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日陰者たち  作者: YAMAGUCHI
3/3

第三話 愚か者たちの追憶

1.均衡の崩壊

 伏見さんの死を知ったのは、家をたずねに行った翌日だった。

「和代!」

 登校中、突然、後ろから聞こえてきた既知の声に思わず振り返った。

 見ると、洋子が息を切らせながらこちらへと走ってきていた。

 朝の通学路に、その足音がととっ、と伝わる。

「大変だよ和代! 伏見さんが、伏見さんが」

「伏見さん? ああ。昨日の」

 私は一瞬、誰の事か分からなかったがそれが、昨日会ったあのおじいさんであることを遅れて理解した。秋月がじいさんじいさんと呼ぶので、本名を聞いてもピンとこないのだ。

「それで、伏見さんがどうかしたの?」 

「伏見さんが、昨日殺されたって」

「えっ」

 昨日、会ったばかりの気の良さそうな人。そしてなにより、この不可思議なことが起こる出来事の中で唯一信頼できそうな大人だった。

 それが...死んだ。こんなにも、あっけなく。そして、誰かに殺された。その事実に戦慄した。

「秋月さん大丈夫かな...」 

 洋子が心配そうな表情でそう言った。そうだ、秋月は私達以上にショックのはずだ。


 その秋月は、この日学校へ来なかった。


 ☆

 薄暗い石造りの部屋にろうそくが揺らめく。ろうそくがともっている燭台が置かれているのはどうやら木の机のようで、その周りだけぼっと明るくなっている。

 そしてその机を囲むように、3つの人陰が浮かび上がっていた。

「フィッシュの死は表にはばれてないんだよね。リース?」

「ああ。マノン、いやバンディか。そっちのほうは私の方で何とかしたよ。しかし、まったく面倒ごとを増やしてくれたなジェーンの奴は。我々のことを警察に突き出したりしないだろうか」

 その声は震えていた。しきりにカタカタと机が揺れる。どうやらリースと呼ばれる人物の貧乏ゆすりのようだった。

「それは大丈夫だろ。あっちにも、フィッシュを殺した負い目がある。下手には動けないさ」

「だけど、メフィスト。あのまま放ってはおけないわよ。何か手を打たないと」

 メフィスト─それはゲーテの『ファウスト』に出てくる悪魔の名前だ。そう呼ばれた陰の一つは、しばらく考え込んだふうに見えたが、

「好きにさせればいい。現状なんの問題もない」

「メフィスト! いいのかそれで! ジェーンは我々の同士、フィッシュを殺したのだぞ! 弔い合戦といこうじゃないか」

「弔い合戦か。それもいいが、奴にはこの状況をもっとかき乱してほしいんだ。それにジェーンは昨日、大変な成果を上げてくれた。だから俺としてはもう少し様子を見てから動きたい」

「まあメフィストがそういうならしかたないわね。そうだよねリース」

「マノン! ううむ、しかし」

「そう心配しなくてもいい。いずれ奴に罰を下してやる。だからまあ、それまでは辛抱していて欲しい」

 メフィストは、ぱんっと手を打ち鳴らした。

「この話は一旦お終わりだ。それよりも今日までの宿題だった作品発表といこう。まずはリース」

 リースは机の下から、奇妙な物品を取り出した。そして、それを机の上に置きはじめた。

「何それえ。気持ちわるーい」

「マノン。否定から入るのはお前の悪い癖だ、すぐにとは言わないから直しなさい。おほん、気を取り直してだな。まずこのティーカップだ。見てくれこれはこの前私が殺してやった女がいただろう。あれの頭骨で作ったものだ。こっちは、それを入れる皿だ。これは人皮をなめした後に、固めたんだ。これが中々大変だった」

「おお...なかなかいいじゃない。次の定例会で使おうぜ」

「そうだなバンディ。これを使ってイギリスのアフタヌーンティーとやらをやってもいいかもしれん。お前は、マノンと違ってこの良さが分かるだろう。そう、そして一番見せたいのはこのティースタンドだ。これは...」


 ☆


 私達が伏見さんの死を知った翌日、秋月は学校に来た。

 教室に入ったとき、ちょうど秋月は友人である赤井と本田に囲まれながら、他愛のない話をしていた。

「どうしたの。昨日、学校休んでさあ」

「いやあ。ずる休みい?」

 そんな風にやり取りを重ねているのが聞こえる。秋月は、明らかに元気がないようだった。あんなに慕っていた伏見さんが死んだのだ。ショックも大きいはずだ。友人たちもそれにどうやら気づいているみたいで、何かと気をもんでいるようだった。 

 取り合えず、何かしなくてはという気持ちに押された。そこで休み時間、赤井と本田が離れたタイミングを見計らって、私は秋月へと近づいていた。

「あの、秋月...」

「ああ、沼田」

 秋月は、ぼんやりとした目線を私に合せる。

「先に言っとくけど、私は全然大丈夫だからね」

 それって全然大丈夫じゃないじゃない。なんとかかける言葉を探していると、

「取り合えず、話は放課後。これからのことも話すから、教室に残っておいてくれないかな。大神にもそう伝えといて」

 そう言い終わると、秋月はそっぽを向いてしまった。

 私に今何ができただろう。ずこずこと大人しく自分の席に戻るしかできなかった。


 放課後、皆が下校する中、私たちは教室に残った。

 どことない緊張感の中、最初に口を開いたのは秋月だった。

「まずはじめに言っておくけど」

 そうすると、秋月は目を閉じてふうと一息つく。

「今はじいさんのお悔やみとか、そういう哀れみみたいなのは、あたし一切受けたくないの。だって、それって余計みじめになるだけだもん。だから、そういうことでいいね?」

 そう、秋月は真剣な表情で私達を見まわす。そこで、私達は黙ってうなずくしかない。

「よし」

 秋月はそう言い終わると少しにへらと表情を崩した。

「そう、私がするべきなのは、これからの話。じいさんが死んだこの状況、これは非常にまずい」

 あくまで、秋月は冷静のように見えた。それは今までの非現実的な問題へ触れてきた慣れなのだろう。

「ほら、じいさん強いっていってたでしょ。それってあながち冗談でもなくて、ホントにこの町の抑止力になっていたぐらい強かったんだ。今まで、事件らしい事件を聞かなかったのもじいさんが頑張ってたおかげ。だからこれからはもっとこの町の事件数は増えると思う」

「警察の特異科は何とかしてくれないの?」

 私は、ふいに思いついた疑問をぶつけてみた。

「あれは警察組織でも特殊で動きずらいし。それに、あれって人数が少なすぎて私達までカバーが回らないの。そう、だからこそこの街の平和を守るためにも、私達も動く必要があると思うんだ」

 "私達"の所に特に力を入れて、秋月は話す。

「そこで、あなたたちの協力が欲しいの。もちろん、手伝ってくれるよね?」

 そうして、秋月は強い力で、私たちの手を取った。

 犯人を捕まえる。それは不謹慎ながらとても好奇心が注がれることだった。ハードボイルドの私立探偵なんかに、今だひそかに憧れてる身としては、これほど心躍ることはない。

「まあ、暇だし。いいでしょ洋子」

 私はそのはやる気持ちを抑えて、クールに言ってみせた。

「あ、あの秋月さん。秋月さんは大丈夫なの」

 そんな私とは対照的に、洋子は不安そうに秋月を見ていた。

「大丈夫って...何が」

「ええと...やっぱり無理してるんじゃないかって...だから」

「別に良いんだよ。無理しなきゃこの状況はどうにもならんのだ。それに私たちがやらにゃ他に誰がやる」

 洋子の言葉にかぶせて、強めの語気で秋月は言う。

「でも...」

「そうそう、先日の失踪事件あったでしょ。街の平和のためにも、さっそく調べようと思うんだけど」

 秋月は強引に、話題を変えた。それに対して洋子が何か言いかけたとき、

「おーい。今言ってた失踪事件ってもしかして、斎藤のことかあ」

 突然、どこかから声が掛けられた。声のした方を見ると、廊下に二人の男子生徒が見えた。うちのクラスの新井田勝利と町田恭平だ。

 新井田は、短髪で筋肉質、長身でガタイがよくバスケ部に入っている。もう一方町田は、男前だけど、なんだかぱっとしない奴だ。町田は背が低い方ではないが、こうして新井田が横にいると小さく見える。

 この二人は仲良しなのか、よくつるんでいるのを普段見かけていた。

「ちょうどいいや。町田、こいつらにも協力してもらおうぜ」

 知らないうちに、新井田は勝手に決めているようだ。

「いや、やっぱり警察にまかせようぜ。こういうのは」

 それに対して、町田はうんざりとした表情をしている。

「あのーお二人ともなんの話を」

 何だか置いてかれそうなので、二人の会話を遮って、私は聞いてみた。

「お前ら斎藤と田中の失踪について探ろうとしてたんだろ」

 新井田が待ってましたとばかりに話し始めた。ここで話している失踪事件、それは一年C組の田中良子と斎藤裕也が6日前行方不明になった奴だ。男女が同時に行方不明になったので、駆け落ち説がクラス中で漂っている。らしい。その事件は私が入院している最中に洋子から聞いていたので明確に断定はできないが。

「まあ、たぶんそうだけど」

「俺たちもそうなんだよ。というのも、失踪した斎藤はこいつの友達だったんだ。だから、その事件を解決してやろうってわけで、俺たちは立ち上がったわけだ」

「コイツの話は、話半分で聞いてくれ」

「なのによお。町田は、さっきからこんな感じでよお。薄情だと思わねえか」

 町田の言葉にかぶせるように、新井田が重ねた。俺たち、とは言っているが新井田が一人合点で話を進めていったのだろう。町田は何か言いたげだったが、新井田は気づいていないのかおかまいなしで話を続ける。

「それに、まったく当てがないわけじゃない。何せ、俺は昨日見たんだよ田中のことを」

「ホント! その話?」

「大まじだ。それで、これからその調査をしようとしてるんだ。それでそっちも、協力してくれないか。ここじゃなんだ。これからの捜査方針についてどっか適当な喫茶で話そう。俺がおごるぜ」

 おごりか。それなら話は早い。私は乗った。洋子もしぶしぶと言った感じでそれに続いた。

 そうして、私達は学校を出て、喫茶店へと向かうことになった。外へ出ると、梅雨の6月には似合わない快晴で太陽がまぶしい。 

 新井田について歩いていく。どうやら、目的の喫茶店は私のいる団地とは反対のようだ。

 普段とは違う道を制服であるくのは、なんだかこそばゆいような感じがする。

 それに、こうやって異性とまとまって外を歩くなんてことはめったにない。はたから見たら私達は青春じみているように見えるのだろうか、とふと思った。


2.おまぬけ少年探偵団

 新井田に連れられて、喫茶店"さんらいず"に始めて入ったが、中々洒落ていた。壁はマットな白味がかった黄色、店の照明は、薄暗く、それが秘密基地のような独自の雰囲気を高めているようだった。

 そういえば、私が喫茶店なんておしゃれな店に入ったのは、はじめてじゃなかろうか。席に座り、店の内装をしげしげ見ていると、ウェイターがやってきたので、各自注文を頼んだ。町田、新井田そして洋子が続いてコーヒーを頼んだのであわててそれに倣った。最後に、秋月がオレンジジュースを頼んだ。

 勢いでコーヒーを頼んでしまったが、私は別にコーヒーは好きじゃない。むしろ嫌いだ。

 こういう時、周りをみて決めてしまう自分はやっぱり日本民族に違いない。いや違う、ただ喫茶店が初めてだから、ルールとかあるかもしれないし、やっぱりこれでよかったのだ。

 そんな自己弁護じみた、気の取り直しかたをしていると、

「それで、田中を見たっていうのはホントなの?」

 秋月は、待ちきれないといったような感じで話を始めた。 

「ああ、確か見たのは昨日9時頃、 そうパチ...じゃなくて塾の帰りのことだ」

 今、パチって言ったか? 

