第二話 雷起こし
1.残り火
暑さで寝苦しくなって目が覚めた。
今何時だ。
もう消灯の時間なので、廊下からのわずかな明かりで時計の針を確認した。午後11時丁度を指していた。
まだ一時間しか寝れてない。
再び眠りにつこうとした。暑さと湿気で、病衣が汗ばみ、とても不快だ。中々寝付けそうにない。
でも、この慣れない病院生活も明日で終わるとなると、そのことぐらいどうってことなかった。
私は今、病院にいる。
入院からもう5日たっていて、担当医曰く明日は晴れて退院だそうだ。
眠れない夜は長く続きそうだ。このぼんやりとした時間、私はこの病院に来てからのことを思い出していた。
ファイヤスターターとの闘いが終わった後、私はすぐに意識を手放した。
そして目が覚めると、この病室にいた。
どうやら眠っている間に一通りの処置は終わったようで、自分の全身が包帯でぐるぐる巻きにされていた。そこで、自分の状態が思っていたよりもひどいらしいと悟った。
私の頭の中でひどく恐ろしい想像がよぎった。
包帯が取れたとき、自分の肌や髪の毛は元通りになっているのだろうか? もし戻らなかったらどんな顔で学校に行けば、いやこれからどう生きていけばいいんだろう?
私は昔見た、大火事での後遺症で苦しむ人のドキュメント番組を思い出していた。その火事の生き残りのうち一人がとんでもない重症で、全身の肌がケロイド状になり、髪の毛はほぼなくなって、残り少ないそれは縮れて頭部へと引っ付いていた。
その想像は頭の中で拡大していき、その分だけ部屋が狭くなったような気がした。
その日の夜は眠れなかった。
その翌日、私の不調にもお構いなく、刑事が来て事件の取り調べに来た。2人で来たが、どちらも特徴がなく、あまりやる気のなさそうだ。寝れなかったのが影響したのか、またその刑事たちの特徴のなさに引っ張られたのか、私は途中からどっちと喋っているのかを把握できなくなっていった。
寝ぼけた頭で話したせいか、だいぶ適当な証言になってしまった。もちろん、あの巻き込まれた事件の超常的な部分はおくびにも出さなかったが。結局、あの事件は、坂田が何かしらの方法で自殺を図って、それに私達が巻き込まれたというストーリーをでっちあげて話した。
おそらく昨日聞いてきたであろう、洋子との証言とはおそらく矛盾するだろう。だからそこを突いてくるのでは、と身構えていたのだが、そこまでは聞かれなかった。
それよりも刑事たちは、燃えた原因は何か心当たりがあるか執拗に聞いた。どうやら普通の事件では、そういう物証が重要らしい。それについては、よく分からないで通した。
そうして、取り調べは曖昧な印象のまま終わった。取り調べが終わって、部屋を出ていくとき、刑事二人はそろって首を傾げていた。どうやら納得いかなかったみたいだ。それがなんだか喜劇的にみえて可笑しかったので、つい笑ってしまった。
次に来たのは母親だった。ただ、とってつけたような気づかいの言葉以外には、私に対して何もしゃべらなかった。本当は、入院代がとてもかかることについて愚痴りたかったのだろうが、そこはさすがに本人の前ではこらえたらしい。
ガラス一枚隔てたような緊張が続き、忙しいからあまり来ることはできないと言い残して、すぐ出て行ってしまった。
見舞いに来たのは、退院を除いて、それきりの一回だけだった。ただ、それでいいと私は思った。どうせ来ても、お互いいらない気を遣うだけなんだし。母が病室を去ると、眠気が頭を覆い少し仮眠を取ろうと横になった。
そこから曖昧な夢を見たが、内容は覚えていない。夢から覚めると、目の前に洋子がいた。
見舞いに来てくれたらしい。
目が合うと、洋子のその特徴的な困り顔がゆがんで、目元が潤んでいるのが見えた。
その瞬間、私は洋子を助けて本当に良かったと、心の底から思えた。例え、肌がケロイド状になろうと、髪の毛が無くなろうと、後悔はない、そう一瞬だけ確信のような気持ちが湧き上がってきた。
私は洋子が落ち着いた頃を見計らって、あの場で説明できてなかった、超能力のこと、そして自分が見た奇妙な街の夢について話した。
それについて洋子はよく聞いてくれた。むしろ楽しそうに目を輝かせて。それが私には嬉しかった。
そして、それを一通り話し終えると話題は事件の取り調べの話に移った。
「事件の取り調べ、洋子はどうだった? 私は証言はある程度、ぼかして言ってみたけど、洋子確か、正直に話してみるって言ってなかったっけ?」
「うん。起きたことほぼ正直に言ってみたよ」
「それで、どうだった?」
「まともに取り合ってもらえなかったみたい。疲れてるんじゃないかって言われてなだめられた」
洋子は、しょんぼりしたみたいだったが、正直私としては、ちょっとほっとした。超能力とかの類は、政府とかが、もみ消してしまうのではないかと陰謀めいたことがあるんじゃないかと考えていたからだ。
「警察は日陰者のことを知ってるのかな。うーん、それとも知ってて黙ってるか」
「わたしの印象だと、知っていそうだった。なだめてきたときも、刑事さん、明らかに焦って隠したいように見えたから。もしかしたら警察の中ではタブーなのかも」
