掴めないもの
上の階から話し声が聞こえる。少しでも会話の内容を聞き取ろうと耳を傾けるがやはり超能力がない限り人間には限界がある。しかし声の抑揚からして特に何の変哲もない会話だと思われる。ここにいることがバレないように轟木は出来るだけ息を潜め物音を立てずにひたすら聞こえる会話に耳を傾けていた。すると不意に背後の扉が遠慮がちに開かれそこから恵がゆっくりと顔を覗かせた。
「どうした?」
ほぼ音にならない、口パクのような声量で問いかける。
「いや、物音がないので心配して。けど大丈夫そうですね」
「……たった今お前が来て大丈夫じゃなくなったかもしれん。戻れ」
「嫌です」
「ったく、勝手にしろ」
ここで大人しく引くような人間ではないことを知っているので勝手にさせることにした轟木だったがふと彼女に伝え忘れていたことがあったことを思い出した。
「そういえば……」
声を潜めながら轟木はスーツの上着のポケットから携帯を取り出し顔の横に掲げた。恵もすぐにその行動に気がついたがその掲げられた携帯を見てすぐに違和感を覚えた。
「あれ?はにわが付いて無い」
そう、轟木の携帯にはたんぽぽを持ったはにわのストラップが付いてたはずだが今は何もぶら下がっていない。
「実は昨日明光にお守りとしてあげたんだ。そして彼女に委ねた。このキーホルダーを次パパに会ったときに教えるか教えないか。もし彼女があのキーホルダーを常世田に見せたりしたら警察は今回の事案を監禁とは認めない」
「え、それって……」
「変わりに虐待として扱うってことだ。といっても俺一人で決めれることではないからなんとも言えんが上に掛け合ってみようと思っている。一般的に考えると監禁より虐待の方が罪は重いだろうがあの子の監禁の年数を考えてみるとどうだ?これは仮定でしかないが六年ともなると子供の人格生成に深く関わる年数だ。逮捕されるという点ではどちらも一緒だがムショに入る期間はある程度の差は出てくるだろうな」
「虐待となると、心理的虐待分類されるのでしょうか?」
「あぁ、別に殴ったりしている訳じゃないしな。けどまぁ実際のところそこんとこが難しいんだよなぁ……俺も法律に関してはよく分からんし結局は司法に委ねることしか出来ん」
壁に凭れ掛かりながらそう唸る轟木に恵は同情した。恵も法律などについてそこまで詳しいという訳でもない。必要最低限のことは頭に入れているつもりだが法律の条文はいつまで経っても同じという訳ではない。少し前までは暗記にも力を入れていたがすっかり諦めてしまった。「法律なんざ専門の人間に任せておけばいい」と誰かが言っていたような気がする。
「……私たちが出来ることは事実を見つけることですもんね」
自分に言い聞かせるように呟いた恵の言葉に轟木は一瞬目を見開いたがすぐにそれを戻し口元を少し緩めた。
「分かってるじゃないか」
自分の背中を追いかけ必死に食らいついて来ていたバディの成長に思わず笑みがこぼれ思わず肩の力を抜いたときだった。
二階からわずかな物音がした。
「やべっ」
「えっ、わぁ!」
勢いよく目の前にあった背中を押し、物音を立てずに素早く扉を閉めた。閉める直前に階段の上の方を見たが人影などは見当たらなかったので恐らくバレてはいないだろう。しかしあと数秒遅かったらどうなっていたか分からない、己の行動力に賛美を贈りたい。かなりのリスクだったが成果は得られ……てない。
「俺たちただ雑談してただけじゃねぇか。お前が来るまでは順調だったのに」
「その雑談の第一声は先輩でしたけどね?」
「あれのどこが雑談だ。伝え忘れていたことを共有しただけじゃないか、そもそも雑談って何だ、雑談してたか?俺たち」
「いや、してないですね。最初に雑談と言ったのは先輩でしたけど」
「……あのなぁ」
またもや不毛な言い争いが始まろうとしたとき恵の携帯が微かに震えた音がした。急いで恵は携帯を取り出し画面を開いた。
「あ、主任からです。……今から出港するのであと四十分ほどかかりそう、らしいです」
轟木は手元の腕時計を見た。時刻は七時四十二分、ざっと計算しても八時二十分くらいにこの島に着くだろう。
「今から二階に上がって明光を救出するのもありだがそれだともし常世田にバレたときが面倒くさいな。畑の見学を出来るだけ伸ばして主任たちが来るまでの時間稼ぎをしよう、出来るだけ長く」
「分かりました。私が質問しまくればいいんですね」
「質問しまくればって……程々にな」
そろそろ迎えが来るだろうと二人が玄関に向かうと丁度その扉が横に動いた。そこから顔を覗かせたのは後ろの物置の階段から降りてきたであろう常世田だった。
