48.田中 有紀9
イヤホンのようなもので運転しながら携帯で話す男は、私の存在を相手に伝えている。
勇気君のお父さんなのだろう。
男の運転する車が、閑静な住宅街にある一軒家の駐車場に滑り込んだ。
くたびれたセダンのエンジンが切れ、車内に急な静寂が落ちる。
「ここだ、行こうか」
探偵の長介と名乗った男が、先にドアを開けて外に出た。
私は助手席に座ったまま、窓越しの景色をじっと見つめていた。
見知らぬ大人の家に上がることに、強い不安が拭いきれない。
それでも、門柱に掲げられた『保科』という表札の文字が目に入った瞬間、今さらながら小さな覚悟が決まった。
乾いたアスファルトを踏みしめ、男の背中についていく。
長介がインターホンのボタンを押すと、家の中から低い電子音が鳴った。
すぐに重い玄関のドアが開き、中から一人の男性が顔を出す。
穏やかな目元が、どことなく勇気君に似ていると感じた。
「田中有紀さんだね。勇気の父の康介です」
男性は私を見て、柔らかく微笑んだ。
「勇気から聞いているよ」
「勇気君とは、ずっと連絡がとれなくて……」
私は小さく頭を下げた。
「すみません、突然お邪魔してしまって」
「いや、いいんだよ」
保科さんの父親である康介さんは、静かに首を横に振った。
「勇気も、君を巻き込みたくないという気持ちが強いみたいなんだよ」
「悪く思わないでほしいな」
私は、その言葉に小さく頷いた。
冷房の効いたリビングに通され、冷たい麦茶が出される。
「さて、何か進展があったのかな」
康介さんがソファに深く腰を下ろし、対面に座る長介へ視線を向けた。
長介は校舎裏で起きた凄惨な出来事を、淡々と報告し始めた。
探し当てた標的の二人が、炎に包まれて焼死したこと。
そして、現場から拾い上げてきた真っ黒に煤けた携帯の話をして、テーブルの上にその端末を無造作に差し出した。
「なるほど、痛ましいことだね」
康介さんは、焦げた臭いを放つ黒い塊を見つめた。
「そして……これは昔あった橋田という少年の事件と同じように、二人が焼死したということか」
康介さんは慎重な手つきで、その携帯を手に取った。
画面をタップし、何度か指を滑らせる。
「この状態でも動いているね。あれ、おかしいね、ロックもかかっていない」
画面の青白い光が、康介さんの眼鏡のレンズに反射している。
「写真は……ん、これは誰の写真だろう」
私も身を乗り出し、その画面を覗き込んだ。
これまでの呪いの写真とは違う、一人の男の無表情な姿があった。
そこから画面をスライドしていくと、いじめの数々が記録として生々しく映し出されていった。
そして最後の写真。
炎に包まれて燃え上がる二人。
すべてが無表情な男の写真といじめられる相手の写真だった。
それとともに、この携帯の持ち主だろう制服姿の女性と、彼女にいじめられている怯えた男の写真も残されていた。
「有紀さん、この写真の男に見覚えは?」
康介さんが、あの無表情な男の顔を私へ向けた。
私は首を横に振った。
見覚えなんて、全くない。
しかし、画面の中の男はただ無表情なだけなのに、見つめているだけで心臓が鷲掴みにされるような恐ろしさを感じた。
背筋を、じっとりと冷たい汗が這い下りる。
「多分、これが橋田という少年なのかもしれないね」
康介さんは、静かに画面をオフにした。
「この写真の構図は、勇気に聞いたものに酷似している」
「よくわかんねえな」
長介が、タバコを取り出そうとして途中で手を止めた。
「本当に呪いなんて信じてるのか?」
「ちょっとそこは説明が難しいんだよ」
康介さんは、グラスの水滴を指で拭いながら苦笑した。
「信じてはいない、でも可能性があるなら潰しておきたい」
少し俯いた康介さんの眼鏡が、わずかに部屋の明かりをキラリと反射した。
「勇気の命に関わるのならね」
「まあ、俺は報酬さえ貰えればいいんだけどな」
「そういうところは、好ましいよ」
大人たちのやり取りを聞きながら、私はずっと抱えていた疑問を口にした。
「あの……勇気君は、何でそんなに呪いを解決しようと頑張るんでしょうか」
自分とは関係のない呪いに、命を懸けてまで立ち向かう理由がわからなかった。
「そうだね」
康介さんは少しだけ遠くを見るような目をした。
「あれは、妻の教育の賜物とでも言うべきか。強く、世の中の理不尽には潰されない人間になって欲しかったようでね」
「余裕や思いやりや強さを、妻なりに愛とともに注ぐと、あのように育ったんだよ」
康介さんは、私を優しく見つめた。
「個性的で魅力的だろう?」
康介さんの口元は柔らかく微笑みを浮かべた。
「自慢の息子だよ」
その温かい言葉に、私は張り詰めていた心が少しだけ解けるのを感じて、笑みを浮かべて頷いた。
康介さんは再び、テーブルの上の携帯に視線を落とした。
「この携帯には、指名の音が存在していないようだ。何かしら、違うルールなのかな」
その言葉の意味を理解し、私の呼吸が浅くなる。
「指名できないってことは、絶対に死ぬってことですよね」
「そうなるね」
康介さんは顎に手を当てた。
「いじめ、指名のルールに照らし合わせると、いじめをしている人間には特殊なルールが適用されているのかもしれないね」
「特殊なルールですか?」
「うん、いじめるのは自分だけでいい、ということかな。推測に過ぎないがね」
「橋田のいじめが呪いの本体ってことか」
長介の低い声が、リビングの空気を重くした。
「そう考えるのが一番自然だろう」
「呪いなんてものがあるとするならね」
「それをお前が言うのかよ」
長介が呆れたようにため息をついた。
その時、玄関の方から重いドアが開く音が響いた。
「ただいま」
聞き慣れた、少し低い声。
私の心臓が、大きく跳ねた。
「連絡しておいたんだ」
康介さんが、楽しそうに目を細める。
「勇気が来たようだ」