「で、どれくらい勝ったんだ」

 町田がまぜっかえした。

「いやー設定が渋くて中々、って阿呆。あのーこのことは内緒ってことで」

 おほん、と新井田は咳をして仕切り直す。高校生でパチンコとはいいご身分だ。

「そう、そこで、帰ってる途中駅前の飲み屋街ってあるだろ、あの迷路みたいになっている所。そこ通れば近道になるんでよく使ってるんだ。で、そこを通り抜ける途中、横道を何の気のなしにのぞいてみたんだ。したら、夏なのにコート着てる奴がいた。そいつをよくよく見てみると、なんとびっくり行方不明の田中だったんだ」

 ここでの駅前はこの染布せんぷ市の中心、染布駅のすぐ近くにある飲み屋街を指しているのだろう。中々ディープな所で、私は一度も入ったことはない。

「で、家帰ってから、その横道について調べてみたんだけどよ。したら、その田中が通っていた道に、ネットカフェそれも、チェーンじゃない奴があったんだ。会員情報も取られないような個人経営の所。俺が考えるに田中は失踪後、そこを拠点にして生活してるんじゃないかって思ったわけ」

「なるほど」

 秋月は納得したようにうんうんと頷いた。

「だからその近くに張り込んで、田中を待ち伏せしようってのが俺の作戦なんだ」

「あのー。それってどれくらいかかりそうなの?」

 私は、そこで会話に割り込んだ。

「うーん。昨日田中を見かけたときは8時だったから、それぐらいかな。もしかしたら、それ以上、10時くらいまでか。まあ、やってみないと分からんな」

 冗談じゃない。そこまでかかるとは。

「ふうん。悪いけど帰ろうか。洋子」

 私は洋子を見やって言った。

「ちょちょちょちょーい」

 新井田は大げさに引き留めにかかり始めた。

「まさかそんな時間がかかるとは思わなんだ」

「そんなあ。お願いだよ。こっちはバスケ部サボってまで来たんだぜ」

 何してんだ、このバカは。という罵声が喉元まで出かかったが、危うくひっこめた。

「だいたい! そういうのは...」

「あのー」

 横をみると、注文したドリンクをお盆に乗せた店員が気まずそうに立っていた。最悪のタイミングだ。

 ここで、気を遣うような沈黙が流れた。店員はそそくさと私達の注文したドリンクを置いていくと、さっとその場を離れていった。

 そのまま、誰も喋ることなく、黙って各自飲み物を取った。

 そういえば、このコーヒー新井田のおごりだったな。手に取ったそれを見て、どうやらもう断れない段階まで来てしまったことを悟った。

 ため息をついて、

「協力するよ。どうせ暇だったんだし」

 私は負け惜しみのような形で、しぶしぶだが同意してやることにした。

「ありがとう、心の友よ!」

 新井田はそう言うと、賛辞の言葉を浴びせかかったが、無視して私は頼んだコーヒーに口を付けた。

 まずい。

 そのコーヒーとやらの味は最悪だった。豆の苦さが舌にまとわりつき、しばらく洪水の後に溜まった汚泥のように口の中に余韻を残した。

 砂糖を入れようか。

 頼んだ男ども、と洋子をちらと見るが、特に何も入れずに飲んでいた。なんで、みんなこんなものを平気で飲んでいるんだ。ここで、ふと余計なプライドが働いた。砂糖を入れてたまるか。

 一気に飲み干す。そしてすぐさま唾液を総動員させて口内の清掃に取り掛かった。

「はじめてここのコーヒー飲むけど、結構美味しいじゃん」

 町田はコーヒーカップを掲げて言った。私はそうは思わないけど、と心の中で反論してやる。

「だろ。俺がここ気にってるのもこのコーヒーがあるからだ」

 新井田はなぜか自慢するようにそう言った。

「な、そうだろ」

 そう言うと、新井田はなぜか舌を出した犬のような顔で私達のほうを見ている。どうやら同意を求められてるみたいだ。

 私が答えに戸惑ってると、洋子が先に答えた。

「うん。とっても美味しい。ここのコーヒー、サイフォン式で抽出しててこだわってるし」

「サイフォン?」

「ええと」

 洋子は、メニュー表の右下にあるガラス器具を指さした。その器具は丸いガラスが二つ連なっていて、砂時計のように見える。

「これが、サイフォンって言って、この下に水を、上にコーヒー粉を入れて加熱することで、水が蒸気となって上のコーヒーと混ざるんだ。これを抽出すると、普通の抽出法よりも苦味が強くて、濃い味わいになるんだよ」

 ふうん、どうりでまずいわけだ。その私の穿った感想とは別に男二人どもは感心した用で、

「へえ、詳しいんだ」

 町田がそう言った。

「うちのお父さんがコーヒー好きだから。それでよく教えてくれて」

 どうやら、話題はコーヒー談義へと移っていくようだった。それに私は置いてかれたらしい。逃げるようにして、右横の窓から外の風景を見やった。6月の炎天下の中、外では色々な人が蠢いていた。

 いちゃついた大学生らしきカップル。営業のサラリーマン。チャリをこいでいる警察官。

 こうしてみてみると、結構、多種多様な人が外にいる。ふと中学時代、自己紹介の紙の趣味の欄に人間観察と書き入れていた苦い思い出がよみがえった。

 人間、嫌な事があったときには嫌なことを思い出すものだ。

 そうして、ぼんやりみていると、私たちの学校の制服を着た男子を見つけた。それは色白でかげろうのような儚い美少年だ。髪の毛はくせがついていて、もしゃもしゃした印象を受ける。そいつは、私の視線に気づいたらしい、一瞥するとにこりとして、また視線を前へ戻した。

 そのある種不適な態度に呆然としていると、美少年はそのまま道の向こうへ消えてしまった。


 ☆


 私達5人は喫茶店を後にして、くだんの路地裏に向かった。

「へえ、ここがその」

 飲み屋街の、そのさらに別れた細い横道が、目的の場所だった。そこは、2階建ての住居が所せましと並ぶ、一本道だった。その道の先は、大通りへと繋がっている。

「喫茶店でも話したが作戦はこうだ。まずこの路地裏に張るわけだが、普通に張っているだけじゃばれてしまう。だから、この路地裏にある建物同士の隙間を使わせてもらう。この隙間のうち、かろうじで張り込みできそうな場所を二カ所見つけたんだ。ひとつは、飲み屋街側、もう一つは向こうのの大通り側だ。そこで、二手に分かれて、それぞれの張り込み場所から路地裏を見張る。そうすれば、その見張っている二カ所の間にあるネカフェに入るために出入りする田中を発見できるし、万が一この細い隙間を通ってきたとしても、俺たちが見張っていれば通ることはできない。どうだ、完璧な作戦だろう」

 話し合いの末、町田と洋子が大通り側、私と秋月と新井田が飲み屋街側を見張ることになった。

 私達はさそっく、その建物の隙間とやらに身をひそめることになった、が狭い。

 人二人分がかろうじで横を通れるかぐらいしかないのだ。そのため、背の順で秋月、私、新井田で列になって見張ることにした。

 今日は珍しく快晴だというのに、その恩恵はこの隙間では得られそうになかった。空気は湿っぽくて、なぜか、地面もどろっとして濡れている。おまけに、据えた臭いが時折鼻をついた。

 来なきゃよかった。

 新井田の方は、何度か雑談を振ってきたが、声が後ろから来るので、非常に会話に向かない。弾む話も弾まなくなるものだ。そうして、だんだんと会話の頻度は少なくなっていった。

 何もすることがなくただ、この薄暗い中ひたすら待ち続ける。

 暇で暇で、おかしくなりそうだ。そうすると次に沸いた感情は、この理不尽に対して怒りだった。

 怒りがわいてくると、次々に考えが浮かぶものだ。

 帰るのが遅くなって母に怒られたらこいつが責任取ってくれるのか。そもそもなんでこんなことをさせられてるんだ。失踪した田中と斎藤が悪いんじゃないか、いやそれに乗った秋月が悪いのか、そもそもこの世の悪とは何だ。

 そうしてぷりぷり怒ってみたはいいものの、その矛先は最終的に、そもそもこのバカげた見張りに断り切れなかった自身へと向けられることになった。

 そうなるとなんだか路地裏の薄暗さも、私をあざ笑っているようにも思えてきた。

「はあ」

 ため息が出た。洋子の方は楽しくやっているのだろうか。


「そういえば、何を聞いてるの?」

 洋子は、町田が丁度ウォークマンを外したタイミングで聞いてみた。

 その声は、薄暗い建物の隙間で、始めて掛けられたものだった。

 町田は、やる気がないのか見張った瞬間からイヤホンを着け音楽の世界へと引きこもってしまったのだ。

「ええと、楽しそうに聞いてるから気になって」

「...熱海の夢」

 すこしして、町田はぶっきらぼうに答えを返した。

「へえ?」

「演歌だよ。遠坂純一郎先生が歌ってる」

 不機嫌そうに町田は答える。

「今時、珍しいね」

「だろ」

 俯いて町田は答える。

「少し、聞いてもいい?」

 洋子は恐る恐るといった感じで尋ねた。なんだか、町田の不機嫌度が上がったように見えたからだ。

「ああ...うん。いいよ」

 しぶしぶといった感じで町田はイヤホンを洋子へと渡した。そのイヤホンから流れる古い歌に洋子はしばらく身を任せた。

 それは、今でこそ、古臭いと疎まれる類の歌であっただろう。それでも、その古さをいとおしむかのように洋子は耳を傾けていた。 その横顔は真剣そのものだ。

 その曲をようやく聞き終わると、洋子はイヤホンを外した。

「ありがとう。その」

「...大丈夫?」

 その彼女の特徴でもある困り顔も相まって、洋子は本当に泣きそうにも見えたのだ。

「大丈夫だよ! えっと、わたしのおばあちゃん、昔よく演歌聞いてたの。そのこと思い出したら、なんだかしみじみしちゃって、それだけ...」

 洋子は、おもわず顔を赤面させて喋り続ける。

「それでね、この曲、特に歌声がとってもよかったの。哀愁? っていうのかな、寂しげで、なんだか胸に迫ってくるみたいで、すごくドキドキしたんだ。ええと、歌っているのは...」