洋子の見たてだと、どうやら知ってても、おおっぴらにはしたくないみたいだ。まあ、今まで私も知らなかったしそういうものなのかもしれない。
「じゃあこの事件はどういう収まり方をするんだろう」
「そのことだけど...」
洋子は、私の街の新聞の一面を見せた。それには、私達の巻き込まれた事件について、小さな記事として載っていたが、事件の原因については、窓ガラスや鏡の位置によって光が集まったことで虫眼鏡の要領で自然発火したのだろう、とそれっぽい理屈がくっつくだけとなり、坂田がやったことにもなっておらず、ただの事故として載っていた。
「私は、納得できないよ。だって和代のがんばりも、雲母さん、坂田さんのことだって全部なかったことみたいになってるなんて」
洋子はそのことに憤っているようだった。
「でもそれが一番丸く収まるよ」
そう、私はまとめることにした。でも、その憤り自体は全くその通りだ。私がせっかく体を張ったのにそれがなくなるなんて。
その言葉を最後に会話は途絶えた。その後しばらく、私達は3階の窓の外から見える夕焼けをじっと眺めていた。
「この事件もささいな何でもないことになってしまうのかな?」
ぽつりと、洋子がつぶやいた。
それからは、ゆったりとした入院生活が続いた。 洋子は事件の翌日からかかさず、見舞いに来てくれた。そこまで心配している人がいるという事実は胸が熱くなるものだ。
入院から3日目、洋子から意外なことを聞いた。
「そういえば今日の昼休み、わたし秋月さんに呼ばれたよ。それで何かと思ったら、あの事件について聞き取りをしてるみたい」
秋月希依は私のいる1-Bのクラスメイトだ。もっぱらの根明で、ショートボブの茶髪が特徴の子だ。マスコット的な愛され方をしている。何故か、数学のひどい点数をこれ見よがしに見せて回っていたのが印象に残っていた。私みたいな根暗な人間からすると、少し刺激が強い。
「恩田といい、事件について不用意な首を突っ込みたがる奴ってのはいるんだね」
そう言ってから、洋子もそうだったことを思い出した。
「いや別に、洋子はいいんだよ。ちゃんと坂田が犯人だって突き止めたわけだし」
言い訳じみて、そう付け足したのに対して、洋子はあいまいな笑みを浮かべるだけだった。
「秋月さん、他の人にも聞き込みしてるみたいで、もしかしたら入院後、和代も何か聞かれるかもしれないよ」
洋子は切り替えるように言った。それは、さっきの会話をなかったようにされた気がしてなんだか複雑だ。
「とりあえず、気を付けていたほうがいいと思う。」
そう洋子は話を区切ると、話題はすぐ別のものへと移った。
入院から5日目、今日の昼にようやく包帯が外された。肝心の肌、髪の毛は、まったく元通りになっていたので、ほっとした。 担当医はこんなに治るのが早いのは珍しいと言っていた。
そうして、今に至るというわけだ。
ここでふと、事件後、あの街の夢は見ていないことを思い出した。
"水餅"もあれ以来私に話しかけてこない。そのことについて深く考えようとしたとき、ようやく眠気に襲われた。
沈んでいく意識の中で、このままあの夢に辿りつけないかな、とそんなことをふと考えてみる。
だが、その眠りで街の夢を見ることはなかった。
2.雷起こし
事件から6日後、6月10日。私はあの後、何事もなく無事退院した。久々に団地の自室へと帰宅すると、なんだかこの部屋全体が埃っぽくなったような印象を受けた。清潔で整った病院にいたせいだろうか。この電気代節約のためにいつも薄暗くしている部屋の彩度、そしてお世辞にも綺麗とも言えない床が、戻ってきたことを再認識させてくれる。
退院は午後だったので、学校へ行くのはその次の日になった。ちょうど、事件のあったちょうど一週間後だ。
普段と同じように、学校へ行くだけなのだが、やっぱりこうしてブランクが空くと新鮮だ。
教室へ着くと、明らかにクラスメイトの注目を私は集めていた。最初、教室へ入ると、皆遠巻きに見ていたが、クラスのお気楽ものが一人話しかけると、それにつられ、一人二人と次々に話しかけてきた。それは遠巻きに見ている私にとっては、おかしくてたまらない。
それ以外は特にいつもと変わらず時間は進んでいき、放課後になった。
病院では毎日洋子と会っていたし、珍しくそのまま帰る気で荷物を整え、廊下に出たとき、ふいに秋月が話しかけてきた。
「ちょっと、沼田さーん。あの事件のことで、ちょっと聞きたいことがあるんだけど。すこしだけお時間もらっていいかな?」
彼女は手を合わせるようなしぐさをして、明るくそう尋ねた。そういえば事件のことを嗅ぎまわっているとか洋子が言ったことを思い出した。
「ああ。いいけど」
断る理由もない。それになぜそんなことを調べているのか真意を確かめたい好奇心もあった。
「本当! ありがとー」
秋月はいつもみたくニコニコしながら言った。世間慣れしているというか、こういうわざとらしい動作は苦手だ。
ともかく、私は大人しく同行されることにした。
