9.どうしようもない二人
残った二人は、残るだけの理由があった。
(それなりに、やるな)
【雲裂】から逃れた男たちに、前後から挟撃されるのを的確な剣筋で捌きながら、彼らの実力と戦力とを見積もる。
奮うクラドスは、スコルピオス二式。
縮小可能の、細槍型。内蔵するのは、おそらくソニックコボルド。小回りの利く速攻を主体としたエニグマだ――不意打ちや、暗殺にも、好んで用いられる。
それで空中込みの、機動戦を展開し、こちらの翻弄を画策する。
だから、分かる。
密命を帯びた彼らは、その『それなり』に全霊をかけて挑んでくるだろう。
ライトニングワイバーンでは、そんな彼らの命を奪いかねない。
(不思議なもんだよ)
互いの命を脅かしているのは今この時なのに、そこにはグレアほど心動かすものはない。冷たい理性だけが、働いている。
そも、シンシャ・ランドバークは、戦いそのものに、陶酔や喜びを見出したことはない――グレアと立ち合った、あの瞬間まで。
彼の眼を見た、あの時まで。
だから、終わらせる。
とりあえず可能な限り穏当に、かつ手早く。
「ストームリヴァイアサン」
エニグマを、換える。
蛇行する蛟竜が、星となって頭上に座す。その尾の先まで、閃かせる。
挑発も兼ねた、戦力の調整。
それに乗じて、【一噛】を発動させた槍で、突きかかってくる。
「【一噛】」
それに、同じく応じる。
下から衝き上げるかたちで繰り出した短剣は、前方の敵の穂先を跳ね上げさせた。
「【射水】」
そのうえで顧みることなく、感覚のみで、掌上に抽出し、固めた水の塊を背後の敵へと放出する。
その水圧を、引いた槍の把手で防ぐ。その間に、【一噛】を無詠唱で再発動。柄を正面の敵に腹部に一発叩き込み、つんのめさせる。
――【速駆】。
もう一方の敵に向けて反転して懐中に踏み込む。帽子が舞い上がる。
正面から攻めかかる。男の眼は見開きつつもしかし、槍の石突を地面に立てるや、剣が食い止められる。いかに押し込もうとも退くことがない。
おそらくは、正面からの、直接的な攻撃を無効化するパーク。その隔壁は、シンシャをして破壊することはできない。
破壊はできない。敵は倒せない。
ただし、正面からは。
「【双牙】」
男の背後から、蛟竜が現れた。その形をとる、シンシャの魔力が。
首筋に噛みつくや、そのまま壁に向けて放り投げる。
したたかに後頭部と背面を打ち付けられた彼は、そのまま倒れ伏した。
ゆるやかに落ちて来る帽子を、そのまま蛟竜を操り確保。自らの頭へと戻し置く。
「……せっかく、変装までしたのに。誰かと一緒なら、襲ってくることないと踏んでたのに。余裕無さすぎでしょ」
その鍔を指ではじきながら、シンシャはぼやいた。
「どうせ無駄だろうけど、『あの人』に伝えておいて」
まだ意識を残している刺客の一人に近寄りながら、言う。
「俺から、何かをするつもりはない。けど、これ以上彼を巻き込むなら――」
「黙れっ! バケモノめ!」
その言伝を遮って、顔の筋肉すべてを引きつらせたかのような面持ちで、その男は這うように後ずさった。
「貴様さえいなければ、今頃あの方が当主になれたものを……!」
遠吠えを中途で吐き捨て、身内を捨て、彼は遁走していった。
「――それはもう、散々聞いた」
項垂れながら、低く呟く。
追跡は、しない。それ以上は何も詮索しない。何故と問うことも無意味だ。お互いに、この表向きはこの件について素知らぬ体で付き合っていく。それしか、ない。
「家の都合なんて、ほんと……どうでも良いよ、グレア」
その捨てられた片割れを、気道を確保するように寝かし直し、シンシャはその場を後にした。
~~~
その店は、赤い煉瓦の屋根が特徴の、小ぢんまりとした店だった。
だが、その一帯では比較的広い通りに面していて、待ち合わせをしていたならば、一目して相手の位置が分かる。
そして今、店の周囲には誰もいなかった。
「……やっぱり、帰っちゃったかな」
苦笑と共に、シンシャは寂しげに呟いた。
「そんなに俺を薄情な人間にしたいのか?」
背後から毒づく声が、聴こえた。
びくりとして振り返る。振り返ってギョッとする。
満身創痍で壁に寄りかかるグレアを見て、なおさらに驚く。
「お前、全然一本道じゃねーじゃねーか、ふざけんな。お前を目当てに無駄に探し回ったぞ」
「ごめん……っていやいや、なにそのボロボロっぷり、大丈夫!?」
「別に。ウチのヤツに因縁つけられただけだ。お前には関係ない」
「そう、なんだ……やな偶然」