「遠坂純一郎先生」

「うん、そう。遠坂純一郎先生。それで...」

 ここから、2人の会話は続いていった。洋子が主に喋り、それに時々、町田が一言を挟み込んで、それが淡々と続いていくのだ。

「あのさ」

 その会話が、一通り終わると、町田が切り出した。

「え?」

「ありがとう。ホントに」

「え? ああうん.....どういたしまして?」

「真面目に演歌聞いてくれる人あんまいないからさ。大体みんな全部聞かないんだよ。聞いても途中で飽きるかしちゃって。演歌はフルで聞いてこそなのに。そもそも、みんな人の曲に興味津々みたいな面して、結局本当に聞きたいやつなんていないんだよ。音楽を通して自分を語ることに夢中になるからな。だから演歌ってのはその手のコミュニケーションとは相性が悪いんだ」

 むすっとして町田は、今までで一番長い言葉を紡いだ。

「すまん、個人的な愚痴になっちまった」

 町田はばつが悪くなったような顔を見せて、それきり黙った。

 そこからしばらく沈黙が流れる。大通りで走る車の音がざーとその場を流れていった。

「あのー」

 その車の雑音を破るように洋子は言った。

「もし、よかったらでいいんだけど...おススメとかあれば、その聞きいてみたいな...」

 町田ぱあっと表情が広がって、

「ああ。そうだなおススメか。やっぱり、王道の...」


3.想い出ははるか遠く

 どれぐらい時間が経ったのだろう。日は傾きはじめて、私の目の前にいる秋月は段々陰のシルエットとなっていった。

 私達は、一言も発せず、ただただ目の前の路地裏に集中している。新井田はともかく、秋月もそれだけ粘っているのは意外だった。やっぱり、こうしたことには慣れているのだろう。

 そう思案していたその時、

「おーい。何やってんだよー」

 声が掛けられたとき、前方に集中していたので、それがまさか私達に向けられたものだとは気づかなかった。

「おーい。さては、聞こえてないな。おい、そこの3人!」

 そうしてようやく、その声が後ろから来たものだと察して、私達は振り返った。どうやらこの狭い隙間をわざわざ反対側から通ってきた奴がいるらしい。ここからだと、新井田の厚い背中に囲まれて見えない。

「た...田中」

 そこで、新井田の漏れ出るようなつぶやきが聞こえた。

 田中? 田中か! 遅れて事態を把握した。どうやら、目的の人物が来たらしい。私は新井田の背中の横から顔を出して田中を見ようとする。

 そして、いた。 十メートル先にその私達の尾行対象、田中良子はきつ然と立っていた。

 セミロングの髪に2つヘアピンを止めている。髪の毛はきっとネカフェで寝泊まりしたせいだろう、ところどころ跳ねていた。そして新井田が言ってた通り、ロングコートを着ていた。それもボロボロの。そのいかにも浮浪者じみた格好もあぜんとしたが、何より私を戦慄させたのは、右手に持っている十徳ナイフだった。

 それは、飲み屋街側の照明ランプに一瞬照らされきらりと光った。

「おい、ナイフ持ってるぞ! やべーんじゃねえか」

 狼狽した声で新井田がわめく。ここで、実は田中には尾行がばれているのではないかと疑念がよぎった。

「とにかく、逃げよう」

 私は声を掛けたが逆効果だったらしい。

「いや、そうだ、斎藤のこともある。話だけでも聞いときたい」

 新井田はこの状況で、そんなことをほざきだしやがった。

 田中は、そんな私たちをあざ笑うかのように何も言わずにこちらへと歩みを進めてきた。もちろんナイフを持ったまま。それは私達を戦慄させるのに十分だ。

「新井田ああ言ってるけど、大丈夫なの?」

 私はこの状況に、おそらくこの手の異常への対処が慣れているであろう、秋月に意見を伺うことにした。秋月は耳打ちして、

「私が田中を相手にする。二人は逃げて、というか新井田を逃がして」

 私が、あのガタイの新井田を? という疑問もあったが、さすがに秋月が心配だ。

「一人で大丈夫なの?」

「まず、新井田は一般人だ。巻き込みたくない。だからそっちはまかせた。それにこういうのは慣れてる」

 そうして、秋月は新井田の横を通り、田中の方へ歩みを進めた。今はその言葉を信用するしかない。

「行くよ新井田」

「いや沼田は先に逃げろ! あっ秋月そっちは危険だ戻れ! ここは俺が...」

「足震えてるよ」

 こいつ、がたいはいいが、思ったよりも...

「強がりはいいから。秋月に任せて、早く逃げるよ」

「秋月に? いや。俺は行く、行くんだあ!」

 口泡吹かせながら、新井田は再三そう言った。が、その足の震えは酷くなる一方だ。それに、心なしかだんだんと後ろへと下がっていっているように見えるのは気のせいだろうか。

 私は新井田の腰を両手で包むように持つと、そのまま後ろの飲み屋街のほうへと引きづっていった。ふいに新井田の汗臭さが私の鼻をつんと刺した。男の汗というものは、なんでこんなにも不快なんだ。

 新井田は喚きながらも、言葉とは裏腹に抵抗せず、簡単にずるずると引っ張られていった。


 新井田、お前、お前....

  思ったより情けない奴だな...


 そうして、このはたから見ると奇妙な塊にしか見えないであろう私達は無事、飲み屋街の方まで逃げおおせることができた。

「どどどどーする。よく考えたら、なんで秋月おいてっちまったんだ」

 新井田は震えがまだ収まっていないようだ。

「ま、まあ、たぶん大丈夫でしょ。それよりも警察に連絡するのはこっちでやるから、向こうの町田と合流して」

 秋月の能力をここで、一般人の彼に見られては困るので、できるだけ離れてもらうことにした。

「分かった!」

 そうして、新井田は役割ができたこと、そしてこの場から逃げ去りたかったのか、すたこらさっさと急いで向かった。

 私のほうは、警察それも特異科の電話番号に急いで掛けなくちゃ。そうして、携帯を取り出し...いや私は持ってないんだった。どうやら私も新井田のことをあまり悪く言えないようだ。しっかり動揺しているのだ。

 仕方なく近くの電話ボックスに入り、なけなしの十円玉を入れる。

 中々つながらない。

 私の十円玉を一枚、一枚惜しんで、投入口へ入れていく。私の数少ない小遣いが! 

 そうして、5枚目を震える手で入れたそのとき、、どこからか爆裂するような音がごおっと響いた。

「秋月...」

 彼女は無事だろうか...


 2人が去るのを見送ると秋月はその先にいる田中に向き直った。

「どーして私達が尾行してるのが分かったのかな」

 秋月は、この状況でもあくまで余裕の表情だ。

「ああ、やっぱり気づいてなかったのか。てっきり、そっちの罠の可能性も疑ってたんだけど」

 田中はそれを嘲るように返した。

「種は簡単さ。万が一ってこともあると思って、路地裏に携帯置いて録画しといたんだ。いやあ見事に引っかかったよ」

「へえ、ようやるね」

「それで、いつまでとぼけてんのかな?」

「とぼける?」

 秋月は困惑の表情を浮かべた。何を言っているのかさっぱり分からないという顔だ。

「お前ら、悪魔、メフィストの手先でしょ」

「悪魔」

 秋月はそう小さくつぶやくと、その会話について思案し始めた。悪魔と聞いて、坂田の能力を覚醒させた存在を思い出した。あいつもそう名乗ったはずだ。

「まあ、手前の口上はいい。さっさとやろう」

 田中はナイフをぐっと握り臨戦態勢だ。

「それとも聞くだけ聞いて時間稼ぎのつもりかな?」

 どうする。ここは聞いておきたい。もし勘違いなら...和解の余地はあるかもしれない。

「はあ、たぶん勘違いしてるよ」

 秋月は、ここで心底呆れたという顔を作って見せて答えた。

「へ?」

「私達は、別に悪魔とやらの手先じゃなくて、ただ斎藤の行方を追ってるだけ。別に田中と敵対しようとなんて考えてないよ」

 しばらくの間田中は、口をぱくぱくさせていたが、

「なあんだ違うの」

 田中は唖然とした表情をした。

「じゃあなんで...いやまあいい。それで、今斎藤の行方を調べてるって言ったよね?」

「うん。貴方が斎藤と一緒に失踪したのはなぜかって、それだけ教えてくれれば」

「悪いけど、私が斎藤を殺した」

「え?」

 戦慄が走った。その口ぶりに嘘は見えなかった。秋月の表情が一気に強張った。

「なんで、殺したの」

「そりゃあ、あいつが邪魔だったからさ。秘狂クラブから逃げるのにあれだけ面倒な奴はいないしね」

「秘狂クラブ?」

「あちゃ、言い過ぎて口が滑った。もういいよ忘れて。じゃあね」

 そう言って田中はごく自然な動作でくるりと背を向けた。

「待て! そんなの見逃すわけないでしょ」

「やっぱり、そうなるよねたははは」

 田中は首を後ろに振り向くと不快そうに笑った。

「ただでさえ、じいさんがいないってのにまったく...」

 思わず秋月から愚痴がこぼれた。

「じいさん?」

 それに対して、一瞬田中は、考えるような顔をした。すこしして、それはいたずらっ子のような顔に変わっていった。

「じいさんってあの伏見銑十郎のこと?」

「知ってるの?」

「だってそいつも」

 ここで田中は悪意ある笑顔を見せた。

「私が殺したもの」

「何だって」

「聞こえなかった? 私が伏見銑十郎を殺したの!」

 田中は、その場でくるんとターンをして、挑発するように言った。

「すごいでしょ!」

 秋月の眉間に皺が寄り、口端が震え始めた。その言葉をまだ受け止めきれないものの、怒りが先達して、表情に現れたようだ。

「あはっ怒ってる怒ってる。ずいぶん顔にでやすいなあ。そういえば、お前って秋月希依でしょ。ようやく思い出したよ。確かにじいさんとはそれなりに仲良かったもんなあ」

「怒ってない。それに...」

「何? 証拠がないって言いたいんでしょ。ほれ」

 そう言って、田中は懐から小さな金属のようなもの出すと、それを秋月へと放り投げた。それは、秋月の手前の地面にからん、と落ちてすべり、彼女の靴へと当たった。

 じいさんが大事にしていた...指輪だ。いつも、肌身離さずはめていた、大事なもの....そして今ここにあるということは...