秋月が話を聞く場として連れて行ったのは、あの屋上に通じる階段だった。ここは先週、恩田と言い争いになったところだ。そういえば、私はまだ恩田とはあの件以降、一言も話していない。あの件についてはこちらも悪いところがあった。ほとぼりが冷めたら、こっちから謝ろう。
「ねえ具合はどう? 事件の時、ずいぶんひどかったからさ」
階段へ着くと、さっそく秋月から聞いてきた。
「ああもう大丈夫だけど。でも事件の時、あってたっけ」
「覚えてない? あの日、救急車が学校に来て、沼田のこと担架で運ぶとき、私そこにいたんだけどなあ」
「そうだったんだ。ええと、ありがとう。おかげ様で元気」
「いやあ良かったよ。ほんと、あんなに酷かったのにここまできれいに治るなんて。それで、ここから本題なんだけど。沼田って、日陰者っていう単語をどこでしったの?」
一気に、緊張が走った。空気の揺れ動く音が聞こえたような気がした。
「なんで知ってる?」
「だって沼田が、担架で運ばれているときに、うわごとのように呟いていたから」
日陰者。おそらく私や坂田みたいな超能力者を指す言葉。それをどうやら秋月も知っているみたいだ。
ならば、秋月は同じように能力を持っているのだろうか? 敵か味方か?
様々な思考がよぎったそのとき、秋月はさらに思いがけないことを言い出した。
「あなたが坂田さんをやった犯人なんでしょ?」
「えっ、いや、違うよ!」
その急な秋月の言葉に思わず戸惑った。頭の遠い部分でそういえば、ここで恩田にも同じく犯人扱いされたことを思い出した。どうしても、他人から私は犯人に見えるようだ。
「あんたから日陰者って単語を聞いた時、一つ思い浮かんだんだ。もしかして、あんたが一連の放火事件の犯人じゃないかって。だから、まずあたしは恩田に話を聞いてみたんだよ。そしたら、言ってたよあんたが犯人なんじゃないかって」
淡々と秋月はドラマで犯人を追い詰める刑事ように話を進める。というか、恩田め。まだ私を犯人にしたいか。
「恩田は、雲母さんが公園で焼死したあの日、あんたを公園で見たって証言したよ」
それは嘘だ。あの恩田の馬鹿野郎。一度でも恩田に謝ろうとしたことを後悔した。
「いや誤解だ誤解。第一、そう、放火魔は坂田だったんだよ」
「じゃあなんで、坂田さんの方が燃えていて、そっちが助かってるのかな?」
「それは...」
思わず言葉に詰まる。
「あなたのお友達、大神にも話を聞いたんだけど、そしたら彼女、明らかに事件について口をつぐんでいた。そう、あんたが口封じしたからだ!」
なんだか、悪い方向に歯車が回っていているようだ。この話どこから訂正すればいいか悩んだ。
「ここまで証拠がそろって、今の態度を見ればおのずと分かる! あんたが一連の事件の犯人だ! 警察は裁かずとも、あたしが裁く!」
秋月はびしっと決めるように言った。
「誤解だ。誤解。まずは...」
「言い訳結構! あたしが退治してくれる!」
秋月は突然、その場で右手をつき出した。
すると、どこかから砂利同士を擦ったような音が聞こえ始めた。
ガリガリガリガリ
この一連の動きで、秋月が私と同じく日陰者であると悟った。この音は秋月の超能力で鳴っているらしい。
ガリガリガリガリ
そうだ、これは空気が無理やり振動で擦れている音なんだ。でもそれで、一体何をしようとしているんだ。
分からない。けどもう、戦うしか道はないみたいだ。
ようやくこっちも水餅を出して応戦しようとしたそのとき、
「くらえ! 雷起こし!」
秋月はそう、吠えた。瞬間、私の目の前に折れ曲がった光の軌跡が見えた。それは秋月の突き出した右手から自分の胸へと繋がっていた。
その数瞬後、ばちっと跳ねるような音が鼓膜に伝わってようやくそれが雷撃であることを知った。
一瞬だけ全身が沸騰したような熱を感じた後、体に激痛が奔った。筋肉が収縮し、ピーンとまるで一本の線になったかのような感覚が伝って動けなくなる。
そのまま、体のバランスを崩して地面へ激突した。
「うう...」
原理は分からないが、そこに雷を現出させる力。それが、秋月の能力らしい。
私は、反撃の暇も与えられずにただ打倒されていた。
顔をあげると、秋月は冷ややかな目で見降ろしていた。
「これを食らっても意識があるのかあ。ならば、もういっっぱあああーつ!」
秋月はそう言って、右手を再び私へと向けようとしたそのとき。
「まっまって!」
遠くから洋子の声がした。
「よ..ようこ」
私はかろうじでそう呼んだ。
「大神さん! ちょっと離れてて。」
誤解している秋月がまだそんなことを言っている。
「秋月さん。今きたから分からないけど、たぶん和代を犯人だと誤解してるんだよね。それで、こんな....」
「いや、もう私に隠し事はしなくていいんだよ。だって大神は、こいつに言いくるめられてたんでしょ」
「違うんだって! あの事件は坂田さんが犯人なんだよ!」
洋子は必死にそう言った。
「はへっ?」
ここでようやく、秋月は、私に向けていた右手をだらんと下げた。
「もし和代が犯人なら、燃やすたぐいの能力のはずでしょ。和代、能力見せてみて」
なるほど、こちらが能力を見せれば問題はないのだ。そうして私は、"水餅"を手から現出させた。ぬめっとした透明な粘体が、手からドロリと落ち、廊下をつたう。