「丁度良かった、行きましょうか」
明らかに乗り気ではないその顔を気づいているのかあえてスルーしているのか分からないが恵はとても笑顔だった。その傍ら轟木は一人、少々の同情を交えながら心の中で苦笑いをした。
三人が向かったのは住宅が立ち並ぶエリアから少し離れた島外れの更地だった。しかしそれといって荒れ果てている訳でもなくちゃんと歩道は整備されており日常的に使われている動線だということが分かる。昨日雨が降り多少は乾いたとはいえ僅かに足元が悪い石製の歩道をゆっくりと歩いて行く。決してこれが時間稼ぎという訳ではない。やはり常世田は慣れているのか足元には気にも留めずどんどん先を進んでいく。
「どうします?このまま雑木林なんかに連れて行かれて二人まとめてお陀仏になったら」
「……お前、縁起でもないこと言うなよ」
そう言ったものの完全に否定出来ないのが嫌なところだ。もし仮に二人殺害して雑木林のようなところに遺棄したとしよう。数十分後にやって来た警察に対してしらを切ればもしかすると乗り切れるかもしれない。「畑を見に行く約束を立てていたのですが中々姿が見えず心配していたんですよ。部屋にもいらっしゃらなくて一体どこへ行かれてしまったのか……まるで神隠しのようですね」なんて言ったらワンチャンありそうな気もする。
「……いや、無いか」
「どうしたんですか?」
「なんでもない」
あの主任を誤魔化すことは出来ないか、と思ったのは内緒だ。そもそも神隠しというものが警察に通用するかどうかの話から始めなきゃいけない。恵と轟木相手ならワンチャン通るかもしれないが他の刑事には無理だろう。
「足元注意してくださいねー」
いつの間にか十メートル以上離れたところに居る常世田から声を掛けられ轟木は了解という意味も込めて片手で合図を送る。頭上の空を見上げると昨日の嵐が嘘のように晴れ渡っている。一面の緑に頭上に広がる青い空、この島の事情を知らなければ『とてもいい田舎』と言い切っても許されそうな程にきれいな景色だ。ここに小鳥のさえずりが聞こえてくればそれはもう百点満点だ、優雅な昼寝が出来る。そう、小鳥のさえずりがあれば。
「あ?」
「どうしたんですか先輩」
少し前を歩いていた恵が突然足を止めた轟木に気づき振り返る。数秒、二人の視線が交わったがすぐに前を向き再び歩き出した。変な行動をして怪しまれた方が面倒くさい。足元に気をつけ常世田に会話の内容が聞こえない程度の声量で二人は喋る。
「この島に来て動物を見たか?例えば犬とか猫とか……」
「動物……」
恵はこの島に来てからのことをゆっくりと思い返す。島に上陸して竹田や長谷川と出会った。一ノ瀬家にも行き村役場にも行った。どの場面にも動物がいたという記憶はない。
「確かに見てないですね……島で自給自足をしているのなら牛とか鶏などの家畜がいてもおかしくないです」
「この島に来た時から気になってたんだ、この島はちょっと静かすぎる。鶏の鳴き声も聞こえないしな。まぁこれは偏見も入ってるから特に気に留める必要はない。ちょっと気になっただけだ」
しばらくそのまま歩いていくと目の前に一つの洞窟のようなものが現れた。穴の大きさはざっくり縦横二メートル程度だろうか。身長が百七十六センチの轟木が屈まずにギリギリ通れたぐらいだからもしかすると二メートルもないかもしれない。
「気をつけて下さいね。この辺り壁が崩れかかっているところもあるんで」
「わ、分かりました」
外が昼間とはいえ太陽の光が洞窟の中に差し込むことはないのだろう、辺り一面が少し薄暗い。どこからか水滴が落ちる音も聞こえて体温が急激に下がったような感覚に陥る。しかも寒さは服の上からチクチクと刺すようなものではなく体の底から冷え渡っている。思わず恵はスーツの上から両腕を摩った。
「大丈夫か?」
「はい……急に寒くなったので」
「もうすぐ冬ですからね。ここの洞窟は一段を冷えます、早めに切り上げましょうね」
恵は気づいていてた、この寒さが気温の低下によるものだけではないことに。
洞窟の入口を過ぎてしばらくすると二つの別れ道があった。常世田は迷わず左の方へと足を進めた。
「こっちの道は?」
「あぁ、そっちは小さな池があります。山からの湧き水ではなく海と直接繋がっているタイプの池が。しかし先日壁の一部が崩落してしまって……危険なので今は立ち入り禁止です」
「なるほど、経年劣化っていうことですか」
