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道化とたんぽぽ

恵に振り回される轟木パイセン再び

 昨日と同じスーツを身に着け黄緑色のヘアゴムで髪を一つにまとめた恵は手に持っていた小さな鏡をカバンの中に直した。念のためカバンの中に簡易的なメイク道具を入れていて良かった。

 それから寝泊まりした部屋を出て昨日の記憶を頼りに台所へと顔を出す。

「おはようございます」

 この挨拶はもちろん轟木に向けてではない。台所に轟木と並んで料理をしている常世田に向けた挨拶である。声を掛けられた常世田は後ろを向き恵に笑顔を向けた。

「おはようございます。よく寝られましたか?」

「はい。久々にお布団で寝ましたが何だか懐かしい気持ちになりました」

 一人暮らしを始めてからというもの寝るのはもっぱら自室のシングルベッドだった。時折、捜査一課にある仮眠室を利用することもあるがそこの布団とは比べ物にならないくらいには快眠だった。

「コイツよだれを垂らしながら寝てたんですよ。何というか……マイペースというか、能天気というか」

「あ、パワハラ」

「はぁ?」

「……っていうか何で私がよだれを垂らしながら寝てたって知っているんですか。もしかして寝顔を覗きに来たんですか、悪趣味ですよ」

「夜中々寝付けなかったから散歩に誘おうとしただけだよ」

 心外だ、という感情がそのまま顔に張り付けられた表情をしている轟木に常世田は笑いながら揚げ物を油から引きあげた。とても良い匂いがする。その匂いに釣られて恵は常世田の手元を覗きこむ。そこには何かの葉を揚げたと思われる緑色の天ぷらがあった。

「わぁ、美味しそう。これは何ですか?」

「『しそ』です。丸中さんはしそ食べられますか?」

「大好物です!」

「それは良かった。では轟木さんの分も食べてあげて下さい、どうやら苦手のようなので」

「すいませんね。どうしてもしそとパクチーは苦手なんです」

「パクチーって何ですか?」

「んー、コリアンダーみたいものですな。好き嫌いが分かれやすい食べ物なんですよ」

「へぇ……」

 ――なんか仲良くなってない?

 恵はそう思った。何と言うか昨日に比べると二人ともかなりフラットに会話をしているように思える。昨日はもうちょっと肩に力が入っていたというか緊張感のあるやり取りをしていたような気がするが一体何があった。もしかして先ほど轟木が言っていた夜の浜辺での会話を経て少しだけ距離が近くなったということだろうか。重要参考人のはずなのに仲良くなっていいのか、いやだからこそなのか。それともこれもまた作戦の一つなのか。あと恐らくだが常世田はコリアンダーが何なのかも分かっていないと思う。正直恵はたった今パクチー=コリアンダーだということを知った。もしかすると少しだけ違う部分があるのかもしれないが。

「何か手伝うことはありませんか?手持ち無沙汰なのは嫌なので、何かさせて下さい」

「じゃあ……こちらをよそっていただけますか?」

「分かりました!」

 常世田が指したのはもう一つのコンロで熱されている鍋だった。何やらグツグツと煮立っている。中身は一体何なのか、恵は胸が少しだけ高鳴るのを感じながら手に取った黄色の布巾を持ち手に添えてゆっくりと蓋を開けた。鍋の中には真っ白なお(かゆ)が入っていた。


「あれ、本当なのか?」

「何がです?」

 恵はピンク色の布巾で手の水滴を拭きとりながら轟木の問いに答えた。

「さっき言っていた家庭菜園の話だ」

「あぁ、あれですか」

 轟木が言うのは先ほどの朝食の際に偶然話したエピソードのことだろう。

 朝食に出された天ぷらはとても美味しかった。昨夜のおにぎりの味が無かったことが不思議に思うくらいには美味しかった。それと同時に出されたお粥、どうやら明領島では決まって毎朝お粥を食べるらしい。これに関しては『郷に入っては郷に従え』という言葉があるように特に何も言及することなく受け入れた。何年もお粥を食べる機会が無かったので言ってしまえばとても新鮮な気持ちになった。そんなお粥を一口食べた時には味が全くしなくて思わず二人は顔を見合わせた、昨夜の再放送かと。しかしそんな味の無いお粥も付け合わせにあったぬか漬けと共に口に含んだらそれはそれは絶品料理に早変わりした。いくつか種類があったがその中でも特段に美味しかったのはきゅうりのぬか漬けだった。言ってしまえば定番とも呼ばれる野菜だったがやはり安定して美味しかった。そこで恵は常世田にこう言ったのだ。