それを見て秋月は呆然としていた。
「ほ、本当に違うの?」
「だから...誤解だって...」
私は力なくそう言うしかなかった。
「ホントに申し訳なかった!」
秋月は頭を下げた。というのも、誤解が解けてからかれこれ、3分ぐらいはもう頭を下げていた。最初のほうは、土下座だったので、これでもましにはなっていたが。
「いや。次から気を付けてくれればいいから。それに事件については報道されてないから気づきようもないしね」
「もうなんていえばいいか...」
そうやって、秋月自体はしょんぼりしてとして、小さくなったように見えた。
「そうだ、せっかく会った同士だから聞いときたいんだけど。日陰者ってなんなの?」
このままだと落ち込み続けるだけだろう。話を切り変えるため、能力について聞いてみる。あの事件後から気にはなっていたのだ。
「えーと日陰者って言うのは、分かってるかもしれないけど、おおざっぱに超能力者のこと。」
「じゃあ、どういう仕組みか、分かったりする?」
今度は、洋子が追って質問した。
「うーん確か。夢のえー意思をうーんどうたら。あーここらへんはじいさんだったら上手く説明してくれるんだけど」
「じいさん?」
疑問を思わず口にした。
「昔からいた私達と同じ日陰者。私は、その知り合いというか友達みたいなもんで。まあようは、よく世話になってるの。そうだ、今から時間ある? じいさんに会いに行こう」
「へ、今から」
私は、ちらっと洋子を見た。洋子は別に構わないみたいだ。
「そうだ。今いこう。せっかくだし。もちろん時間あるよね!」
さっきまでの反省ムードはどこへやらで、秋月は明るく聞き返してきた。
そうして、私たちはそのじいさんとやらと会うことになった。
3.苔むした家
秋月に連れられて、私と洋子は今、街外れの裏山の中腹にいた。
「ねえ、まだかな」
「いやーあとちょっとだから」
私の問に明るく秋月は答えた。それは、5分前、いや10分前にも同じような会話をしていたはずだ。
結局、さらに歩みを進めること10分。ようやく、くだんのじいさんとやらの一軒家が見えた。古めかしい一階建ての趣ある木造住居だが、全体的に苔むしていて遠くから見たら廃墟も同然だ。
秋月は、その家の玄関横にあるコケに覆われて出っ張った部分を押した。ピンポーンと音がしたので、どうやらインターホンだったようだ。ふと隣の名前札を見ると伏見とある。
「じいさーん。いるかい」
「おお」
うめき声のような、それでいて良く通る不思議な声が聞こえた。少しして、じいさんと呼ばれた人物は、玄関の扉を開けて姿を現した。
てっきり秋月の話していたじいさんとは、髭の長い仙人みたいな人だと勝手に思っていたのだが、どうやら違うようだ。
見た目はぱっと見どこにでもいる普通のおじいさんである。しいて特徴をあげるなら、禿げあがった頭にシミのような痣が浮かび上がっているところだろうか。しかし、よく見ればその目元や所作に力強さがみなぎっていることが分かった。
「いやあ秋月。二週間ぶりだね。...そこのお二人さんは知り合いかい」
「いやーそれが、今日であった新参者だよじいさん。それとそのお友達。色々教えてやってくれないかな」
「おお、そうかい。初めまして。そしてようこそ日陰者の世界へ。せっかくだし歓迎しなくちゃあなあ。そうだお茶を、お茶を出さなければ」
そうして、そのままあわただしくじいさんは、家の中へ引っ込んでいってしまった。秋月が遠慮せず入るのをみて、私達2人はぎくしゃくしながら家へと入っていた。
そのまま、玄関に靴を置き中へ入る。意外なことに家の作りは洋風だった。それもだいぶピカピカ輝いていて外見との差のギャップがすごい。
その奇妙なつくりについて、秋月に聞くと、
「ああ、じいさん。寒いの苦手だからね。この家にも愛着あるけど、それはそれとしてあったかいほうが良かったから全面リフォームしたんだってさ」
私が思っていた厳かで、仙人のようなイメージはここで完全に崩れてしまった。意外と現代人なのだ。そうして私達はリビングへと向かった。
そこはいかにも、カタログで見るような綺麗な部屋だった。4人掛けのテーブルに、おしゃれな椅子が並んでいる。そのテーブル上には、小さい盆栽と、茶器が並んでいる。和洋折衷、いやあまりこだわりがないので、ごたごたしているだけだろう。
じいさんとやらは、リビングに併設されているキッチンでお茶とお菓子の準備をしていた。
「あの、手伝います」
部屋に入るなり、洋子はそう言った。
「お気遣いありがとう。でもいいんだ」
そうしている間にも秋月は、テーブルに座ってしまっていた。私達はその向かいの席におずおずとすわった。
「だいぶ緊張してるみたいだけど、別に適当でいいの」
そう言って秋月は子供みたいに背中を椅子に預けている。そうしている内に、じいさんのもてなしの用意は終わったようだ。お菓子とお茶を持って、秋月の隣に座った。
「わざわざすみません」
そうしてお菓子とお茶を頂いた。とても、上品でおいしかった、と思うのだが普段こういうのは食べなれていないのでどう評価したらいいのか分からない。
