りの護衛は冷ややかに
「ここに呼び出された理由は、分かっているな?」
その右に傍らから、親しみを感じさせない声がかかる。
リジェク・ベネディクト。
石灰の色と質感の髪と目、褐色の肌を持つ二年生の男子。家格としてはアンティキラ家と同列だが、今やその父は、本家家督相続に介入して政敵を駆逐し、クロノ家の実務を取り仕切っている。
その父に影響されたかのような、不遜な面構えと声音である。
「シンシャ・ランドバークとの一件、でしょうか」
あの日までつつがなく影に徹してきたグレアにとって、かくも物々しく呼び出される案件など、他に思い当たることなどない。
「御当主様に先んじて、かの天才相手に勝利を飾るなどという差し出がましさもそうだが……まさか再び戦って、しかも今度は負けるとは。何を驕ったかは知らんが、クロノの家名に泥を塗る行いではないかな」
どうやら、すでにこの晩のうちには、再戦のことも知れ渡っていたようだ。
「あれは、先方から強いて再戦を希望されましたもので。これ以上絡まれては勤めや学業にも支障が出るゆえ、やむを得ず」
「そもそも、あのシンシャ・ランドバークに君がタスクギアで勝利する、ということ自体が不自然な話だと思うのだが? 事実、彼はそれ以降の試合にはすべて完勝し、君はその後ミチル嬢に勝ちを譲っている」
「……何が仰りたいので?」
「何か思惑あって彼と談合したのか。あるいは、君自身が――我々に秘匿している特殊な術法を所持しているか」
……もとより、仲が良いとは言えない間柄だが、今晩のリジェクはことさら絡んでくる。
「止めなさい、リジェク殿。これ以上の詮索は無意味にして、無用のことです」
そこでようやく、シールが口を開いた。
「しかし、シール様……」
「わたしも、かの試合は見ておりました。あくまでシンシャ殿の油断につけこんだ偶発的な勝利であり、そこに疑惑を挟む余地はない。そうですね、グレア殿」
「――ご明察、恐れ入ります」
グレアは、表情を変えず頭を下げた。
「わたしとしては再戦の理由を知りたかっただけです。そして今聞いた限りでは、処罰が必要とは思えません」
しかし、と微かに硬い声質で、シールは続けた。
「あなたが誰と誼を通じようとも、咎めるところではありませんが……今後は、特にランドバーク家ならびにサイクロン・エンシェント社との関係者との接触には、慎重になってください。彼らには、クラドスの関係で不穏の動きがあるとの風聞もありますので」
「心得ております」
元より、今後はシンシャから近づいてくることは無いはず、とグレアは踏んでいる。
口ではどう調子の良いことを宣おうとも、所詮はシンシャにとっては、一時の戯れ。ただの好奇心から体当たり気味に突っ込んできただけだろう。
疑問が解決した今となっては、こちらに興味もさしてないだろうし、他にもっと大事に想うべき学友や女性もいるはずだ。
あの後、一応、パークについても口止めしておいたし当面の問題も無い。
……胸に差し込む一抹の寂寥は、目まぐるしく動いた感情の波間の、ただの錯覚だ。
「ここに長居しては、他の生徒の障りともなります。皆さん、それぞれの本分に戻るように……夜分のお集り、ありがとうございました」
そう言ってシールが手を打ち鳴らし、解散を促した。
ナイフのように尖らせたリジェクの一瞥を躱した後、グレアもその場を後にしようとした。
「ごめんなさい」
その背に、シールの声がかぼそく届いた。
「……何が、でしょうか?」
グレアは、低い声でその意を問う。
「本当は、あなたと久しぶりにお話したかっただけなのに、リジェク殿が大事にしてしまって。それでこんな、吊し上げみたいなかたちに」
「……彼の追及はもっともですし、筋の通った男です。彼のような人物は、貴方にとっては大事な存在です。引き立てて差し上げてください」
「あなたは?」
「むろん、私も」
踵をそろえて向き直り、深々と頭を垂れた。
「クロノ家が御為、この身も心も、捧げてまいります」
と。
その彼を、眉尻を下げて繊細な眼差しでシールは見ていた。
「何か」
思いがけない反応に、思わずグレアは問い返した。
シールはゆるやかに、かぶりを振った。
「ううん、ただ……もうずいぶん、君の笑顔を見てないなって。昔はよく一緒に遊んで、笑ってくれたじゃない。その、二人きりの時は前みたいに気軽に接してくれても良いんだよ?」
「――今にして思えば、己が分際をわきまえていませんでした。御就任前のことと言えど、御当主様には、さぞご迷惑なことであったことでしょう。申し訳なく思っております」
「そんな、こと……」
「他に御用が無いようでしたら、これにて失礼いたします」
再度一礼した後、グレアは自室へと踵を返した。
そう、全てはクロノのため。それ以外は何も望まない。ただ歯車のように回り続ける。
そんな人生に、幸福を求める意義も、嘆くべき不幸も、あろうはずもない。
一個人の一挙一動に、心揺さぶられることなど、もはや決してあり得ない。
鋼の心にて、手足の挙動に一切の澱みなく、事態に対処するのみだ。