「この野菜もこの島で育ててるんですよね?」

 その問いに常世田は言った。

「もちろんそうですよ」と。

 その瞬間、彼女の表情が変わった。まるで獲物を見つけたような表情だった。これには数年バディを組んできた轟木も内心ではしてやったり状態だった。彼は彼女が仕掛けた罠にまんまと引っかかったのである。

「実は私最近家庭菜園を始めたんです。と言っても自宅の狭いベランダでなんですけどね。ミニトマトとか今の時期だとサニーレタスとか栽培してるんですよぉ、けどなんか自分が思うように上手くいかないんですよね。やっぱり育て方なんでしょうか?」

「うーん。正直僕は畑でしか野菜を作ったことがないので狭い土地での栽培についてあまり助言が出来ないんですよね。勝手が一緒ならそれはまた話が別ですけど」

「……そういえば常世田さんも農業をやられてるんでしたっけ」

「えぇ、そういえば轟木さんとは昨夜そんなお話をしましたね」

「実際にその畑を見学させてもらうことって出来ますかね……?」

 様子を伺うようにそう聞いた恵に常世田は眉を顰めた。そして小さく首を振った。拒否の反応だ。

「すいません。実は明領島では畑というものは神秘的なものとして扱われています、この島の生命線のようなものですからね。なのでいくら刑事さんとは言えそう簡単に島の畑をお見せするわけにはいきません」

「えー、ダメですか?」

「はい、ダメです」

 きっぱりとした常世田の拒否に恵は眉を下げ『残念だ』という感情を全面的に出している。

「……知りたいな美味しく野菜を作る方法。将来のためにも」

「え?」

 その恵の呟きに常世田だけではなく隣に座っていた轟木も思わず反応してしまった。今将来って言った、バディが将来野菜を作ろうとしている。

「お前……農家になるのか?」

 轟木が恐る恐る聞くと恵はその首をゆっくりと縦に動かした。縦に頷くということはそういうことだ。轟木は絶句した。そんな彼の表情に常世田は憐れんだ目を向けた。

「丸中さん、轟木さんが凄くショックを受けていらっしゃいますよ」

「実は近々先輩にも相談するつもりだったんです。すいません、こんなタイミングで」

「え……え?」

 もはや轟木の思考回路はショート寸前だ。意味のある言葉を発することも出来ていない。そんなバディを尻目に恵はもう一度常世田に懇願してみた。

「野菜の作り方、知りたいんですけど……」

「は、はぁ……分かりました。この後少しだけ用事があるのでお待たせしてしまいますけどその後ならいいですよ」

 困惑しながらも常世田は恵の申し出に首を縦に動かしたのだ。


「あれは常世田さんに畑を見せてもらうための嘘です」

 先程のやり取りを思い出しながら恵はきっぱりと言った。

「……だよな」

「どうしても隠し事をされると気になっちゃうんですよね。先輩もそうでしょうけど。だから相手に同情されるようなことを言ってみたんです。効果は抜群、案外簡単に引き下がってくれたのでとてもラッキーです」

 あっけらかんとする恵に轟木は拍子抜けした。それと同時にどこか安心した。轟木自身も発言は嘘だろうなとなんとなく察していたが息をするように嘘をつく彼女に少し動揺し騙されかけた。

