第一回覇者の闘技大会
転送の光が収束し、次に目を開けた時ジークは、これまでの薄暗い迷宮とは無縁の、荘厳な空間に立っている。
鏡のように磨き抜かれた白大理石の床。遥か頭上の天窓から降り注ぐ清謐な光。壁面には巨大な対戦組み合わせ表が黄金の紋様となって浮かび上がり、中央の噴水が静かな水音を立てていた。
深淵を生き抜いた1300名だけが転送される、闘技大会専用ロビーだ。
ジークは一歩踏み出し、周囲を見渡す。
広い、とにかく広い。だがそれでも、1300という数は多く狭かった。そこにあるのは静寂とは無縁の、耳を突き破らんばかりの怒号と熱狂だ。
「おい、そこをどけ! 俺の獲物が通る道だ!」
「塔を抜けた程度で調子に乗るなよ、雑魚が!ここで引導を渡してやる!」
あちこちで罵声が飛び交い、誰かが景気づけに床を叩き、武器の重なり合う金属音が絶え間なく鳴り響く。壁に背を預けて嘲笑を浮かべる者、組み合わせ表を指さして大声で賭けに興じる者。
腰を下ろして英気を養う者のすぐ隣では、別の誰かが派手に高笑いしながら自慢の戦利品をこれ見よがしに掲げている。
どこを向いても人がいて、吐き出す息は他人の熱気と混ざり合い、ロビー内の温度を異常なほどに押し上げていた。
五日間の密度を全身に宿した者たちが、この一室に詰め込まれている。視線が交差する。互いが互いの死神になり得るか、本能で計り合っている。
ジークが組み合わせ表へ歩み寄ろうとした時、背後から声がした。
「来たか」
振り返ると、くすんだ革鎧の男――ロウが立っていた。やはり残っていた。
「お前もな」
ロウは視線を組み合わせ表へ移し、己の名前と出場ブロックを確認すると、それ以上は何も言わなかった。必要なことは一切口にしない男だ。ジークも何も足さず、自分のブロックと初戦の相手を脳裏に刻み込んだ。
ラグ、クロウ、ロウ、この五日間で刃を交えた者たちの名前がしっかりある。そしてリストの上部には、ガロウの名前も刻まれていた。
組み合わせ表は巨大だった。縦に長く、細かく、1300の名前が隙間なく敷き詰められている。ぱっと見ただけでは自分の位置すら分からないほどの密度だ。これだけの人数が同時にトーナメントを戦うとなれば、最初から中央の闘技場一か所で試合を捌けるはずがない。
そしてルールの表記が目に入った。
【第一ラウンド:各分散闘技場にて同時進行】
なるほど。最初は散らばって戦う形式らしい、中央の大舞台はある程度人数が絞られてからだということだ。
ロビーの空気が、じわじわと臨界点へ向かって張り詰めていく。武器の手入れをしていた指が止まり、伏せられていた瞼が開かれる。千三百の獣たちが、静かに牙を研ぎ澄ませていく。
『出場者の皆様へ。各闘技場への転送まで、残り3分です』
無機質なシステムアナウンスが響き渡った。
ジークは大剣の柄にそっと手を添え、五日間の光景を反芻しようとしてやめた。今さら振り返る必要はない。積み上げてきたものは全部、自分の中にある。
『1分前です』
ロビーが完全な真空状態に陥ったかのような錯覚。誰かが深く息を吐き、誰かが微かに嗤った。視界の端で、カウントダウンが時を刻む。
10……9……8……
ジークは静かに目を閉じた。
5……4……3……2……1――
視界が、純白に反転した。
◇ ◇ ◇
光が弾けた瞬間、世界が爆発した。
「ウワァァァァァァァァァ!!!」
鼓膜を物理的に叩き割るような、狂熱の暴風。
何万、何十万というプレイヤーの絶叫が一つに溶け合い、見えない圧力の壁となってジークの全身を前後左右から乱打する。足元に敷き詰められた分厚い石畳すら、観衆の爆発的な熱量に共鳴して小刻みに揺れていた。
転送された先は、すり鉢状の円形闘技場の中央だった。だがここは、アナウンスで聞いていた中央の大舞台ではない。第一ラウンド用の分散闘技場の一つだ。それでも十分すぎるほど巨大で、何万人という観衆が競り上がった観客席を埋め尽くしている。
闘技場の四方には超巨大な水晶スクリーンが浮遊し、骸骨王の意匠を頭に乗せ、禍々しいオーラを漂わせる大剣使い――ジークの姿をあらゆる角度から映し出していた。