 秋月は、田中へと鋭い目線を投げかけた。それに対しても、たじろぐことなく、

「ふん、そんなにじいさんとやらが大事だった? 正直、私は嫌いだったな」

「あ?」

「あのじじいって接続者だったんでしょ。なら、それ以上、日陰者として進化することも出来たはず。それなのに、あれは自分がまだ人間だと勘違い、違う、そう言い訳している臆病者だった。愛とか道徳のためといいながら、実際は進化するのを恐れただけで、ずるずる現状維持を選んだわけだ」

 歌うように田中は宣った。

「うるさい...」

「そう、言うなれりゃあの老害は正義という安酒に縋り、よっぱらたまま死んだ。小心者のでくの坊、私が殺さなくても遅かれ早かれ...」

「うるさい! お前にじいさんの何が分かる!」

 秋月はそこで表情をぐしゃりと崩し、目元を震わせながら叫んだ。同時に、右手を田中に向けた。

 雷起こしの発動音、菓子をかみ砕いたような破裂が、あたりに響き渡った。それに対し、田中は猟犬のごとく前傾姿勢で、秋月に向かって奔る。

「ぶっ殺してやる!」

 秋月は、突き出した右手の甲に左手を重ねる。

 その瞬間、空気を震わせる音が変わった。さらに、周囲の空中の分子どうしが擦れ、より音は、高音域へと変わった。菓子砕きの音は、猛獣の叫び声へと変貌した。

 そして左手の指の一本一本を右手の指の隙間に入れ込むようにして、折り曲げる。その構えは、本来の威力の雷撃を発動させるためのものだ。


 それは、使っちゃだめだ。

 初めてそれを使ったときにじいさんにそう言われた。

 そのままじゃ、それは人を殺めてしまう凶器になる。こう、もし撃つとしても何とか片手で撃てないかね。

 私はそのとき、むすっとしたのを覚えている。せっかくほめてもらえると思えたのに。

 あの頃はそんな些細なことで拗ねていて...


 風、いや殺気を確かに感じた。淡い追憶から引き戻させる。

 ふあっ、と空気の流れを肌で感じる。田中が目の前に見えた。

 その距離は、1mもない。

 だけど、それじゃ届かない。

 掌に溜まったエネルギーは今すぐ放たれようとしていた。

 そのエネルギー、雷起こしを超える威力で放たれるその雷撃の名前は...

「竜叫!!」

 それは、片手で放つ雷起こしを細い糸だと錯覚させるほどの、天を切り裂く稲妻のごとき質量。それが、対峙する二人の目の前、至近距離で爆散した。

 夕暮れの太陽を陰にするそのコンクリート塊の狭間が一瞬、漂白されたように煌めいた。

「あ」

 その圧倒的な白い閃光に押されると、わずかな空気の喘ぎを残して、田中は目の前に倒れた。かろうじで握っていた刃先が、秋月の掌をカスって赤い線を引く。

 まさに紙一重の決着。

 雷鳴がラウンド終了を知らせるコングのように、ごおっとあたりへと物凄い勢いを持って反響した。

 その秋月の表情に、安堵は戻らなかった。激情のまま、思考は暴走して巡る。

 警察が来る。それに誰か見に来るかもしれない。今、今なら、もう一度打てる。

 上がった感情のボルテージをそのままに、再度、能力の装填が始まった。再び、両手の構えを行い、叫び声をあたりにまき散らし始めた。

 両手を今度は、少し斜め下へと向ける。ここでようやく、目のピントがはっきりと倒れている田中を捉えた。

 その無抵抗の、死骸同然の物体に。

 全身がさむざむとした感覚に襲われた。息が荒くなる。

 一瞬、浮かんだ疑問を断ち切るように、目をつぶった。

 あたしはとんでもないことをしようとしてる。いや、あたしのやっていることは正しい。

 揺れる心に決着をつける間もなく、能力の装填が終わった。

「竜叫!」

 瞼の裏が白くなる。おそらく、直撃したはず。

 確認しなきゃ。自分のしでかした結果を、確認しなくちゃ。

 目を開けるのが怖い。

 それでも、恐る恐る瞼を開いた。

 黒い何かがあった。それはぼろきれのような茶色のコートに覆われている。

 そこにあったのは、もはや田中とは言えない何か、消し炭のように炭化した残骸だった。

 それを、あたしは放心して見ることしかできなかった。

 遠くから聞こえる大通りの車の音、どこかの誰かの会話がなぜか耳にこびりつくように残る。そこに耳馴染みのある声が加わった。

「秋月! 大丈夫? すごい音したけど...」

 沼田が今の音を聞いて駆けつけてきた。その言葉尻には怯えを含んでいた。どうやら田中の方を見てしまったらしい。

「やったのか...」

「うん」

 目を合わせずにかろうじで、そう言うことしかできなかった。そこで、会話は途切れた。

 はずだった。

「おいおいおいおい。いっちょ前に殺した奴が被害者面すんなよお」

 その空気そのものを裂くように、突然、 死者の声が聞こえた。それが聞こえた方向へ私達は顔を向けた。

 すくっと立ち上がる一つの影。その黒く炭化している物体から突然ぱりぱりと、脱皮のように黒い炭がつぎつぎとはがれていく。そこから、浮かび上がったのは、人肌だった。

 そう、その物体こそ死んでいたはずの田中だった。いま、それが何事もなかったかのように立ち上がったのだ。

「まさか、ホントに殺すなんて。いたかったあ」

「な...なんで生きてる」

 あたしは呆けたようにつぶやくことしかできない。

「私のこの能力、インサート・コインのおかげさ。能力は、しごくシンプル。死んでも、生き返ることができる。まるで、アーケードゲームでコインさえ入れれば何度でも再トライできるみたいに」

 田中は、ふふんと、まるで今死んだことに対して執着がないように、不敵にそううそぶく。

「ただ、戦闘に向いた能力じゃないんだな。これが。お仲間さんも来たところだし、そろそろ今日は退散するよ」

 そうして、田中は後ろを向いたまま右手をあげてそのまま走り去った。

「しーゆーねくすとたいむ!」

 そうして、その姿はだんだんと遠ざかっていた。沼田はそれを追いかけようとして走り出した。でも、あたしには追いかける気力は湧かなかった。

 ただ、気が抜けた炭酸飲料のようにその場で立ち尽くすだけだった。


 私は急いで田中を追っかけたが、奴はすいすいと人込みや道を奔るため、なかなか追いつけない。そしてとうとう、見失ってしまった。

 しかたなく、元いた飲み屋街に戻り、皆と合流した。そして、呼んだ警察がくるのを待った。

 伏見さんからもらった紙の通り、警察特異科を呼んだのだが、現場に来たのは、そうとは見えない、いかにもくたびれたガラの悪い中年男性だった。通報してから25分後のことだ。

 くしゃくしゃの髪に、薄汚いスーツに身をまとったその男性は脇坂と名乗った。一応、刑事にあたるらしい。

「ういー。どうやら無事みたいだなあ」

 その脇坂の第一声はこれだった。

「いいか、お前らこれからウムも言わさずきっちり取り調べてやる」

 続けて第二声、チンピラみたいなセリフを吐くと本当に有無を言わさず、近くの交番まで私達は追い立てられるように連れていかれた。そうして、取り調べを受けることになった。

 一人一人、順番が来たら交番にある奥の部屋で取り調べを受けたのだが、その大半の話は、聞き取りというよりも説教だった。私以外が受けていた取り調べの内容は知らなかったが、みんな部屋から出ると顔が死んでいたので、きっと私と大差がなかっただろう。

 脇坂大先生曰く、お前らみたいなのがでしゃばると捜査の邪魔だ、そもそも高校生にもなって探偵ごっことは何事だ馬鹿じゃねねえの、とかエトセトラエトセトラ。

 そうして、いまいましいありがたーいお言葉を貰った私達は取り調べの後、一回り小さくなったようだった。

 こうして、説教、いや取り調べ全員分終わったのは、夜の8時ごろとなった。

「もう二度と探偵ごっこなんて思い上がった真似なんかするんじゃねえぞ。ガキども」

 そう言い捨てると、そのチンピラ刑事は交番から去っていった。そうして、私達5人は交番前にぽつんと残された。


 新井田、町田と別れ、私達は説教の余韻を残したまま、下を向いて一緒に帰ることになった。お互い喋ることなく沈黙が続いたまま夜の駅前を歩き続ける。

 私は、ここで秋月に声を掛けるべきだ。何が起きたのかちゃんと秋月に説明してもらわないと。そう思うのだが、さっきから死にそうな顔の秋月に、どう声を掛ければいいのか分からなくなった。そうして、後ろめたく黙っていると、

「ねえ秋月さん」

 沈黙を破ったのは洋子だった。彼女はあの、真剣な時に見せる仏頂面をしていた。

「何」

「秋月さん。殺す気だったよね。田中さんのこと」

 洋子はいきなり、核心を切り出した。秋月は、私の方を一瞬睨んだ。どうやら、私が秋月の取り調べの最中に路地裏で何が起きたかを、洋子に話したと思われたらしい。

 それは誤解だ。あの場には新井田と町田がいる。とてもじゃないが話をする機会なんてなかった。ただ、洋子には田中があの路地裏にナイフを持って現れたこと、そして逃げ出したことを伝えただけだった。

 それでも、私は秋月の圧力に負け、思わず目をそらした。 

 秋月は、そこから苦り切った顔で黙っていたが、やがてばつが悪そうに言葉を紡いだ。

「ああ。でも、それは仕方なくって奴で。あの場では言えなかったけど、田中はじいさんを殺してたんだ」

 私たちはその言葉に、衝撃を受けていた。いや、横にいた洋子の反応は驚きが薄かった。もしかすると薄々察していたのかもしれない。

「それに斎藤も殺していた。それで、強く撃ったのも人を殺すような奴に容赦できないって思ったからだよ....こっちが殺されちゃたまんないでしょ」

「じゃあなんで和代に撃った時よりも、強く能力を使ったの?」

「だから、それは言ったでしょ。人殺しなんかに容赦なんてできないからで」

「それは、嘘だよ。だって、おととい和代を殺人犯だと誤解してたときには、あんなに強く能力を使わなかったのに」

 きっ、と秋月は洋子を睨んだ。

「何が言いたいの」

「秋月さんは、伏見さんの復讐のために動いてる。そう...それで田中さんを殺そうとした」

「あんな奴殺して何が悪いの?」

 少しして、吐き出すように秋月は言った。この言葉で、秋月の殺意の証明はなされてしまった。じいさんの復讐にやっきになっていることは、最初から洋子には、分かっていたみたいだ。