「……俺は今お前が味方でいてくれてほっとしているよ」

「どういうことです?」

「敵に回したくないってことだ」

 何年か前に同班の厚田が他のメンバーに対してはにわのストラップをプレゼントするという出来事があった。その際厚田が各々に渡したのは種類の違うはにわ達だった。

 主任の巻には『はにわ(ヤギの角と耳付き)』、本人曰く「主任ってヤギに似てると思いませんか?」らしい。ギリ悪口だと思う。

 厚田のバディである梶原には『はにわ(カラフルなアフロ、片手にマイク有)』だった。これに関しての異論はない。お気楽な奴だから似合っている。当の本人も気に入っていたので後日お揃いの被り物とおもちゃのマイクをプレゼントした。

 そんな轟木にプレゼントされたのは『はにわ(たんぽぽ)』だった。他の二人に比べてシンプルなことに少し拍子抜けをしたのでそのままプレゼントした本人に問いただした、なぜ俺はたんぽぽなのかと。すると厚田は悪意が一切無い純粋な顔で「だってそのまんまじゃないですか。ロキさんってたんぽぽの擬人化みたいなものですよ、自覚して下さい」と言ってきた。意味が分からない轟木に対して隣にいたバディは「可愛いからいいじゃないですか」とこれまた純粋無垢な笑顔で声を掛けてきた。確かにたんぽぽは可愛いが四十過ぎのおっさんが可愛いと言う事実はないし言われて浮かれてしまうような男でもない。

 そして恵はと言うとピエロの仮装をしているはにわのキーホルダーを貰っていた。本人は「何でピエロ?」と少し首を傾げていたが理由はあまり気にしないのかすぐに上機嫌になった。そんな彼女に対してピエロである理由を尋ねないのかと声を掛けることも出来ず、しかしどうしても理由が気になった轟木は厚田にさりげなく聞いてみたのだ。すると厚田は「だってあの人道化でしょ?」と真顔で返された。……確かにそれはそう、当時バディを組んで数か月だった轟木も納得の理由だった。

 遠い過去を思い出すようにボーっとしてしまった轟木に恵は何か勘違いをしたのか心配そうに眉を下げ轟木の顔を覗き込みながら声を掛けた。

「先輩?何を勘違いしているのか分かりませんけど私は刑事を辞めませんし先輩と敵対するつもりもないですからね」

「あぁ……別にそこを心配している訳ではない」

「え、じゃあなんでそんな深刻な顔をしているんですか。もしかして体調が悪いとか?それは大変です!捜査は私一人でなんとか頑張るんで先輩は布団で寝てて下さい!」

「勝手に病人扱いするな。それに元々こんな顔だから安心しろ」

 このままだと布団に強制連行されてしまうと思った轟木は何とかして恵の腕から抜け出すとそのまま片手でスッと天井を指した。

「くだらないこと言ってないでさっさと捜査するぞ。常世田が言ってた用事ってのは明光のところに行くことだろう。どうせこの家には俺たちが居るから外から行くだろう。だからバレないように隠し扉から入って盗聴しよう」

「リスキーですよ、それ」

「刑事がリスクを恐れてどうする」

「それは……そうですけど」

 無駄なリスクを背負いたくない、それが恵の考えだ。

「暴走特急な先輩とは違うんですよ」

「随分な言い様だな」

 恵の容赦ない物言いに眉を顰める轟木だったが今このような内容の無い会話をしている場合ではない。

「ところで常世田はまだ二階に上がってないよな?」

「はい。外から物音が聞こえた様子もないです。足音を消した状態で二階に上がったとしたなら気づけませんけど人の気配もないので恐らく大丈夫です」

 窓の外を見ながらはっきりと言った恵に轟木はしっかりと頷きそのまま彼女の肩に手を軽く乗せると笑顔で言った。

「よし、じゃあ行ってくる」

「え、もう行くんですか?」

「あぁ、奴が来る前に隠れとかないと扉を開ける音が気づかれるかもしれんからな。じゃあ後は頼んだ」

 それはそれは素敵な笑顔で扉の奥へと消えて行った轟木に恵は数年前の厚田が言った言葉が脳をよぎった。


『ロキさんってたんぽぽの擬人化みたいなものですよ、自覚して下さい』

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