47.田中 有紀8
焦げた肉と髪の毛の臭いが、まだ鼻の奥にへばりついている気がした。
グラウンドの方からは、絶え間なく緊急車両のサイレンが鳴り響いている。
おそらく学校はそのまま休校となり、ホームルームすら行われずに生徒たちは帰されるだろう。
しかし、私は教師の指示を聞く前に、すでに校門を抜け出していた。
あの狂気の現場から、素知らぬ顔で携帯を拾い上げた男。
少し前を歩くそのくたびれた背中を、私は一定の距離を保ちながら尾行していた。
男は近くのコインパーキングに足を踏み入れた。
色褪せたセダンの前で立ち止まり、ポケットからキーを取り出して鍵を開ける。
ガチャ、と乾いた電子音が響いた直後だった。
男が、ゆっくりとこちらを振り返った。
「何か用かい」
少し柔らかく、間の抜けたような声だった。
ヨレヨレのシャツを着た、どこにでもいそうな中年男性。
だが、その目の奥だけは、獲物を値踏みするような鋭い光を放っていた。
「携帯を、拾いましたよね」
私は逃げ出したい衝動をこらえ、その目を見据えたまま口を開いた。
「見てたか、目ざといね」
男は悪びれる様子もなく、薄く笑う。
「どうするつもりですか?」
「いや、警察に届けようかとね」
男は車のルーフに肘をつき、肩をすくめた。
「拾い物だからね」
「わざわざあそこから持ち出して、そんなことありえないです」
心臓が、肋骨を内側から激しく叩いている。
「それに……呪われるかもしれない」
「ほう、呪いを知っているのか」
男の目が、さらに細められた。
「ちょっと話を聞かせてくれないかな」
足元から、じわじわと嫌な汗が湧き出してくる。
怪しすぎる。
こんな得体の知れない男に、これ以上話をする気にはなれなかった。
そもそも、つい口から出てしまったが、あの男女が燃えた原因が呪いによるものだという確証はない。
ただ、あの異常な光景が、かつての凄惨な事件に酷似していたからだ。
「いえ、何でもないです」
私は短い言葉を投げ捨て、踵を返して来た道を引き返そうとした。
ザッ、とアスファルトを強く擦る音がした。
男が、信じられないほどの素早さで私の背後に距離を詰めていた。
私は思わず息を呑み、身構えて後ずさる。
「呪いを調査してるんだ」
男は両手を軽く上げ、敵意がないことを示すように低い声を出した。
「これは秘密にしてくれよ」
「そしてこの携帯も、ヒントになりそうだったんでね」
男の言葉に、私の足がピタリと止まった。
「何で、その携帯を探してたんですか」
「あー、呪われてるらしい、あの焼けちゃった二人を調べてたんだよ」
男は頭を掻きながら、面倒くさそうに息を吐いた。
「呪いのリストに載ってるとかでね」
リスト。
その単語を聞いて、頭の中の靄が一気に晴れた。
「え、まさか……保科勇気君に頼まれましたか?」
私の口から飛び出した名前に、男は少しだけ驚いたように目を見開いた。
「……あれ、これはどうしたらいいのかね」
男はしばらく空を見上げてボソボソと呟き、やがて私の方へ顔を戻した。
「よし、ちょっと一緒にいかないかい?」
「保科勇気君のところですか?」
「まあ、そこも行けるけど」
男は車の助手席のドアを指差した。
「依頼主は、その父親だよ」
「これも内緒ね」
全く知らない、怪しい男の車。
普段なら絶対に乗り込むことなどない。
だが、勇気君の着信拒否を越えて、玲奈さんの情報を伝えるためには、今はこれしか方法がないような気がした。
私は短く深呼吸をし、じっとりと汗ばんだ手で、助手席のドアハンドルを強く握りしめた。




