零れ話 ~子竜の笑いどころ~
その後の休講の日、あらためて件の『赤煉瓦』を、グレアとシンシャを訪れていた。
そこを仕切る女将はかつてランドバーク家に仕えていたそうだが、今は暇を出されて、この料理屋を切り盛りしているという、シンシャの顔なじみらしい。
背丈の割にはやや恰幅の良い老婆で、自ら曲がりかけた腰でテーブルに運んだのは、大鍋。その中に巨大な鳥肉の塊や野菜類とハーブを敷き詰めて蒸した、野趣あふれる料理だった。あまりに大味に過ぎた、シンシャの説明は割と合っていた。
「どう、どう?」
勧められるままフォークで口に運んでいく。ペース配分は、ふたりして同じぐらいだった。
「……量と骨と謎の塩気はともかく、味は良い」
「そう? 良かったー。俺も、ここのじゃないと外じゃ食べらんないぐらい、好きなんだ」
頬杖をついてシンシャは微笑を浮かべた。
ナイフで頭以外が丸々入った鳥を解体しながら、ちらりと彼を盗み見る。汽水から魔導が誕生したことに由来する、青のリボンタイを紅いシャツに巻き、濃紺の学校推奨の外套を椅子の背に掛け、林檎色の髪を後ろに乱暴に束ねている、。
「その恰好」
「男のものなんだな」
「うん。当分は大丈夫かなって」
「ん?」
「ていうか、グレアがこっちのが良いって言ったんでしょ。変装しろって言ったり、言わなかったりワガママだなぁ」
「……そりゃあ、すんませんね」
グレアは嘆息した。
(いや、なんだ……『男のもの』って)
女装の方が自然というのでもあるまいし、と内心に漏らした感想に、グレアは首を振った。
そのシンシャは、手を止めてじっとグレアを見つめていた。何かを探るように、上目遣いで、大真面目な感じで。
「……なんだよ、俺に何か言いたいことでもあるのか?」
「え?」
「ずっとこっち見てるし」
いつもよりも笑わないし、という言葉はいささか気持ちが悪いので喉の半ばで引っ込めた。
「んー、いや別に。ただ、色々と観察中と言いますか、思索の最中と言いますか」
などと宣うシンシャの表情は、妙に哲学者っぽく気難しげで、笑顔からは程遠い。
「……訳分からん」
「分かんなくていーよ。グレアは、ありのままでいてくれれば」
本当に、訳分からん。口にせず心の内で繰り返す。
思えば、グレアはほとんど、シンシャのことを知らないままに、ここで同じ食卓についている。
何を考えているのか。何が好みなのか。何に興味を持っているのか。
もちろん、そういったことを知るためのコミュニケーションの手段という面が、食事にはあるとは思うものの、自らあえて深入りことも憚られる。
他ならぬグレア自身が、そうだから。
自分を見て欲しいと思う一方で、踏み込んでは欲しくない。おぞましい、泥のような出自を知って、この真っ直ぐな瞳の輝きを、曇らせたり、歪ませたくはない。
(――めんどくさいな)
と、ひそかにグレアは自嘲する一方で、シンシャには笑っていて欲しい。
(……いや、あくまでそうしないとかえって不気味だからとかそういうアレコレの理由で)
それから、特に会話らしい会話もなく。
食事を済ませたあたりで、ぞろぞろと団体の客が入り、居心地が悪くなったので、さっさと席を立った。
店を出る間際に、グレアは女将に呼び止められた。
「もし、グレア様」
シンシャから聞いていたらしいその名を、彼女は枯れた声音でおそるおそる口にした。
「グレア様は、料理の心得がおありだとか」
「……手慰み程度ではありますが」
「よろしければ、こちらを」
と、数枚の紙片をグレアに握らせてくる。
「うちのレシピです。時折でも、どうかこの老婆に代わり、魔導院で、坊ちゃまに振舞ってはいただけないでしょうか……?」
「は――? いやいや、何故俺に」
「坊ちゃまがかくも心開かれ、楽しげに語られたのは、貴方様以外におられませなんだ。どうか、どうか――よろしくお頼み申し上げます」
そんなことはないだろう。あそこまで天に愛された才と、人に愛される愛嬌を持ち合わせた人間が。
そう言い返すことを許さない圧が、ぎゅむむと肉を畳むようにお辞儀をする老婆にはあった。
「遅かったね。って、何それ?」
ドアベルを鳴らして出て来たグレアが、結局返せなかったレシピ集を見下ろしていると、背を伸ばしてシンシャが覗き込んできた。
「お前に飯食わせてやれだとよ」
「おっ、今度はグレアが御馳走してくれんの?」
「やだね。今日の埋め合わせで、貸し借り無しだろ。俺がひとりで作って、ひとりで食べる。ワイルド過ぎてシール様のお口には合わないだろうしな」
「けち、イジワル」
ふくれたシンシャを見下ろしつつ、グレアはからかうように笑う。自然、零れ落ちた笑みだった。
その笑顔を、天青の眼を瞠ってシンシャは見上げた。
そして、表情をほころばせて、軽やかな声を立てた。
(あ――笑った)
何を考えているのか。何が好みなのか。何に興味を持っているのか。
それさえも、分からないヤツではあるものの。
この空気は、どうあっても嫌いにはなれなかった。