「別にそれで、田中が人殺しだってことは変わらないんでしょ。だったら別にいいじゃん! 復讐で動いて何が悪いんだよ」

 その必死さは何だか、なぜたか縋っているようのも見えて、見苦しかった。

「悪いに決まってるよ! 私情で人を殺すなんて...そんなの最低だよ...それに、伏見さんは、秋月さんが人殺しになるなんて、きっと望んでないはず」

「お前が爺さんの何を知ってるんだよ! わかってんだよ! そんなこと...あたしの気持なんか分からないくせに! じいさんは、じいさんは、 あたしにとっては唯一の家族だったんだ」

 互いの声が呼び水となり、それぞれの声に力が入った。その大声に、横で散歩していたおじさんが何ごとかとこちらが振り向いているのが見える。正直に言うと、この言い争いが早く終わってくれるのを願った。この泥沼の状況から耐えきれない。逃げ出したくなった。

「秋月さんの気持ちは私には分からない。だけど、私はそんな安易な理由で人を殺すなんて絶対許せない。自分の感情に整理がつかないからって、それを人殺しになんて終着させる、そんなの馬鹿げてるよ」

 洋子の目は珍しく怒りを湛えていた。

 しばらく、二人の視線がかみ合った。

「安っぽいせりふばっか吐きやがって」

 そう秋月は最後に吐き捨てると、そっぽを向いた。

 そこからは誰も、何も、喋れなかった。結局あそこで秋月と田中にどんなやり取りがあったかは聞けずじまいで、その日は別れた。


 ☆


 あたしは、夢を見ていた。

 それは、過去のいつだっただろうかの記憶の再現。私は湖で、じいさんと一緒に水切りをしている。

 じいさんは石切り用の石を見つけるのがとても上手かった。

 その日じいさんが見つけた石は、今まで見つけたものの中でも特に綺麗なものだった。水切りに向いた平らな形なのはもちろんな事、その形は完ぺきな楕円、のっぺりとした黒色で、時折それがラメのように輝やいた。それは、まるで何かの宝石、いやそんなものより、もっと特別なものに当時は思えた。

 あたしはそれを投げるのがもったいない、このまま宝物にするといった。

 そう言うとじいさんは、くしゃっとはにかんだ。

 そんな過去の話。なんてことない。なんてことなかったはずの...


 そこで目が覚める。カーテンから日光が差し込んだ。昨日に引き続き、あたしとは無関係に快晴らしい。

 あの夢を見たのはきっと右手にあの思い出の石を握りしめていたからだ。

 じいさんが死んだ今、それが私とじいさんを繋ぐ唯一の絆だ。

 ベットから起き上がる気力は湧かない。学校に行きたくない。大神に会ったらどんな顔すればいいんだ。ひどいことも言ってしまった。

 あれこれ悶々と考えてた結果、ナイスアイデアが頭に浮かんだ。

 そうだ、ずる休みをしよう。

 そうして、私は熱があると電話でうそぶき、その後ずるずると布団にくるまった。

 両親のいない一人暮らしをしているとここら辺さが雑になるところがいい。そう自嘲してもう一度、目を長ーくつぶってみた。思いのほか眠りの世界へは届かない。

 二時間ほど苦労してベットにうんうんと横たわっているとようやく、まどろみに手がかかった。

 意識を沈めていく。

 今度は夢を見なかった。


 ごんごんごん

 玄関の戸を叩く音が遠くから聞こえた。意識は眠りの世界が作る混沌から浮上していき、短時間睡眠特有のぼおっとした頭に戻ってきた。

 なんで横に玄関ベルあるのに、鳴らさないんだろう。

「うあーい」

 そんな声をあげて、必死にベットから起き上がり、ずるずる這うように玄関ドアにたどり着いて、開けた。

「ふあっ」

 そこには誰もいない。が、よく見ると玄関ドアの下に何か紙切れが差し込んである。

 いたずらかあ? 

 それを拾って、内容を確かめる.....

 畜生。その内容が頭に入ると冷や水を被ったごとく、頭が目覚めた。

 それの内容を叩き込んで、びりびりに破ってやる。 

 願ってもない機会だ。今度こそ.....

 あたしは急いで身支度を整えると、アパートの自室を出た。

 外は、いつの間にか夕方になっていて始めていて、あかあかとした夕焼けが私の目を刺した。

 それに目を細めながら、あたしは例の場所へと歩みを進めた。


4.トンネルでの決闘

 染布市と西にある隣町との間は小高い丘のような山々で仕切られている。その町同士を繋ぐ、ハイキングルートの途中、その山々を貫くトンネルがある。そのトンネルの名前は猫島トンネル。誰もその名前の由来を知らない...


 ☆


 そのハイキングコースは午前中、快晴であったものの、夕方から徐々に雨脚が強くなり始めた。夜になるとそれはさらに強くなり、その周囲一帯を濡らしつくした。

 山道にぽつりと置かれた電灯の光が頼りなく水たまりをきらめかせた。

 この闇夜が支配する時間帯、人通りはなくなり、寂しく、そして山特有の覆うような木々が暗闇を形づくった。  ただ、山道にぽつりと置かれた電灯の光が頼りなく水たまりをきらめかせるだけだ。

 その猫島トンネル前に今、染布市方面から傘を差した一人の少女が向かってきていた。 

 その少女はふいに止まって後ろを振り返った。その場所はちょうど街を一望できるようになっており、ここからでは、街の中心のビル群もほんのわずかな小さな光の粒にしか見えない。

 その光景に見とれたのかしばらくの間、少女は足を止めていたが、少ししてまた歩き始めた。

 雨のぽつぽつとした音が少女の持っていた傘を叩いた。

 その少女は、うねった道を進んいき、ようやくトンネル前についた。トンネルの横の看板には、うすぎたない文字で猫島トンネルと書いてある。

 それを横目に、少女はその口の中へと足を踏み入れていく。

 トンネル内部はオレンジの蛍光灯の光で淡く覆われていて、横には、排水用の水路が流れている。

 そしてそのトンネルの真ん中にもう一人の少女がいた。黄色のレインコートを着ている。

「よし。やっぱりきたね。それじゃあ」

 その黄色いレインコートの主は顔をあげて言った。因縁の相手、田中良子だった。

「決着を付けよう」

「ああ」

 それを見たもう一方は傘を横に放り投げた。傘に隠れていた顔が見えた。秋月希依だ。

 秋月はあの家に差し込まれた紙切れのことを思い出していた。


 今日の夜8時、猫島トンネルへ来い 決着をつけよう もちろん一人でだ 来なかった場合私は二度と姿をお前の前に表さないだろう 


 ただそれだけが書いてあった。しかし、それだけでも送り主の田中があたしへと送った果たし状らしいということはすぐに分かった。 これを正直に受け取って、動くとしても普通なら危険だ。

 だけど、今のあたしにとってその紙切れ一つ、動く理由としては十分だ。

 今度こそ、決着をつけてやる....

「と、言いたい所だったんだけど、ここにいる間気が変わった。そう、えーと、果たし状なんて書いておいてなんだけど、私達協力しない?」

 田中は握っていたナイフをポケットに入れると、気まずそうにそう言った。どうやら、戦意がないことを伝えたいらしい。

「今更何を言って...」

「そもそも私はわるーい悪魔から追われているんだ。だったらさあ、私達はその悪魔を倒すために協力するべきなんじゃないかって思うんだよね」

「....」

「それで、私の話覚えてる? 秘狂クラブに追われてるって。まあ、そのことから話すよ。きっと、そっちにとっても興味深いと思うよ?」

 そうして、田中は秋月の困惑をよそに話し始めた。

「まず、時系列は4月まで遡る。私達の学校にある生徒が入学した。そいつが今言った悪魔、私達はメフィストって呼んでいる奴なんだ。まあ、本人は今でもその呼び名を好いてはいないみたいだけど。まあ、ともかくそいつは入学早々、学校に秘密裏のクラブを作った。それが秘狂クラブ。活動内容は、クラブの会員同士で秘密を共有することを条件に、普段できないような狂気に満ちたことを、色々やってしまおうっていう集まりだった。そこで、私達はいろんなことをした。殺し、盗み、恫喝、ともかく色々。まあ、悪い奴らでしょ」

 悪い奴らと言う割には、それを誇るかのような表情を田中は見せた。

「で、まあ私も色々やってたんだけど、ある日とうとう嫌気が指してね」

「へえ嫌気。そうは見えない。あんたみたいなろくでなしが」

 秋月は苦り切った表情で口を挟んだ。ここで、一瞬田中の表情に変化が見られた。それは、歪んでいた。

「まあいいよ。そんなこと。ともかく、抜け出したんだ。一週間前にね。その次いでに、クラブの一員だった斎藤を殺した。追われるときに、あいつは絶対邪魔になるからね。殺した斎藤が、今も行方不明扱いなのは、きっとクラブ側が事件を大事にしたくなかったからだ。死体はあいつらが処分しているはず。まあそんなこんなあって、今は身を隠してるってわけ」

 田中は、滔々と話を続けていく。

「まあ私が抜けてきた経緯ってのはこんな感じかな。で、これからが肝心かなめなんだけども。私は、秘狂クラブのメンバーを全員倒したい。だって、あいつらがいる限り私の生活に安泰は一生来ないでしょ。そして、ついでに安全も確保したい。それでそっち側は、きっとじいさんに代わって街の安全を守りたいはずだ。そのためには、情報が必要なはず。ならば、こういう取引はどう? もし協力するなら、秘狂クラブに関する私が知っている限りの情報全部あげる。3人の情報、隠れ家、その他知る限り何でも教えるよ」

「3人? 今秘狂クラブは3人いるのか?」

「まあ、そうだよ今は3人だ。ともかく、これ以上の情報は協力してから。それで、この情報の対価は、ひとつだけ、私のやった殺人事件について警察に黙っておくこと。それだけ。どうかな。この提案は。そっちがいっぱい得をすると思うんだけど」

「協力しない場合は」

「いちいち聞かなくても分かるでしょ。ともかく、協力する、協力しない。どっちか教えて。協力するなら、今なら情報支援だけじゃない、特別付録だ。秘狂クラブを倒すのを手伝っていい。それなら私はもっと役に立つよ。それだけの自信があるからね」

 秋月は、話を聞き終わると目線を田中の目へと移した。それに田中はたじろぐこともなく、両者の睨みあいが続いた。どれくらい続いたころだろうか、

「一つだけいい?」

 秋月から声が掛けられた。

「なんでしょう」

「なんでじいさんを殺したんだ? あんたの経緯の説明、そこは抜けてたけど」

「それは前言った通り、むかついたからだよ。言ったろ、あのじじい、能力があるのにそれに胡坐かいてるバカだって。だから、むしゃくしゃして殺してやろうと思っただけ」

 そうして、道化師のようにけらけらと田中は笑った。

 そこで、秋月の答えはようやく決まった。右手を田中に対して突き出す。

 対して、田中はナイフをポケットから取り出し構えた。

 勝負は始まった。


 秋月が、片手を突き出した、その時になっても田中は、焦りを見せずにいた。

 やっぱり協力は蹴ったか。まあいい、私はあのクラブ一強かった斎藤も、そして町一番に強いと言われてたあの伏見銑十郎も殺したんだ。今の私ならいける。そうだ、恐れることなかったんだ。こいつを殺したら、あの秘狂クラブの奴らも全員やって、その後姉貴を...