「じいさん、最近どう? その...やってるゲーム...なんてったけ。ばらら...みたいな名前してて、銃うつ奴」
「えーと。ばららんとって奴ね。いやーてんで駄目だね。エイムが合わなくて。私はどうもマウス操作ってのがしょうにあわなくってね。コントローラー買おうと思ってるよ」
食べている間、秋月とじいさんとやらはこんな調子フランクにずっとしゃっべていた。どうやら思ったよりも、長い縁みたいだ。しかしじいさん、ずいぶん現代的なゲームしてるな。
「ああ、そうだ。つい話が長くなってしまったが、そろそろ本題に入ろう」
そのゲームの話からようやく戻ってくると、じいさんは私達に向き直った。
「と言っても、まずは自己紹介が遅れたね。私は、伏見銭十郎だ。よろしく」
「ええと、沼田和代です」
「大神洋子です。よろしくお願いします」
私に続いて洋子がそれぞれ自己紹介した。
「ええと君たちはどこまで知ってるのかね」
私は見た夢、墓場の街から巻き込まれた事件までをつらつら話した。
じいさんは、相槌をうちながら、聞き逃すまいといった風に聞いていた。
話は放火魔の話題へと移っていった。ファイアスターターと名乗った犯人、そしてありみ良いとは言えない結末を迎えたことも。
じいさんはしみじみと、
「放火魔の事件、ここ一週間ほど、ふつりと話題を聞かなかったが君たちが解決してくれたのか。」
そのじいさんの顔はほっとしたようなほころびを見せた。
「最近そのことが、ずっと気にかかっていたからね。事件を解決してくれたこと、心より感謝するよ」
「いえいえ、そんな」
なぜか低姿勢になってしまう。こっぱずかしくなったので、早めに切りあげて、
「ええ、それで入院とかいろいろあって、ようやく直って今日登校日だったんです、そしたら秋月さんに呼ばれて...」
ここで、ふと視線いや殺気を感じた。秋月だ。一瞬何で、私に目を向けているのか分からなかったが、すぐに察した。
「そこで、私達が犯人を倒したことを知っていたみたいで、こちらを紹介してもらったというわけです」
ようするに、勘違いで私をしばいたことを言わないで欲しいらしい。
「ほお、秋月がかね。こう言ってはなんだか、多少乱雑な子でね。どうも、こういう調べ事には向いてないと思っていたが。そうか...」
と、じいさんはぶつぶつと言った。
「たはは...」
秋月はわざとらしく笑う。覚えとけよ。
「まあ、私達に起きたことをざっとまとめるとこんな感じなんです」
「そうか。この一週間、大変だっただろう。こんな老いぼれ相手に、わざわざ話してくれて本当に深く感謝するよ。そうだな、まずは日陰者の話でもしよう」
伏見さんは改まった風にそう言った。
日陰者。それは、悪魔とやらが言及したワードでもあった。
「日陰者、それは不可思議な力を扱うもの、いわゆる超能力者ということになる。これをもっと正確に言えば、精神にやどる力、我々は意思の力とでも呼んでいるが...それを自覚して振るえる人間のことを指すんだ」
ここで伏見さんは、一息ついた。
「ここでいう意志の力とは、自分の周りにある現実を曲げやすい方向へと歪める力なんだ。...いやそんなおおげさな風に捉えないでほしい。その力は、意志を持つ者ならば、誰でも持っているもの。どうやら精神の一機能として意志の力が付随しているらしい。つまり、生けしもの皆初めから力自体は持っているんだ。ただ、普通はこの力のことを知らないから、うまく使えないだけなんだ」
伏見さんの話は続いていく。
「そして、その力を自覚する方法がある。それが、沼田さん、君が見たような特殊な夢を見ることなんだ。あの夢は、自身の精神をビジュアライズ化したもの、つまるところ心象風景だ。さっき、精神の一機能として付随するのがこの意志の力があると言ったね。その自身の精神そのものを心象風景として見ることで、そこに付随している意志の力について、強制的に理解させられるらしい。そうして理解した瞬間、その力を自分のものとして認識し、使えるようになるんだ」
話はちんぷんかんぷんだった。横にいる洋子をちらと見ると興味深そうに聞いているので、どうやら理解できているようだ。私も負けじと、分かっていますよというポーズを取ってやった。
「こうして力を使えるようになったのが、沼田さんや秋月、そして私のような人間だ。だが、疑問に思わないかね。沼田さんは粘体を操る力を持ち、秋月は電撃を放つ力。同じ意志の力なのに、なぜ出力される現象がこうもちがうのか」
確かにそうだ。私の能力もあくまで水餅を出すだけで、坂田のように炎が出たり、秋月のように電撃が出たりはしないのだ。
「その原因は、この力があくまでも自分の曲げやすい方向に現実を歪める力だからなんだ。だから沼田さんの場合、得意な歪め方が粘体を操るというやり方だったというわけだ。この歪め方の違いは、いわば個性と言い換えてもいいだろう。芸術家でも、ものすごい写実的な絵を書くものもいれば、とても抽象的な絵を書く人もいる。力もまた同じで、その現れ方には使い手の精神が色濃く反映されるものなのだ」
精神の反映...だとすればドロドロの粘体が出てくる私の精神って一体...
