1.シンシャとグレア
帝都マクムート。
その郊外の丘陵地に、国立の魔導院は存在する。
人体から生成される第二の生命力『魔力』、それを体系化した術法『魔導』。
それらを軍事技術として確立した帝国の覇道が形を見せ始めた頃に、その原型が生まれたという。
様々な悶着の末に接収した中央聖廟会の大聖堂を基盤として、本格的な公立士官学校を設立。
そしてこの九海大陸の形勢が帝国一強と相成り、掃討戦の様相を見せ始めた昨今では、官民を問わず生徒が入学するようになった。
ただし、貧富貴賤の格差が払拭されたとは言い難い。
識字率や学費などの問題から、実情としては有力貴族や商家の子弟、あるいはその従者が大半を占める。
シンシャ・ランドバークも、そうした新入生の一人であり、かつ最たる者と言えるだろう。
帝国の四大企業が一画、サイクロン・エンシェント社の経営者一族である、ランドバーク家の御曹司。
熟した林檎のような髪色に混じる、白磁のごとき艶光。長い睫毛の下で、ぱっちりと開かれた空色の瞳。幼さかすかに残す、美少女にしか見えない愛嬌ある顔つき。
年齢相応の装束さえ、やや丈の余って身体の輪郭をすっぽりと覆い隠してしまう小柄な体躯と、肩の辺りまで伸びた髪を束ねてもなお、外に向けて跳ね出るまとまりの悪さは玉に瑕だろうが、その不均衡さこそが、彼の天才性を体現するかのようだった。
附属の幼年学校時代から座学、実技ともに首席で、『公的な試合』はなお無敗。
また闊達で天衣無縫な性格は男女共に人望があり、彼の周囲には常に有力者や才媛が集まってくる。
一方で、それに勝利したグレア・アンティキラはどうか。
帝国の覇道に貢献してきた、クロノ家に連なる者である。
だがその家格は、分家の中でも末席。年若く、お飾りの当主である。
後見人という名目で随伴してきた家宰が、実務の一切を取り仕切っている。
鬱蒼としたを想わせる、濃い紫の髪。暗い色地に緑灰の釉薬をかけたようなその眼は、余分な光が主君の障とならぬように、半ば瞼の内に沈められている。気づけばそこにあって伸びている、すらっとした立ち姿を、従者としての黒紫のスーツで包み、同じく一年生を示す青いタイだけが、その中で浮いていた。
そのありようは、影に近しい。歯車に等しい。
いざクロノ本家に異変あれば、あらゆる感情を排して身を捧げ、事に御家の盾となければならない。その教えが十六年の年月と共に刻み込まれている――そうでなくては、ならない。
あの、模擬戦までは、全てが狂うまでは。
(感情を排し、排し、排、し――あぁぁあぁ! クソッ)
彼は今、その一戦における自身の振る舞いを、猛烈に後悔していた。
〜〜〜
「ダメです、お嬢様! 姿が見えません!」
「それでも学園から出られるはずが無いでしょう!? この方向に逃げたことは確かなのだから、隅々まで探しなさい!」
国務大臣令嬢、ミチル・ジョゼ・サウヴァージュの甲高い声が昼休みの学園の一角に響き渡る。幼年学校時代からシンシャと親交のある、彼の一派の筆頭格だ。暇を見つけては、追い回して、甲高い声で難詰をしてくる日々が続いていた。
絶妙なプロポーション。それを包み込む衣服は、青いリボンタイ以外は、すべて特注のブラウスやスカートである。
おそらくは長い時間をかけて仕上げたであろう、首筋の横に流した巻き髪にサファイアの鳥細工をあしらっている。美しくも気位の高さと自負がにじみ出た、彼女に相応しい出で立ちといえるだろう。
このような状況でなければ、歯牙にもかけられなかっただろう。
このような状況でなければ、過剰に敵視されることもなかっただろうが。
それに突き動かされて数人の『お付き』が右往左往する裏手で、倉庫の陰に隠れながら、グレアは息を整えた。
(どうしてこうなった)
何度も己に問い返す。だが答えは決まりきっていた。
(なんで、あんなことをした)
そうも問い続ける。そこについては、答えが出ない。
まったくの愚行。申開きのしようもない蛮行。
引き分けに持ち込むならともかくとして、無様な完敗をするのも考えものだが、それでも、ほどほどに戦って、相手を立てて負ければ良かった。そうすれば、両家の顔に泥を塗らずに済んだものを。
ふと、視界の端に尾羽のようなものが、掠めた。
半透明の、単眼を額に貼り付けた異形の小鳥が、その鼻先をかすめた。
(使い魔……ッ)
魔導によるミチルの使役術、その一端。
気づいた時には、もう遅い。
「見つけたぁっ!」
癇の強い声が鼓膜に響き、複数の足音が近づいてくる。
「っ!」
自らの穿く剣の鞘に手を掛けた。その溝に、黒曜の輝きをたたえる、方形の石片をぴたりと当てはめると、その表層に白く鈍く光を放ち、溝として彫られた歯車のごとき紋様が浮き上がる。
そして傍の壁に足を掛けて力を込めた。
――【速駆】を、遣う。
靴の裏に、スケッチのようなタッチで歯車の陣が浮かび、回り始めた。そこから三歩、地の脚力と体内に蔵された魔力を用いて、一気に天辺まで駆け上る。
およそ元宗教施設とは思えない、頑強で分厚く囲われた壁。それを連ねた角楼。その上に降り立ち歩きながら、下の喧騒から離れようとする。
人は、知性と共に魔力を手に入れたという。
そしてその魔力を有効に活用できるようになったのは、たかだか五十年前。
歴史の表舞台に突如として現れた一人の天才によって、種々様々な術式を体系化した結晶体たるエニグマと、その出力装置クラドスが開発された。
そしてその天才と共に新時代の幕を開いた者たちこそ、三代前のクロノ家当主および、その騎士団。資材、金銭、土地を献上し、その開発に多大な貢献をしてきた一族と企業。これこそ、クロノ・ナイツの原型。
その偉大なる宗家を差し置いて目立つことなど、あってはならない。執着など、してはならない。されることなどあってはならない。興味など、持たれてはならない。
「なるほどなるほど、加速の魔導でも、そこまで効果が伸びるのはなかなか見たことがないな。やっぱ、肉体強化がメインなのかな?」
壁上に続く鐘楼の上、そこに、悩みの種が腰掛けていた。甘さを帯びた声で、感嘆を漏らした。
結って流した林檎色の髪。白磁の光沢。魅力的な笑みと共に、脚を投げ出して。
学園推奨の群青の外套は、華奢であるがゆえに肩からややずり落ち、その下に特権的に着た紅のシャツの、開け気味の鎖骨のあたりから、一年生を示す青いリボンタイを、緩く結えている。
シンシャ・ランドバーク。
数日前、自分が負かした相手。自分の運命を狂わせた相手。
もはや逃走は諦めて、グレアはため息ひとつ、彼を睨み上げた。