 いや今は目の前の戦いに集中だ。と言っても正直余裕と言ってもいい。ことお前みたいな単細胞の復讐者には、このインサー・コインズは強く出れる。

 ここに来たという時点で、お前の負けは決まっているんだ。秋月。それを今から証明してやるさ。


 秋月が、右手を出したその数瞬後、秋月の周りの空気がガリガリガリとこすれた。それはトンネルで鳴らしたことによって、さらにぐわんと独自の波長となり、歪んだ反響をした。

 この雷起こしの発動音をスタートのピストルに見立てたように、田中は走り始めた。その足は勝負には不釣り合いなほど軽やかで、勝利への確信に満ちている。

 秋月の右手に対して、 田中の右手にはナイフが握られている。そのナイフは、秋月の右手に向けられた。

 その行動にあくまでも秋月側は余裕だ。 

 距離として、田中まで目算であと5m程、ナイフの切っ先が秋月の右手に届くよりもギリギリ早く雷起こしが発動する。

 路地裏の戦いの再現になる、とあくまで秋月は予想していた。

 その時までは。

「あたっ」

 秋月は小さな悲鳴を上げた。その右手にはナイフの切っ先が、掌から甲まで貫通して刺さっていた。

 どういうことなんだ? 秋月はこの刹那、疑問を抱く。

 田中との距離はまだ、ナイフが届くまで縮まっていない。

 そうか、ナイフ。田中の持っているナイフへと目を向けた。

 その刃先が無くなっている! 

 そこで合点した。なるほど、田中が持っていたのは、あの路地裏のときの十徳ナイフじゃない。別のナイフ、中でも刃先を飛ばせるスペツナナイフを使ったんだ。

 きっとそれで距離の問題を解決したんだ。

 でも、甘い! 

 すぐさま秋月は左手でナイフを引き抜く。血が掌からぼとぼと流れ落ちる。

 それでも、雷起こしの音はまだ止まらない。

 ここで、田中の表情に動揺が走った。

 あたしはこれくらいじゃ雷起こしは解除しない。

 それに対し田中は、必死に詰め寄る。それと同時に、左手で隠し持った本命の十徳ナイフを秋月へと突いた。

 しかし、それは間に合わない。

「雷起こし!」

 二者の間に、ねじ曲がった光の線が発生した。それは路地裏で見せたものよりは劣るが、それでも人を気絶させるには十分な電撃だった。

 それが二人の間にはじけた。

 田中は秋月の手前、それをもろに食らってそのまま前へ倒れこんだ、かに思えた、

「えっ」

 秋月はふと思わず息を漏らした。胸に衝撃が走る。

 思わず下へ目線を向けた。

 自分の右胸にナイフが突き刺さっていた。

 田中は倒れていない。それどころか、表情はあくまでも余裕だ。

 雷起こしが効いていない...

 秋月のこれから漏れ出すであろう悲鳴に対して、田中は残虐な笑みを浮かべようとした。

 が、ここで田中の表情が一変した。ナイフの手ごたえがおかしい。まるで、シジミを食べたときに、砂を噛んだような違和感。

 そう、ナイフを刺したときの感触は硬すぎたのだ。

 その動揺によって一瞬生まれた隙を秋月は、見逃さなかった。

 動きが止まった田中の無防備な腹に渾身の右回し蹴りを一発入れた。

 田中は横腹にぐっと衝撃を食らい、体を折り右横に滑るように吹っ飛んだ。そうして尻もちをつく。

「くあっ」 

 秋月はその隙に、すぐさま田中から遠ざかろうとした。二発目の雷起こしを撃とうと距離を取ったのだ。

 その足が直前で止まった。何かに気づいたようだ。

 それは蹴られた衝撃で、レインコートの裾が開けたことで見えた田中の仕掛けだった。

「なるほど、絶縁服を下に着こんだのか。どうりで雷起こしがきかない!」

 絶縁服、それは電工技師が、機械作業を行うときに放電から守るための服。これを田中はどこからか、仕入れて雷撃から守る防御として用いたのだ。

「なら、それで守られてない箇所なら当てられるはず!」

 秋月は、再び右手で雷起こし発動した。ガリガリ音が再びそこら中を反射する。

 距離としては5m弱、それでも蹴られたことによる、衝撃で態勢が整っていない分田中が不利だ。

「分かった。私の負けだ」

 そう田中が判断するのも無理はない。そうして、両手をあげる。

 だが、雷起こしは解除されない。

 田中の表情が明確に怯えに変わった。

「雷起こし!」

 もう一度、閃光が放たれた。今度は田中の右手を狙う。

「があっ」

 田中の全身に衝撃が走った。田中は電撃によるひきつれを起こして、体を支えられなくなりその場に倒れた。

「はああああ」

 勝負あった、そう判断して、秋月は肩の力を抜き、深いため息をついた。そうしてから、ふと思い出したかのように服の胸ポケットに右手を突っ込んで、それを取り出した。

「そっか。お守りのつもりだったけど」

 それはじいさんとの思い出の水切り石だった。これが、田中のナイフから身を防いでくれたのだ。その石は、今はもうナイフが刺さったことで、ひび割れ、かつての美しい形は消えてしまった。

 そこで、おかしくなって思わずほほ笑んだ。

 だが、それも少しの間だけだけだった。その表情はすぐに強張り、秋月は向こうの田中へ意識を向けた。

 今、田中は雷起こしをもろに食らったことで、自由に動けなくなっている。そして、しばらくはそのままだろう。

 ここであたしの脳内に、一つの残忍な考えがやどった。

「ねえ田中。あんたのインサートコインズは確か死んだときに発動するって言ってたよね」

「ああ?」

 田中は電撃でいまだ引きつれている口元を歪めながら言った。

 あたしは、ふらふらと田中へと近づいていった。

「なら殺さなければ、どれだけ痛めつけても再生はしないはずだ」

 その意味を田中は理解したようだ。彼女に、恐怖の表情が差した。

「おい、何を...」

「お前にはじいさんの分までたっぷり苦しませてやる。そしてお前を後悔したまま....」

 あたしは一歩一歩田中に近づいていく。

 その足取りは思いのほか軽い。

 今、あたしはどんな顔をしてるのかな、田中。怒ってる顔? 、それとも苦しんでいる顔かな? ....それとも喜んで...喜んで? 


 自分の感情に整理がつかないからって、それを人殺しになんて終着させる、そんなの馬鹿げてる。


 大神の言葉を思い出した。あたし、今のあたしは、何なんだ。何様なんだ。

 足が止まる。

 結局いくら考えても分からなかった、分かるはずない。

 そうか。 そうか分からないからこそ....

「どうした。やらないのか?」

 田中が臆病者をあざ笑うように声を掛けた。あたしは、その下卑た顔を睨んでやった。強い憎悪をこめて。

「いや、もういい」

「へえ、私が憎くて憎くてたまらないのに」

「もちろん憎いよ。けど、けどさ、私のこと心配してくれる人が新しくできたんだ。私は、私は、今の所その人に失望されたくない」

 あたしは俯いて、そう言うしかできなかった。これが今のあたしの限界だった。目元が情けなく潤んだ。

「ふうん。つまんない奴」

 ふと田中の表情が暗くなった。それは、どうやらつまらないというより、当てが外れたという風に拗ねているようにも見えた。一瞬、違和感を感じて、緊張が走る。

「だから、私はお前を殺さない、けどしばらくの間はおとなしくしてもらう」

 その違和感に押され、あたしが再び右手を上げようとしたそのとき、

「はあ、惜しかったなあ。あのまま近づいてくれたら」

 田中は突然、ニヤッと口元をつらして笑った。

「殺せたのに」

 田中は右袖の下に隠してあったスイッチを、電撃でいまだに引きつっている指で押した。


 ごおおっ


 その瞬間、トンネル内の空気が一気に膨張し、衝撃が走った。田中自身に仕掛けてあった小型爆弾が起動したのだ。それは不死者であるから行える最後の手段。自爆。その厚手のコートは自分に仕掛けた爆弾を隠すためのものだったのかもしれない。

「あっ」

 秋月は、その爆発を直接、食らわなかったが、その衝撃の余波は十分に食らった。その熱風に押され、反対の左の壁にたたきつけられた。その衝撃で気絶する直前に最後に見たのは、田中の血、肉片、布切れ、そしてその中でも特に際立ったのは吹っ飛んだ田中の左腕だった。それが、十徳ナイフを握りしめたまま、その刃先を炎にきらめきながら水路へと落ちていく。

 それは、田中があざ笑って、手を振っているようだった。


5.Sister complex

 一つ上の姉。田中久美子。私は姉にいつも勝てなかった。

 その理由は単純だ。姉は特別だった、ただそれだけなのだ。

 それがたまらなく嫌だった。

 特別な姉が、そして何より特別じゃない自分に。


 私だって勉強ができない訳じゃない。スポーツが下手なわけじゃない。でも、姉はそのさらに上を行った。あらゆる分野で私は姉の下だった。

 その数ある中でも、一番悔しかったのはゲームだった。当時、中学一年の頃に私がやっていたゲームソフト、オンライン対戦格闘ゲーム「夢幻寺」。これは当時の私にとって人生だった。誇りだった。一日の大半をこのゲームに費やしていて、そのかいあって、私は全国大会で優勝までしてやったのだ。

 そうしてゲームをやりこんでいったのだが、一人だけどうして勝てないオンラインプレイヤーがいることに気づいた。そのプレイヤーネームはとても変な名前で、ブルックリン禿げだった。それと何度やっても私は勝つことができなかったのだ。

 そのブルックリン禿げの戦闘スタイルはとにかく初見殺しに特化したものだった。初見殺しというからには、一度見れば見破れる、二度目は通じないような戦法なのだが、それを対戦毎に巧みに変えて使ってくるせいで、こちらが対応できないままやられてしまうというのが毎度だった。

 そんな奇妙な敵の正体を知ることになったのは、中学一年生の冬休みの最中だ。

 その日、従兄弟が遊びに来ていた。小学一年生、まだ尻の青い生意気なガキだったので、私は嫌いだった。 さて、その従兄弟は我儘ですぐさまゲームがしたいと言い出した。私のゲーム機を貸してやれ、と母は言ったが、冗談じゃない。聞こえない振りをしてすぐさま、リビングから自分の部屋へと退散した。

 そうして、部屋に閉じこもっていると、リビングから耳慣れた音が聞こえた。それは私のやっている夢幻寺と同じゲーム音だ。姉も同じゲーム機を持っていたので、そっちを貸し出し始めたらしい。ここで姉が夢幻寺を持っていることを初めて知った。今まで、姉からその話題を出したことがないので、てっきり持っていないものだと思っていたのだ。