「ねえじいさん、そろそろ日陰者になるデメリットの話はしなくてもいいの。じいさんの周りだって、おかしくなった人がいるじゃん」
秋月が顔をしかめて言った。その場は一瞬、不穏な気配が流れた。
「ああ、そうだな」
伏見さんはそれに、少し顔をしかめて答えた。その顔は空気を読んでくれと言った感じだった。
「ふう。まあ、そうだ。この秋月の言う通り、日陰者になることは必ずしもいいことばかりではない。意志の力が強くなる。これは、自身の周りの現実を歪める力が強くなると同義だ。それはもちろんいい方向にも作用する。けがも治りやすいし、寿命も長くなる、運動神経もよくなるだろう」
ここで、私は、思い出したことがあった。あの事件で、火傷で結構重症負ったが、一週間経ったら、ほぼ元通りに直った。これはきっと、日陰者とやらになったことでになったことで、現実を自覚的に歪めるから傷を消す方向にその力が働いたのだ。
「しかしそれは同時に人間という種から離れてしまうということでもあるのだ。そうなると悪い点も出てくる。そうだな、具体的には、人としての形を保てなくなったり、意志疎通が難しくなったりするんだ。実際、私の知り合いも残念ながらそうなってしまったのも何人かいる」
ここで、ふと隣に座っている洋子をちらと見た。なんだか彼女とは、別の生物になってしまったようなそんな不安が一瞬、胸をちらとかすめた。
「まあ、人の形を保てなくなることなんて、そうそうないことも伝えておきたい。というのも、そんな状態に至るのは、日陰者の中でも特に力の強い者に限られるからだ。こういう人間は、大抵の場合、ある時を境に覚醒して"夢"と常に繋がっている状況、つまり自分自身の力のことをいつでも理解できる状態になる。そうなると、力はさらに増していき、より強い日陰者へと変わっていくんだ。こうなったものを"接続者"、と私達は呼んでいる。だからよほどのことをしない限りは、こんなことにはならないから安心してほしい。それに、たとえ接続者になったとしても、必ずしもおかしくなるわけじゃない。その証拠に...」
ここで、おほんと一つ咳をした。
「そう、 この私も"接続者"だ。私は本年150になる」
「ひゃ...ひゃくごじゅう!」
私は間抜けな驚きかたをした。隣で洋子を見るとこっちも驚いていたようだ。なぜか、秋月は誇らしげな顔をしていた。
「本当なんですか」
そんなに、長生きできるなんてうらやましい。
「ああ、だが、私をそんな次元の違う化け物だとは思わないでほしいんだ。秋月さんは変わらず、いや変わりすぎないところもあるが接してくれる。それが一番気楽なんだ」
伏見さんは苦笑いだ。
「と、まあこういう言葉で取り繕っても歴史上、化け物扱いされ、阻害されていたことは事実なんだけどね。我々、超能力者を指す名称が日陰者なのも、そういうことが関係している。日の当たらない、陰での活躍が多かったこと。また日陰者でない能力を持たないものとの、関わりが上手くいかなかったことだ」
自嘲気味にそう伏見さんはうそぶく。
「ただ今の時代じゃ、上手くいくとは思うんだけど。それを乱すものがいるものも事実だ。例えば、君の言っていたような悪魔」
「悪魔のこと、知っているんですか」
洋子がそう尋ねた。
「ああ、もちろん。あれは近頃日陰者を増やしている要因の一つだ。3月くらいから事件数が増えているのも日陰者を増やしすぎて衝突が起こっているからだろう。だからあれを止めなくては。そうしないと今に大変なことになる」
伏見さんは憂いた表情を見せた。
「まあ、もともとこの町には、ただてさえ日陰者以外にも不思議なことが多すぎる」
急に伏見さんは不穏なことを付け足した。私が知らないだけで、この街に何があるというんだ。その続きを知りたかったが、ここで話題は私達の学校へとここで移っていった。その話で思いのほか盛り上がると時間はあっという間に過ぎていった。
「そうだ、そろそろ暗くなる。近頃物騒だからね、親御さんも心配するだろう」
話に夢中で気づかなかったがどうやら、結構な時間が経っていたらしい。 窓を見れば夕日がこちらをさしていた。学校からこの町外れまで来るまでにも結構な時間が掛かった。ここから家に帰るとなったら、日も暮れるかもしれない。
「そうだね。そろそろ帰ろう」
秋月は暢気にそう言った。