エターナルクロニクルの覇者を決める祭典。今この瞬間、同じ状況が複数の闘技場で並行して起きている。数え切れないほどの視線が、それぞれの戦場に集束していた。
『お待たせいたしましたァァァーーッ!!』
実況の絶叫が、闘技場の空気をさらに震わせる。
『五日間に及ぶ深淵の塔を生き抜いた、一騎当千の猛者1300名! 今ここに集結いたしました!』
歓声がさらに一段階、限界を突破して跳ね上がる。
『形式はシングルエリミネーション! 1対1、敗者は即退場! 第一ラウンドは各分散闘技場にて同時進行! そして皆様、刮目せよ! 本日より、五日間封印されていた固有能力――《魂源》が、全面解禁されますーーッ!!!』
その宣告が引き金だった。
千三百人の肉体から、一斉に光の柱が天を貫いた。
紅蓮の炎が渦を巻き、絶対零度の吹雪が舞う。空間そのものを歪曲させる漆黒の影、空を裂く紫電、生命を枯死させる暗光。分散した複数の闘技場それぞれで、数百人分の魂源が同時に解放される。千三百人いれば、千三百通りの色と理がある。抑圧されていた力が一気に解放され、それぞれの戦場がさながら神話の戦場のような極彩色の混沌に呑み込まれていった。
ジークがいる闘技場だけでも、数十の魂源が一斉に解き放たれている。スタンドが崩壊せんばかりの狂乱が弾ける中、ジークの肉体もまた、内側から激しく警鐘を鳴らしていた。
熱でも、痛みでもない。五日間、厳重な檻の中に閉じ込めていた力が、鎖を引きちぎって溢れ出してくる感覚だ。
――ゴアァァァァァッ!
塞ぎたくなるような異形の咆哮が響き渡った。ジークが纏う『鎧』そのものが鳴いたのだ。
ただの無骨で重い鉄の塊として沈黙していた黒い板金鎧。その表面を、どす黒い真紅の脈動が一気に駆け巡る。装甲の継ぎ目から漏れ出す光が、生々しい血の如き深紅に染まり上がり、表面に刻まれていた龍の鱗の紋様が、まるで冒涜的な生命を得たかのように、メキメキと音を立てて隆起し始めた。
背に纏うマントは、邪悪な意思を持つ龍の皮膜そのものへと変貌を遂げ、その縁から周囲の光を喰らうような漆黒の炎が立ち上る。兜の深いスリットの奥底で、双眸が飢えた獣のような赤い凶光を宿した。
そこへ、深淵で限界の果てまで練り上げられた『死霊』の魔力のすべてが、怒涛のごとく雪崩れ込んだ。
命を直接蝕む、腐食の緑光。そして暴虐を極める龍の赤黒い脈動。相反し反発し合うはずの二つの極大の力は、ジークの器の中で激しく衝突し、互いを貪り喰らい合い――やがて、ひとつの禍々しくも完全な融合を果たす。
腐食の緑はドロドロとした龍の血の色に染め上げられ、龍の荒々しい覇気は死者の底なしの怨嗟のごとき絶対零度の冷気を纏い始める。もはやそれはネクロマンサーと呼ぶべきか龍騎士と呼ぶべきか分からない、冒涜的なまでの威容だった。
右手の指先から立ち上る魔力の靄は、もはや緑ではない。深淵よりも深く昏い、見る者の精神を削り取るような赤黒い絶望の色だ。
「おい、見ろ! あの黒い鎧……!」
「なんだあの色は!? さっきまでの映像と全然違うぞ!」
観客たちが、スクリーンに映し出された異形の戦士にどよめく。
だが変貌を遂げたのはジークだけではない。周囲の出場者たちもまた、完全に別の次元の生き物へと成り果てていた。大気を焼き焦がす者、空間を歪曲させる者、重力そのものを曲げるような異常な圧を放つ者。一つの闘技場の中だけでも、これほどの規格外がひしめき合っている。千三百人全員が解放されたとなれば、今この瞬間、世界のどこかで想像も及ばないような化け物たちが暴れ回っているはずだ。
誰が最強か。誰が最凶か。
深淵の底でそれぞれが何を拾い、何を削り、何を視てきたのか。そんなものは命を懸けてぶつかり合わなければ分からない。
『第一ラウンド、各闘技場の第一試合選手は所定の位置へ!!』
実況の声が、頂上決戦の始まりを告げる。
『覇者の闘技大会――今ここに、開幕ゥゥゥーーッ!!!』
地鳴りのような歓声がスタジアムを揺るがす。ジークは正面を見据えたまま、深淵の絶望と龍の威容を宿した大剣の柄を静かに、そして力強く握り直した。
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