 ここで、少し興味が出た。私は、夢幻寺での腕前を滅多に家族に披露することはなかった。ここで、生意気な従兄弟をボコしてやるのもいいかもしれない。そうだ、我が姉にも眼にもの見せてやるのもいいかもしれない。

 そんなことを考えながら、自分の部屋から出てリビングへと顔を出した。見ると、従兄弟と姉はどうやら、上手くやっているようで、わいわい喋っているのが聞こえる。

「くみこねーちゃん。このプレイヤーネームのところ。なんて読むのこれ」

 従兄弟の生意気な声がリビングに響いた。

「ああこれは、ブルックリン禿げって読むんだよ」

 その瞬間、私はその場でずっこけてしまった。

「なんでそんな変な名前つけるの」

 そんな母の声もこのとき酷く遠いものに聞こえた。視界がぐにゃりと歪んだ。

 そのまま、気絶していたらしい。

 次目覚めたとき、私は救急車の中にいた。

「おっ目覚めた。大丈夫?」

 つきそいで来たであろう姉は、そんな暢気なことを言い放った。

「大丈夫なわけないだろおお!」

 半泣きで叫んだ。

 これ以降、私は夢幻寺のカセットをゲーム機に差すことはなかった。


 そのブルックリン禿げ事件の皮切りにして、私の脳みそは真剣に姉に対して悩み始めていた。そうして、悩み続けた、結果ある一つの結論を導き出した。


 ☆


 中学二年生の夏の終わりごろ、私は人を殺した。

 まさか姉だって人を殺したことはないだろう。そう、 殺せば何か変わると思った。


 その日は暑かった。炎天下の中、私は駅前の公園でホームレスを物色した。

 なるべく、終わってそうで頭の悪そうなやつを、見繕って、声を掛けた。

「私がヤらせてあげる」

 と今考えても、頭の悪い性交渉はすんなりうまくいった。

 そうして、公園の草陰まで連れて行き、そいつを殺した。

 それは、思いがけず上手くいった。 殺したとき、胸が高揚で高鳴った。きっとどの夏よりも暖かかった瞬間だ。 そして殺した後、その熱は少しの寂寥感と幸福感へと還元されっていった。

 予習の成果もあって、ほぼ完ぺきに殺すことができた。

 ただ一つ、予想外だったのは両手に血がべっとりとついてしまったことだけ。ただその予想外も当時の私にとっては愛おしい胎内のぬくもりのようだった。

 それをかみしめながら、家へ帰ると自分の部屋で、私はぺたりと座って、手についた血を見ていた。

 外は夕暮れで、部屋に西日差し込み、手のひらを逆光で満たした。そうすると、血はさらに黒く輝いた。ここで、電気をつける必要がなかった。

 どこからか、豆腐屋の笛の音が聞こえる。そんな日常も今の私にはくだらない。はははと笑ってやる。

 幸せな夕暮れ時、私こそが世界だった。

 姉が帰ってくるまでは。


「なにしてるの?」

 姉に呼びかけられてはっとして、座ったまま後ろに振り返った。どうやら部屋のドアをあけっぱにしていたため、姉が私に気づいたらしい。

 私の後ろにはいつもの姉がいた。

 私の姉、特別な人。

 でも今、私が、いや私の方が特別なんだ。それを証明するために、振り返って姉を見据えたまま、血だらけの両手をこれでもかと見せつけてやった。

「そう、私、私やってやったんだよ。私は...」

 特別だ。

 姉は、しばらく目を丸くするように見ていたが、ため息をつくと、

「ちゃんと手え洗っておいてよ。かあさんに見られたらどうすんの」

 そうして何事もなかったかのように、部屋を去った。

 そこで魔法は解けた。

 あとに残されたのは薄汚れた手と、虚栄心に満ち溢れた哀れな道化師だけだった。西日はいつのまにか沈んでいて夜が勢いを増していた。

 私は、よろよろと立ち上がると、一階の洗面台にたった。

 そこに映るのは、なんだいつもと変わらないみじめな私がいた。  

 蛇口をひねり、水を出す。

 その動作を緩慢に行いながら、私は洗面台の前でみっともなく泣いた。


 ☆


 そして今年の春、姉は家出をした。3月20日、夜中の2時のことだった。

 私は、それを待っていた、そして知っていた。姉がおそらく二度と帰らない家出すること。

 それは姉が今年に入ってから滅多に話さなくなったこと、部屋にいる時間が長くなったこと、時折訳の分からないつぶやきを漏らすこと、そういったことの積み重ねの痕跡を辿った結果、自然に辿りついた答えだった。きっと、この答えにたどり着いたのも私達が姉妹だから、同じ場所から生まれ出た半身だったから得られた直観なんだ。

 そして、その半身は、私のもとを離れようとしていた。そんなことをみすみす許してたまるか。姉にばれないよう私は、密やかにそれを追っかけ始めた。

 距離にして10 m、姉のいつものボロボロの茶コート、白の襟付きシャツ、青のジーパンそして一つ、普段と違うパンパンの家出用のリュック。それらが、時々、街灯の光にぱっと照らされて、そこを超えてまた闇に紛れる。その見え隠れをしばらく繰り返した。

 普段歩かない、暗闇の中の感覚に足がおぼつかなくなった。対して姉は水魚のように、さっと闇を切り裂いて進んでいくのでついていくのが精いっぱいだ。

 そのまま、ついていくと街の南端にある玉川の河川敷にたどり着いた。

 河川敷の上から見る川は、まるで黒い巨大な化け物が寝転がっているように見える。その化け物の背中は、月明かりをちらちらと反射していた。

 姉はその光景にもさして気を止めず、河川敷を乗り越えると、芝生の広場を通りすぎ、茂みへと入った。このままついていったら、枯れ草を踏んで足音でばれるかもしれない。そう二の足を踏んでいると、姉の動きがようやく止まった。そしておもむろに背中の荷物を降ろすと、私の方へと振り返った。

「なんで来たの」

 尾行はやっぱりばれていた。なぜかそのとき、ほっとしてしまった。

「どこに行くつもり」

 私は、単刀直入に聞いた。姉相手の対話にはそっちの方が話が早い。

「どうだっていいでしょ、そんなの。ささ帰れ」

 姉は、右手であっちいけのジェスチャーをすると、背を向け、

「ああ、あとは家を任せたよ」

 そう、言い残してまたリュックを背負おうとした。

 そこで、姉はもう二度と帰ってこないつもりだということが、ここではっきりと自分の認識へと入っていった。

「勝手にどっかに行くなよ」 

「え?」

 姉は、リュックに掛けていた手を放してこちらを見た。

「行くなら、行くなら、せめて私と決着を付けてからにしろよ! いつもいつも勝手なんだ!」

 私は、愛用の十徳ナイフの先っぽを掲げて姉へ突きつけた。

 姉はため息をつくと、コートから彼女お手製の改造ナイフを掲げた。この異様な状況にも姉は特に戸惑いの欠片も見せなかった。

 どうやら喧嘩は買ってくれたらしい。

 暗闇でお互い顔は見えない。でもそれは姉も同じだろう。ただ、ナイフの切っ先だけが月で淡く照らされた。

 私は、殺す気だった。姉もどうやら殺す気でいるらしい。それを知るとぞわっとさぶいぼがたった。

 互いに無言で向きあう。

 先に動いたのは、姉だった。姉は、こちらへと奔りながら向かいつつ、ナイフの柄にあるスイッチを押した。カチッと小さな音がして、そのナイフの刃先はひゅんと空気を切って私へと向かった。 それは、ナイフの刃先を飛ばすスペツナズナイフだ。

 その鉄片は月明かりを鈍く跳ね返し、光の軌道を描いた。

 普通ならおそらく予想もしなかった手だっただろう。 だけど、それは知っていた。 姉は一回だけ、珍しく自慢げに私に見せてくれたことがあったのだ。

 その行動が命取りだ。

 それを私は左手をかざして、その刃を受け止めた。

 左手に熱い感覚がたぎった。ただそれは同時に勝利の感覚だ。

 スペツナズナイフの射出は1回限り。見破られたら先はない。

 そのまま、姉の方へ一気に間合いを詰め、十徳ナイフを彼女の胸へと突き出した。

 勝った! 

 確実に姉を捉えた、はずだった。

 ナイフを突き刺す直前、視界の下方にもう一つ光の軌道が見えた。

 腹部に衝撃が走った。

「があっ」

 何が起きたか分からない。お腹が熱くなっていくような感覚がしてきた。熱く、吐き気のような感覚とともに私は後ろ向きにどっと倒れた。

 倒れる直前、姉の足元に月明かりに照らされたもう一つの金属片が見えた。どうやら靴底にナイフを仕込んでおいたものらしい。

 そうなのだ。いつも。やっぱり私は。

 枯れ草が後頭部を慰めるようにくすぐったく撫でる。恐らくこのままだと出血で死ぬだろう。

 倒れたまま、顔を姉の方を見やる。その顔は暗くて見えない。しばらく、そのまま姉はその場に立っていた。

「じゃあね」

 ふいに姉はそう言って、緩慢な動作で荷物を背負い込み、走り出してその場を去った。

 結局、私はまたも置いて行かれたらしい。

「は、は、は」

 乾いた笑いが私を包んだ。その行為すらも死へのカウントダウンを早める自傷行為だ。でも、笑わずにいられない。

 私はこのまま野垂死ぬ。何もなせないまま。

 そう思っていた。

 でも、そうはならなかった。

 悪魔たちが月を背にして、その場に光臨したからだ。


 倒れた私を覗き込むようにして、誰かがいるのが見えた。

 2人だ。

 月を背に向けた逆光でそいつらの顔は陰になっていた。

「はじめまして」

 陰の一人が喋った。

「誰?」

「俺がフィッシュ、こっちがメフィスト」

 もう一つの陰が言った。どうやらどちらも偽名のようだ。

「まあ、こいつはこの名前を気に入ってないみたいだがな」

 フィッシュと名乗った人物が笑いをこらえるように言う。

「お前と取引しに来たんだ」

 それに対して、メフィストは被せるように、苦り切った声でそう言った。

「ふうん。悪魔の取引ってことね? じゃあこっちは何を対価にすればいいの? やっぱり魂?」

「そんなものいらない。ただその傷を治す対価として、俺たちの活動を手伝ってほしいんだ」

「活動って」

「俺たちは今秘狂クラブってのを今作ろうとしてる。今の所そこで、世の中では大ぴっらにできないこと、例えば殺人、強盗、恐喝まあともかく何でもありの秘密結社みたいなのを目指してるんだ。興味ないか? 今ならもれなく特典付きだ」

「すごく楽しそう」

「だろ。だから生きてもらわなきゃ困るんだ」

 そこで、取引は成立した。

「フィッシュ、こいつをお前のバナナ・フィッシュを使って助けてやれ」

 そして、メフィスト何か粉のようなものを取り出すと、それを右手で私の口に含ませた。そこで意識は途切れた。


 奇妙な夢を見た。

 赤い部屋だった。いや、正確に言えば、赤黒い液体で部屋全体が染まっている。

 床にはナイフが散らばっていて、建付けの悪そうな扉が大量に付けられていた。それも壁だけではなく床や天井、四方八方に。

 その中心に姉は背を向けるように立っていた。私は姉のその顔を見ようと近づいた。でも姉を見ようとすると、その分だけ姉は背を向けるように動いてしまい、どうしても顔が見えないのだ。

 私はそれを何度も覗こうとして、失敗した。

 あともう少し。あともう少しで顔が見れる。もう少し、もう少しで...


