3. 「サ行」が苦手
下草が少ない木の根元に腰を下ろし、水筒の水を皿に入れてやる。
仔犬はよほど喉が渇いていたのか、すごい勢いで飲み始めた。
ちなみにきちんと「いただきまちゅ」と言ってから。
「おれはクリスだ。お前の名は?」
クリスは深入りしないように、敢えて訊いていなかった。
だが、もうすでに深入りしてしまったようだ。このままついてくるなら、名を呼べないのはなにかと不便だ。
「タミアンでちゅ」
「タミアンか」
「違いまちゅ、タミアンでちゅ」
どう聞いても「タミアン」にしか聞こえない。
だが、クリスには最初から気になっていたことがあった。コイツは「サ行」を上手く発音できないらしい。そのせいで、正直何を言っているのかわかりづらいのだ。
「えっと……『サミアン』?」
「とうでちゅ。『タミアン』ちゅ」
なぜかドヤ顔。
自分ではちゃんと言えているつもりなのだろうか?
「で、なんでおれの後をついてくるんだ?」
「後なんかつけてまてん。タミアンも、一人旅に出たんでちゅ」
さっき、必死にクリスを探していたのがバレたばかりだというのに、サミアンは、自信満々に言いきった。
(コイツめんどくさいなぁ~)
「ま、まあ、とりあえず次の町まで、一緒にいくか?」
クリスがそう言うと、サミアンは明らかにガックリした表情になった。そして、小さな声で「こじいんはいやでちゅ」と言った。
どうやらクリスと一緒に旅をしたら、孤児院に連れていかれると思っているようだ。
「おまえが嫌なら、孤児院へは行かないよ。おれについてくるか?」
「いいんでちゅか? クリチュたまは『一人がちゅき』って言ってまちた」
クリスは、フッと微笑んで、サミアンを見つめた。
(ああ、そうか、もしかしてコイツなりに気を遣っているのか?)
「たまには二人旅もいいかもしれないな」
クリスの言葉に一瞬驚いた顔をしたサミアンは、思い直したようにハッとすると、顔をプイと横に向けて口を開いた。
「ちかたありまてんね。タミアンがいっちょにたびをちてあげまちゅ」
(誰が気を遣ってるって?)
数秒前にほだされた自分を呪いたい。こちらが心を開くと、なぜか上から目線なことを言う。
だが、サミアンを見ると尻尾だけが猛烈に揺れていた。
そういえばサミアンは、自分を大きく見せたいお年頃だった。
自分を「狼」だと言い張っていたし、彼の中では「狼の誇り」とか、なにかしらのルールがあるのだろう。
理解はできないが、基本、素直な性格であることは間違いない。
そう思うと、揺れ続ける尻尾がおかしくてたまらなくなった。
「プッ、アハハ。じゃあ、これからよろしくな! サミアン!」
突然笑い出したクリスに、サミアンは不思議そうに顔をかしげた。
「よし、そうと決まれば先を急ぐか!」
クリスは服についた埃を払うと、サミアンを抱き上げる。
「クリチュたま? タミアンは荷物ではありまてんよ」
「おまえ、昨日まで瀕死の重傷だったんだぞ。さっきも転んでいたじゃないか」
「ころんでないでちゅ! 転がったほうが速くちゅちゅめるとおもっただけでちゅ!!」
腕の中のサミアンは、どうにか脱出しようと暴れる。
「いいから大人しくしてくれ。もうちょっと休ませてあげたいが、おれの都合で先に進むんだ」
そういうと、サミアンは少し考えておとなしくなった。
「わかりまちた」
(ああ、やっぱりコイツは、おれを気遣っているのか)
よほど長い間、誰かに甘えることのできない状態が続いていたのだろう。
クリスはサミアンを不憫に思った。
最初は緊張して体を硬くしていたサミアンだが、徐々に柔らかくなり、終いには寝息をたて始めた。
フワフワになった毛でまん丸になったが、中身は痩せ細った体だ。少し歩きづらいが、クリスの負担になるほどではなかった。
母を失い、ボロボロの姿で子供達にも苛められ、心安らぐ時間などなかったのかもしれない。
汚れの具合から、それが短い期間ではなかったと思われる。
クリスは、腕の中でスヤスヤと眠るサミアンを優しく撫でながら、目を覚ますまで歩き続けた。




