4.瞳の中の自分
【四翼】。
エニグマに刻まれたその古き語を、シンシャが口ずさむ。
瞬間、空気が避ける音と共に、シンシャは、雷電が四つの翼を持つ飛竜と成った。
直線的な動きに鋭角を加えて、蛇行した後、シンシャグレアの足下にて実体化。四翼の余波を紫電として背に負いながら、クラドスを横薙ぎに構えている。
(速ッ、ただの加速系スキルじゃねぇっ! 空間跳躍のそれに近い! ヤツのパークの影響か!?)
避けられない。ならば……正面から受け止める……だけでは足りない。相手のクラドスに対して、渾身の力を叩き込む。
烈しい金属音と共に、細かな歯車が残滓として散る。
「【転】……!」
シンシャと自身。両者の力を加え、流す。
その円の働きを利用して、クラドスに自らを演習場の仕切りの外へと逃した。
「これも防ぐか……良いねっ」
壁の上から、シンシャの声がする。
おそらく、そこから追撃を仕掛けてくる、はずだった。
だが――
「【一嚙】。二連」
壁が、上下に割れた。落下するグレアの真横に、壁の内側から、竜頭が飛び出た。さらにその中から、シンシャが躍り出た。
……要するに、直角に壁を掘り抜いたのだ。
「おまッ……誰が直すと思ってんだよ!?」
「んー、先生方の修復術? まぁそのための演習場だし……今は自分を気にした方が良いんじゃないッ」
そのうえでの、再度の【五爪】。それに加えての、内側より弾き飛ばされた飛礫。
踏み込んで加速に用いるべき、足場はない。
「歯車に――」
指を、懸けるが如く。
【刻】。
そう念じた瞬間、世界がセピア色に染め上がる。己の拍動が歯車の回る音として刻まれる。
木々も、大地も、破壊されて飛散する石塊も、【五爪】の放射攻撃も、シンシャ・ランドバークも。
この世のありとあらゆる事物の動きが、鈍化する。
ただ独り、グレア・アンティキラを除いて。
それでもなお続いていた動きは、さらに遅くなり、体感にして二秒、完全停止に至る。
その間隙の中、無理くりに身体を捻り、浮き上がる石片に飛び移るや、斬撃とシンシャの横をすり抜ける。
望む望まぬに関わらず、急速に時は再動する。
様々な物質と攻撃が衝突する、烈しい音が、草深い野に着地したグレアの頭上で響き渡る。
それを抜けるかたちで、シンシャもまた、軽やかに着地した。
「待った」
おもむろに、その彼がその場に座り込んだ。
そうして剣を抱き込んだまま腕組み、首を捻り、うんうんと唸り出す。
罠か、挑発か。
うかうかと踏み込むこともできず、立ち往生するグレアだったが、そのうなじに、悪寒のようなものを感じ、それは徐々に強まっていく。知らず知らずのうちに、唇を噛んでいた。
「あ、そうか! 『時間』――」
そう言いさしたシンシャに、反射的に飛びかかっていた。
だが、その突撃は空を切り、雷光の化身たる竜が、シンシャが、頭上で閃く。
――釣り出された!
そう察した瞬間、グレアは上から組み伏せられ、仰向けに倒れた。
決着、である。
(ほら見たことか)
わずかに地を滑って止まったグレアの心と身体を敗北感以上の脱力感が占める。
手の内のバレた奇術師ほど惨めなものはない。
これで、以降のシンシャ相手に勝利する可能性など、万に一つも無くなった。
「……満足かよ。人の秘密暴き立てて」
「ひょっとして、バレたくなかった?」
皮肉を知ってか知らずか流し、シンシャはグレアを覗き込む。
「だったら、なんで使ったの? いや俺としちゃ、知りたいこと知れて万々歳なんだけどさ」
「……いや全力で来いっつったの、あんたでしょうよ」
「だとしてもだよ」
まっすぐに興味を向けてくれる、澄んだ美しい、青い瞳。一度その眩さから、目を伏して逸らす。
それについては、むしろグレアの方が自問したいところだった。
虚栄心。自律の未熟さ。戦いの興奮で我を忘れた。
理由はいくつか考えられ、確かにそういう部分もあるのだろう。
だが、何においても、多くを占めていた理由を、今なら答えられる気がした。
「……嘘をつきたくなかったんだろうな」
意を決して、まっすぐと目を、シンシャへと向けた。
「あんた、相当努力してるだろ。たとえどれほどスキルを持っていようと、湯水のように使えても、それを的確に使い分けるには、相当のコントロールが必要なはずだ。戦術の立て方だって考えてた。きっと必死になるほど……だから、戦うって決めたら、その真摯さに、応えたいって、そう思った……」
見開かれたその瞳の中に、己自身の姿が在る。いつもは目立たぬよう隠してきた碧眼の揺らめきが、空の蒼さに融けている。
……何よりも、この眼を、嘘で曇らせたくなかった。絶対に口に出したくないことだが。
「まぁ要するに、一時の気の迷い! 悪いかッ」
「へぇ……へへへ」
シンシャは、白い歯を見せてはにかんだ。
「家のこととかはさておき、俺たち、仲良くできそうじゃない?」
屈託なく、シンシャから手を差し伸ばされる。
理解も感情も追いつかないグレアは、憮然とそれを仰ぎ見るのだった。