 目覚めるとそこは自分の部屋、ベットの上だった。

 ぼんやりとした頭で、姉との対決、悪魔との取引すべて夢だったのかと疑った。

 しかし、そうでないことは、すぐに証明されていった。

 悪魔がもたらした奇妙な夢によって超能力を得たこと。

 悪魔からの接触が再びあったこと。

 そして、姉がいなくなったことで。


6.暴虐の対価

 私は夜の黒い水面に、ぷかぷかと浮き流されていた。

 どうやら、私は猫島トンネルの水路から流されて行き、街の南にある玉川へと繋がる水門前までたどり着いたようだ。 

 今回は左腕から再生したらしい。その手にはぎゅっとあの十徳ナイフが握られていた。どうやらこいつとは腐れ縁みたいだ。相棒ともいえるそのナイフはもう私の体の一部のようで、それが思いのほか嬉しくて、握る力が強くなった。

 そのまま流されていくと、水門をくぐり抜け、玉川との合流部へとたどり着いた。私は、その手前で左に泳いで、水路脇にあるコンクリートの通路に手を付け、水から出た。

 今私は、爆発のせいで全身は再生されたものの、服は木っ端みじんになくなり裸なっていた。こんな夜に誰かが見ているとは思わないけど、なんだかスースーして落ち着かないし恥ずかしい。

 それにもかかわらず夜風は容赦なく私のからだに吹きかかった。地球温暖化が進んでいるとはいえ、さすがに今の季節だと寒いな。 

 そうだ、まずは新しい服を見つけることからしないと。

 それにしても、まさかあれだけ対策しても秋月一人仕留めることができないとは思わなかった。秋月とやら、運もあるが伊達に鍛えていないわけだ。

 畜生。こんな目にあわせやがって。お返しのサプライズをしなきゃなあ。

 そのとき、何かぞっとする感覚に襲われた。

「田中」

 後ろから、声が掛けられた。振りかえなくても私には分かった。今、後ろにいるのは悪魔だ。

「取引を反故にした対価、そろそろ払って貰おうか」


 悪魔メフィスト、私たち秘狂クラブのリーダー。思えば、あんな活動が曲がりなりにも続けられたのは、きっとあいつが私達を狂わしてしまったからに違いない。

 秋月には嫌気が指したから逃げたなんてカッコつけてやったが、私の本心を言えばクラブの蔓延している狂気に耐えられなくなってから逃げ出しただけだ。

 その悪魔と今、再び直面させられようとしていた。


「メフィスト...」

 振り返ってそれだけ絞り出すことができた。秘狂クラブ内での、彼の偽名で呼んでいた。

「ジェーン、まだその名前で呼ぶのか...」

 ジェーンは、あの狂気の活動で使っていた私の偽名だ。

「どうして、ここが分かった?」

 私はかろうじでそう言った。

「どうしてだろう。なんとなくで待っていたんだ」

 メフィストは辺りをぐるりと見回した。

「ここ、お前の思い出の場所だろ。だから逃げ出した時、寄るんじゃないかと思ったんだ」

 私は、はっとした。この川の合流点とでも言うべき場所、それは姉との対決をした、そして悪魔と契約したあの茂みの丁度横にあったのだ。

 悪魔の予想は外れたわけだが、結果的にその勘は当たったわけだ。そう、結果的に。

 私がこいつを心底恐ろしいと感じるのはこういう妙な勘の良さだった。メフィストの行動はその本人の考えのあたりはずれに関わらず、いつもこうした結果をもってきやがる。

「なんで、私を泳がせておいたの?」

「お前なら、そっちの方が面白い結果を持ってくると考えた。ただそれだけだ。おかげで、伏見銑十郎が消えただろ?」

 メフィストは抜け抜けと言った。その答えは、心底馬鹿げていたが、事実私は奴らに有益なように働いてしまったのだ。伏見銑十郎がいなくなった後のこの街なら、奴らは悠々と悪事をこなせるに違いない。

「面白いなんてよく言うよ。もし私が、警察に秘狂クラブの情報を流していたらそれだけであんたの集まりはおじゃんになる」

「でも、そうはならなかった」

 メフィストは続けてこう言った。

「それに、そうなっても面白かった」

 私はその答えに、呆れて納得することができた。そうだ、こいつは秘狂クラブなんてもんをわざわざ学校なんかに作る奴だったのだ。

「はああ、まああんたはそういう奴だったね!」

 その声を合図にメフィストへと、走った。

 すぐさま、詰め寄って彼の胸へ十徳ナイフを突き出す。

 その必殺の鋼の軌道は、右に揺れた。

 瞬間、視界が反転して、私は頭から地面へと叩きつけられていた。

 目の前が一瞬真っ白になる。

 すこしして、どうやら彼の右脚で足払いを決められたらしい、とようやく理解することができた。

「獲物を持つからそうなる。獲物に集中すれば、どうしても足への集中力は疎かになる」

 その動けなくなった隙をメフィストは見逃さなかった。

 まず、彼は私の手にあったナイフを奪う。それを私の腰に思い切り刺した。

「がああっ」

 痛みが全身へと瞬間的に走った。思考が鈍る。

 その痛みで動けない間で、どこからか取り出した縄を私の両腕、両足へと素早く通す。

 まさに、神業とでもいうべきスピードで次々に体へと縄を巻き付け、縛り上げ私の身動きを完全に封じた。

 そうなると私は、腹ばいでメフィストを見上げることしかできなかった。

「お前は、一体何が目的なんだ」

 痛むからだでかろうじで言葉を発する。それは、私の無意識下で感じていた疑問が表出したものだった。

 目的。思えば、メフィストには何か裏があると睨んでいたのだ。秘狂クラブなんて作って満足するような奴じゃない。

 悪魔は、腹ばいになっている私の目の前に立って、人差し指を地面へと向けた。

「地獄」

「え?」

「地獄を目指しているんだ...」

「地獄? や、やっぱり悪魔も、地元に帰省でもするもんなのか?」

 私の軽口も空しく会話はそこで途切れた。

「田中の能力、何回でも蘇ることができるインサート・コインズ。確かに強力な能力だ」

 おもむろにメフィストは私の後ろに回った。

「だが、日陰者ってのは、体のエネルギーを使って能力を行使しているから、再生も無限にできるわけじゃない」

 彼は独り言のように言うが、その声には高揚を伴っていた。そう、それは子供の頃虫を遊び半分で殺すときとおなじだ。

「だから」

 悪魔は縄を掴んで、私の体の方向を横にある水路の水面へと向けた。

「何回も殺し続ければいつかは限界が来るというわけだ」

 頭を押さえつけられた。 私は、もう、そこで自分に降りかかるこれからの暗い絶望を悟った。

 息が荒くなる。

 インサートコインズは私の意思とは関係なく自動発動する能力。

 死んでも、死んでも私のエネルギーが尽きるまで生き返り続け、また死ぬ。

 そう、私はこれまでのすべてが崩されるほどの苦痛を味わいながら死ぬんだ。

 恐ろしい。怖い。タールのような水面は今私を殺すための凶器だ。

 目元が潤むのが自分でも分かる。でも、こんなところで終わってたまるか。

 私は、後を振り返って、悪魔を睨んだ。

 すると、悪魔が右手で私の頭の後ろを抑えて、さらに水面に近づけた。

「最後に何か言うことはあるか?」

 呼吸が心臓の鼓動へと変貌した。水面に入ってもいないのに息が吸えない。

 恐怖で思考が加速する。まだ自分が死なないと信じていたい。だれか、まだ、まだ死にたくない。

 ふと姉の顔が思い浮かんだ。そうだ姉は....

 私は何処へも、何にもなれなかった。けど、姉には、負けたくなかったんだ。

「メフィスト、お前なんて...」

 声が思ったよりも出ない。一瞬、また息が詰まる。でも、それも一瞬だ。

「お前なんて糞くらえだ! いつかぶっ殺してやる、それまで」

 私は最後の意地で声をしぼりだした。

「それまで怯えて待ってろ!」


 水路と玉川の合流点、そこに、どれぐらい経った頃だろうか。一人の少女が姿を現した。その少女は血の流れが止まったはずの後頭部を今だ左手で抑えながら、よろめいて歩いていた。

 その少女─秋月希依は、猫島トンネルで爆発により吹っ飛ばされ、頭を打って気絶していたが、意識が戻るとそのまま水路を辿っていきそして、この合流点付近のコンクリートの通路までたどり着いたらしかった。

「何、あれ」

 その水路と、川の合流箇所のちょうど先端、その異様な物体は月明かりに照らされて白く見えた。

 その物体はどうやら、水へと浸かっているらしく、その流れを少しだけせき止めたせいで、葉や屑が引っかかってたまっていた。

 急いで秋月は近くまで駆けつける。

 その物体の水面に浸かっている箇所を、髪をひっつかむことで持ち上げた。

「田中...」

 その物体こそは、因縁の相手だった田中良子その人だった。 その表情は、この世の恐怖を垣間見たのではないかとでも言うべき、恐れと苦痛に歪んでいた。

 どうやら、その白い裸死体は、足を折り曲げて地面に、両腕と頭は水に浸かっていてまるで土下座をするようにして、そこに置かれたらしい。

 さすがの、秋月の顔にも恐怖の色が差した。思わず、そこらじゅうを不安げに見渡す。まだ、殺した犯人が近くいるのかもしれないのだ。

 しばらくそうしていたが、犯人の気配がないことを悟ると、もう一度その死体に目を向けた。

 そうすると、さきはど動揺していてあまり意識を向けていなかった異様な背中へとフォーカスした。

 背中には、赤黒い線の集合があった。よく見ると、それは刻まれた文字だった。そして、その背中の右腸骨あたりに田中愛用の品であったであろう十徳ナイフが刺さっている。

 どうやらその背中に刺さっているナイフで、その血文字を刻んだらしい。

 その背中に刻まれた言葉は...


悪魔より告げる

 我ら 狼 鷹 啄木鳥 を狩り

 これを同士へと捧げよう 



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