「あ?」
こっちの話、とシンシャは首を振る。
グレアはグレアで、やはり逃れ得ない血の柵に縛られているようだ。その姿は、見るだけで胸が痛くなる。
「まぁ、とにかく入ろ。今日のやなことは、全部忘れてさ」
そう手を引きかけた時、ふと嫌な予感が頭を過ぎる。まさかと思い、服の、身体の、あらゆる部位ををまさぐる。だがそこに、確かな手応えはない。
「おい、何してんだ?」
胡乱げなグレアの問いかけに、顔を引き攣らせながら、
「財布、元の服の中に入れたままだった……」
と、消え入りそうな声で、答えた。
「ハァっ!?」
頓狂な声が、すかさず飛んできた。
「ごめーん!」
と手を合わせて頭を下げるシンシャに、それ以上は怒りも呆れも通り越したような面持ちで、肩を落とした。
「しょうがねぇな……じゃここは俺が立て替えてやる」
「うう、面目ない」
「絶対あとで返せよ」
渋い表情を浮かべるグレア。だがその彼もまた、ふいに目を見開き、先のシンシャと同じように、上着のポケットをまさぐった。
だが、そこには大穴が穿たれていて、突っ込んだ彼自身の指が、中から下へと貫通していた。
……そしてグレアは、膝を折り、肩を落としてしゃがみ込んだ。
「ど、どったの?」
「財布、落とした。多分さっきので」
その膝を抱えるようにして項垂れたグレアは、底まで沈み込んだ声音で答えてから、大きく溜息を吐いた。
名状し難い、重い空気が流れた。
そこにいたのは、厄介ごとに巻き込まれ、本来の目的だった飯にもありつけず、素寒貧になっただけの二人だった。
さっきの、が具体的に何時の何を指すのはさておき、シンシャが誘いさえしなければ、避けられたのだろうか。
――お前のせいだ。
――お前が、余計なことさえしなければ。
そう、記憶から糾弾の声が呼び起こされる。
――お前さえいなければ。
さっき刺客の男が吐き捨てた言葉。
それが、グレアの声音を借りて、幻聴として頭の中に響く。
(あ……ダメだ……)
思考が、感情が、変な方向に行きそうになっている。
笑わないと。
笑わないと。
とにかく笑って受け入れないと。
色々なことが、流せなくなる。
ふっ、と。
呼気が、シンシャの目の前で零れ落ちた。
「ははっ、どうしようもねぇな。お互いに」
そう――笑った。あのグレアが。
その笑顔は、困ったように眉尻を下げながらもすごく自然で。
普段の彼からは想像もできないほどに、あどけなくて、無垢で、素朴で。
いつもは意識が向かない、睫毛の長さや、口元に添えた手のかたちや、指先のしなやかさに心奪われて。
まるで、雲の間に差し込んだ、柔らかな夕日を見た想いで――。
ぺたん、と。
シンシャは茫然としたまま、腰から落ちるようにその場に座り込んだ。
力が抜けた。笑うグレアを仰ぎ、その眼に焼き付けた。
――つられて、笑ってしまった。
肩を震わせて、心の底から、涙が出るほどに。
「さて、長居しても意味ねぇし、帰るぞ」
笑いを収めて息を整え、余韻で軽くなった語調で、グレアは言った。
「えーと……一応ツケも利く店だけど……?」
「却下。また今度来ればいいだろ」
「…………」
「なんだよ」
「次があるんだ?」
「……金忘れんなよ。あとせめてマトモな恰好で来い」
「えー、でもグレア、こーゆーの結構好きだったりして」
「ひっぺがすぞ」
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何やら楽しげに、ひとしきり笑った和やかに帰っていく二人の少年を、リジェクは物陰から、それらとは対照的に苦々しく見送っていた。
その傍らには、銀髪の令嬢が立っている。
彼の主人たる、シール・クロノ、その人だった。
「申し訳ありません。奴のパークを暴くには至りませんでしたが、次こそは」
「無用です。それより、貴方も今後このような独断専行は慎むように」
「しかしながら」
「これ以上余計なものを、見させないで」
そう言って踵を返す彼女の表情は、暮れなずむ景色の中、見ることがかなわなかった。
「……は」
クロノ家当主の言葉である。
事の理非と感情の所在は置いて、従容として頭を下げるほかない。
(もし今、この時自分の立ち位置にグレア・アンティキラが居たのならば)
きっと同じように、黙々と従ったことだろう。
おそらくは、感情も言葉も、何もかもを押し殺して。
そんな馬鹿馬鹿しい考えが過った己を恥じて首を振り、リジェクは薄闇の通りに溶けていく、少女の背を追いかけたのだった。