「今日はありがとうございます。ええと、まだ気になることがあるので、また話を聞きに来ていいでしょうか?」
洋子は頭を下げて言った。
「いいよ、いつでも来なさい」
そうして、私達はリビングを去って、玄関から出ていこうとした。
「おお、忘れる所だった」
玄関の扉を開こうとしたそのとき、後ろから伏見さんが声を掛けた。伏見さんは、私と洋子に電話番号の書かれたメモ用紙を渡した。紙には二つの電話番号が書かれていた。
「これは...」
「この上に書かれている電話番号は、超能力やいわゆる、おかるとに関する事件を扱うこの街の警察部署、特異科のものだ。何か、日陰者やそれ以外の不思議な出来事で、何か困ったことあったらここへかけてほしい。それに、もし緊急の要件ならその下の私の電話番号にかけてくれ。すぐに助けにいける。自慢じゃないが私の方が彼らより早くこれるだろう」
「いいんですか。わざわざ来てもらっても。それに...巻き込んでしまうのは...」
私としては、なんだか申し訳ない気がするので断ろうとした。
「ああ、最近物騒だ。遠慮せず、かけてほしい。それに、私はこう見えても強いよ」
その気持ちを汲み取ったのか、おどけてそう伏見さんは言った。
「そう強いんだ」
なぜかふざけたように秋月が胸を張るように、横から付け足した。それがなんだかおかしくて私と洋子はしばらく笑った。
そうして、私達は伏見さんの家を去った。
帰る途中、夢の中で水餅が喋ったことにについて、気になったが聞けなかったことを思い出した。まあいい。次会うときに聞けばいいだろう。
4.黒い予感
「うーむ。悪魔ねえ。困ったものだ」
老人は厳しい顔で独り言をごちている。それは、年老いていく人に見られる傾向の一つでもあり、老人もその一人らしかった。老人のいるそこは、つい数時間ほど前まで、秋月たちと話していたあのリビングであった。明かりもつけずにその闇の中を歩いている。どうやら老人には明かりなどというものがなくても生活に支障は出ないようだ。
「そうだ。秋月は、7月が誕生日だったか。ううむ、年を取るともの忘れがひどい。そうだとすれば何か用意せねば」
それを思うと、老人の心が少しほぐれたようだ。その顔に微笑みが浮かんだ、そのとき。
後ろの異様な気配を感じると、その顔はこわばった。
誰かいる。それも後ろだ。
老人はガラス戸のわずかな光の反射でその侵入者を確認した。侵入者は、夏も近いというのに厚手のコートの上にレインコートのようなフードを被っていた。そして手には、小さな十徳ナイフ。
その顔がゆがみ、笑みを浮かべた。
次の瞬間、フードの侵入者は十徳ナイフをひっさげ、老人へと前傾姿勢で飛びかかってきた。
その影は、そのままの勢い老人を刺す、かのように思われた。
が、そのナイフが老人に触れる一歩手前の距離で、ぱぎっ、と音がした。そのフードの侵入者は唐突にはじかれたようにして、反対方向へと吹っ飛ばされた。
どおっ、とそれが床にぶつかる音が広いリビングへ、ゆったり染み入るように響く。
そのフードの影は、そこからぴくりとも動くことなく横たわっていた。息もしていない。どうやら即死のようだ。
「あっけないものよ」
老人はため息をついた。そうして、倒れた影に目を向けると何かに気づいたようだ。
「そうか、あの子たちと同じぐらいか。これは悪いことをした」
老人は、憐れむようにしてその亡骸へと近づいく。
「弔ってやらなければ」
そうして、老人は、その死体の傍らでかがんで、フードを上げようとした。
死体の口元がきゅっと口角が吊り上がった。
その死体は、さっきの衝撃で落ちた十徳ナイフを素早く拾うと、獣のようなどう猛さで飛び上がり、今度は老人の胸へとナイフを突き刺した。
「かあっ」
老人は、血を吐きながら吠えた。
その次に、死体いや、もう今や生きているフードを被った少女は、今度は顔を裂くようにナイフを縦に滑らせた。
血が暗いリビングを舞う。
老人はどっと床へと転がり落ちた。少女はそれに飽き足らず、馬乗りになって、ナイフを胸や、腕、足など次々に素早く刺していった。少女はしばらくの間それを止めなかった。その過程で右薬指が体から離れ、腕の筋繊維がまろびでた。そして、吹き出た血が彼女の全身を覆った。
それはさながら地獄の光景だ。
そのまるで彼岸の狂祭のような終えると、少女はナイフをぎゅっと握りしめた。その切った感触を確かめるかのように。
