7.グレア
……その真偽のほどについて、グレア・アンティキラは直接確かめたことはない。
ただ、漠然と、察せられるところではある。
長らく父との間には子が生まれなかった母が、三十を過ぎて子を授かったこと、その間に先代クロノ家当主が、狩猟がために足繁くアンティキラの領内を訪れていたこと。
直接的な嫌悪は見せずとも、距離をとっていた父。晩年、腫瘍により亡くなる間際の、吐瀉物と血反吐の混合物に塗れながら、息も絶え絶えに涙を浮かべ、一人息子……であるはずの少年を睨んでくる彼の目は、背後の誰かへと向けられた、未練と嫉妬と憎悪に塗り固められていた。
そして、アンティキラの家督を継いだ折、クロノの総領に面通しされた。老いてなお辣腕でもって鳴らす一方、色好みであることで知られる彼は、すでにこの時、娘を一人残し息子たちに流行病で先立たれ、やや憔悴の色が表れ始めていた。
それを隠すように、面会においても常に背を向けていた。
その彼に、一つの石片が下賜された。机を介して。
『これは……?』
『流通品とは異なり、そのタスクギアの系統樹には、クロノ家伝の術法が仕込まれている。真にクロノの血を引く者ならば、目覚めさせることが出来るであろう』
『……私に、これを渡される意味とは?』
『深い意味などない。直系であろうと傍流であろうと、クロノの人間には同様の仕掛けのエニグマを与えている。全ては家の秘奥を絶やさぬための術よ。見込みが皆無に等しかろうと、頭数が大いに越したことはない』
では、《《あえて人目を避けて》》渡される意味とは。そんな問いが、喉から出かけた。
『歯車に、指を懸けるが如く』
少年を顧みることなく、弱々しい老人の語調で呟いた。
『時の進みを緩めることはできる。わずかに留まることも出来よう。されど――巻き戻すこと、永遠に止めることは、能わぬ』
と。
――お前は、やり直しのきかぬ我が過ちだ。
おもむろに時について説く痩せ枯れた背が、そう言っている気がした。
その老人も、二年前に死した。
母は、己が生まれた時に産褥で亡くなった……そういうことに、なっている。
自身が実際は何者であるかを知る機会は、この時永遠に失われた。
己を己たらしめるものは、歯車。
歯車であり続けること。
何も考えず、一個の部品として、回り続ける。そうすれば多少は救われる。この人生に、意味を見出せるはずだ。
たとえ不出来でも、望まれなかったとしても。
たとえ、誰もかもが、見てくれなくても。
シンシャ。
何も知らないくせに。
あいつのことも、何も分からないのに。
いや、だからこそ。
あの目にそのままの自分が、映っていた。
あの眩く青く輝く、美しい瞳の中に。
初めて、鏡を見た想いだった。
負けず嫌いで、すぐ意地を張る、何かあれば心乱されるようば、不恰好な自分。
切り捨ててきたはずの全てを、あいつが、見つけてくれた。知ろうとしてくれた。本当は、知って欲しかった。
――じゃ! 絶対に店来てねっ、絶対だよ――グレア!
アンティキラではない自分を、呼んでくれた。
(だったらせめて)
その約束ぐらいは、守りたい。
せめてそれまでは、死ぬことも、消えることも――しない。
グレアの手は、震えながらも知らず、リジェクの足首を掴んでいた。
あ? と訝しむ彼を、
「――痛ぇんだよ」
底から絞り出した声とともに、渾身の力を出して引き倒した。
「もうさんざんに蹴らせてやっただろうが……っ!」
その不意打ちに、後頭部を地面に強かに打ちつけたリジェクが、悶絶する。
「悪いが先約があるんだ……あんたの癇癪にいつまでも付き合ってられるか」
そう宣うや、グレアは鞘のエニグマを別のものへと切り替えた。同じく黒い結晶。だがその表層と足下に浮かんだ刻印は、下に向けて先端を尖らせた、鋼の螺旋の絵図面。
「ボルトシューター」
そのエニグマの名を、グレアはあらためて口にした。