「この洞窟も中々古いですからね。しかもあっちの道は何も手を付けられていないので……普段からも人の立ち入りはほとんどありません」
そのまま左の道を進んでいくとやがて開けた場所へと繋がった。一言で言うと別世界、その表現が一番しっくりくる。辺り一面に広がる大きな畑、この小さな島にこんな大きな畑が隠されていたとは。葉っぱの形からするにキャベツや白菜はもちろんじゃがいも、にんじん……他にもたくさんの種類の野菜が植えられてる。そして天井に開いた大きな穴からは眩しい太陽の光が降り注いでいる。『神秘的なもの』と言われている理由が分かる。その光景に恵は感動で言葉が出てこない。
「どうですか?」
常世田は意地悪が成功したかのような笑みで恵を見た。
「す、すごいです……何て言うか言葉が上手く出てこないんですけど、すごいです」
感極まったように呟き続ける恵に常世田は一瞬驚いたような表情を見せた後に意地悪な笑みを潜め心底嬉しそうな顔で奥の畑の方へと案内をした。感心したかのように付いて行く恵の後ろを轟木も同じく感心しているような表情で歩いていく。
「この上の構造は大丈夫なんですか?昨日のように大雨が降ったりしたらもちろん畑にも影響が出ますし溢れた水とかってどうなるんですか?」
「溢れた水はここから流れます」
常世田が指したのは畑を囲むように作られた小さな溝だった。例えるならそう、そうめん流しで使う竹のような太さの溝だ。
「普段この畑は山からの湧き水で育ててますからね、もし大雨が降ったら天井からの雨水と湧き水で水量がとんでもないことになります。この溝は海に繋がっていて多少の雨が降っても問題なく流れてくれます。まぁ台風とかが来たらもしかすると水が溝に入りきらなくて大惨事になることもありますし実際何度もこの畑も大雨でやられたました。そしてその度に島の皆と知恵を出し合って出来たのが今の形なんです」
なるほど、確かに天候によって畑の様子も左右されるのか。もちろん当たり前に知っていたがそれを対処するのも知恵ということだろう。
「なるほど。だからあんなに美味しい野菜を栽培することが出来るんですね」
恵は興味深そうにに頷く。
「野菜を美味しく作る条件っていうのもここで考えると山からの湧き水と上から差し込む日光なんですか?」
「まぁ確かに大体はそうですね。けど僕が思うにはもう一つあると思うんです。なんだと思いますか?」
常世田からの問いかけに素早く答えることが出来ず恵は首を傾げた。
「野菜を美味しく作るもう一つの条件は『気持ち』です」
「……気持ち」
「お二人とももうすでにご存じの通りこの島は言ってしまえば鎖国です。外の世界との交流を最低限に減らしているのでこの畑で栽培する食物が命綱なんです。その命綱が災害などで途切れてしまっては大変ですから人一倍農業に関しては注意深くやっているつもりです。自分たちが明日を生きるために精一杯頑張っているからその気持ちを野菜たちも受け止めてくれて美味しく育ってくれているんだと思います」
「なるほど……」
「奥深い物なんですね農業って」
頷きながらそう呟いた轟木に常世田は嬉しそうに頷いた。
「そういえばこの島には野菜を育てる畑はありますが肉類に関してはどうやっているんですかね。やはり週に二、三回の配達からですか?」
「メインはそうなりますね。こればかりは仕方のないことです。とは言えこの島は年々高齢の方が増えていらっしゃいます。お肉を食べるのも辛い方たちもいらしているのでこの島はほとんどお肉を食べません。今時の言葉で言うとベジタリアン、ですかね」
「牧場とかも無い?」
「無いですねぇ」
――ん?
轟木と常世田の会話を聞きながら洞窟内の観察をしていた恵はとある物を見つけた。洞窟の奥に何かある。単なる興味で恵は話を続けている二人の傍から離れ洞窟の奥の方へと進んでいった。何やら空間のようなものがある。
――ここは?
『これ以上はダメだ』『けど興味があるんだろう?』二つの声が恵の耳に入ってくる。今ここを確認するのは危険なのは目に見えている。しかし次ここにいつ来ることが出来るか分からない、これは一つのチャンスかもしれない。私は刑事、そう心の中で呟き恵は一歩踏み出した。
「あれ?丸中さん?」
恵は足を止めた。後ろを振り返ると轟木と常世田が不思議そうな顔でこちらを見ている。
「そっち行ったら危ないですよ!その道さっき言った右側の通路と繋がってるんで!」
なるほど、そういうことか。
「あっ、そうなんですね……!分かりましたすいません」
恵は少し離れたところから謝罪すると小走りで二人の元へと戻って行った。