「いやあ、強いと聞いてたけど大したことないじゃん。」
嘲るように少女は言うと、へたくそな鼻歌を歌いながら部屋中にガソリンをまき始めた。それが終わると、窓に手を掛ける。
「ああ、そうだ。そうだ。忘れてた」
少女は窓のサッシから手を放し、リビングを出て、老人の家を散策し始めた。少女は書斎に着くと、金庫の前に、四角い金属の物体を置いた。少女はそこから少し離れると、 手元のスイッチを押した。
「すいっちおん!」
金属の物体がぼおっと爆発した。空気が膨らみ書斎にあった本をどたどたと風圧で地に落とした。
爆発をもろに食らい金庫の扉はその衝撃でひしゃげ、外れた。
少女は金庫の中を漁り始めたようだ。
「ええーっ。なにいこれ。全然お金入ってないじゃん。まあいいや。価値があるかもだし」
少女は残念そうに、その中にあった、暗号のようなものが書かれている書類をかたっぱしからバッグへ詰め込んだ。
「うーん。こんなもんかな」
その作業を終えると、少女は再びリビングへ戻った。
そうすると、月明かりに、リビングの床に何かが光った。
それは老人の付けていた指輪だった。今は、その残虐な行為により、それを付けていた人差し指ごと、床に転がっていた。
「ふふん。これこれ。こういうのが欲しかったの。いいもの持ってるじゃん」
そうして、持ってきたバッグに無造作にその指輪を指ごと放り投げた。しばらくの間リビングを散策していたが、目的にしていたお金は見つからなかったようだ。
少女は諦めると、侵入したときにこじ開けた引き戸を通り、家から出た。そうして、屋外に出て、マッチ棒に火を付け、家へ投げ入れた。
最初のほうは、ぱちぱちとした音が鳴るだけだったが、やがてキッチンのガスボンベに引火するとそれは爆発した。ぼわっと腹に響くような衝撃破を起こして、さらに燃え広がる。
「いやあ、爽快。快感」
少女は外から、うっとりしたようにそれを見届けていた。しばらくの間そうしていたが、遠くでサイレンが鳴りはじめると、ようやく少女は走り出して、夜の闇へと消えていった。
☆
両親が殺されたとき、昔友達だった凛子ちゃんが川でおぼれて死んだときもそうだ。黒い墨汁が、血液の中に混じって、侵食していくような、そんな胸騒ぎがした。
じいさんはそれを、虫の知らせだって教えてくれた。
自分の体の中にいる虫が、悪いことを事前に知らせてくれるって。
その感覚に背中を押されるようにして、あたしは、がばと起きた。夜中の12時。
サイレンの音が、部屋にくぐもって響く。
焦って、窓のカーテンを開けた、街の闇の中にぼやっと燃えている箇所が見えて、そうだ、その場所は...じいさんのいる裏山だ!
瞳孔が開くような感覚に襲われる。
あたしは飛び起きると、すぐ家を出た。靴は履かなかった。
やっぱりあの嫌な予感は正しかったんだ。じいさんはもう。いや違う。大丈夫。そのはず。
そうだ、じいさんは強い。死ぬわけない。
半泣きで必死で走って、ようやくじいさんの家に着いたとき、そこは真昼のように明るかった。
消防車と警察車両に囲まれて、その苔むしていた家は焚き木のように燃え盛っていた。消化のためのホースが炎と警察車両のランプで赤く照らされているのがなぜか目に焼き付く。
じいさんはもう、いや違う。違うはずなんだ。死ぬはずない。
そのもう家とも言えない巨大な骨組みへと向かう。
助けに行かなきゃ。
消防隊員のひとりが、私を後ろから取り押さえた。
「じいさん。そんなうそでしょ。」
かすれた自分の声が嘘みたいだ。消防隊員をひじで思い切り押して逃れようとした。
そのとき、建物の悲鳴を聞いた。
家の骨組みになっている支柱部分が折れ、嫌な音を立てた。その、何かの生物の骨格標本のようなシルエットだった家は崩れ去った。
一瞬炎は大きく燃え盛った後、どこか遠い部分で悲鳴が聞こえた。
それは、まぎれもなくあたしの声だった。
何も見たくない。その場でうずくまる。
目の前に闇が広がる。
炎の燃え盛る音、消防隊員の怒号がより鮮明に聞こえた。
それはもうどうでもいい。
ちゃんと自分のことを見てくれた、いつでも無条件で励ましてくれた、そんな人はもういない。
そんな気安い安全圏は、さっき消えちゃったんだ。
じいさんが、ここにいないこと、本当は、あの起きた瞬間わかってたんだ。




