46.田中 有紀7
教室の窓から見える空は、ひどく青く澄んでいた。
玲奈さんは、両親と一緒にこの街を離れた。
彼女の父親の話によると、この街からある程度離れたらスマホから呪いの写真がふっと消え去ったらしい。
街へ戻ると、父親の携帯には再び写真が戻っていた。
玲奈さんの携帯も、本人が触れた瞬間に写真が復活したという。
呪いの原理なんて、誰にもわからない。
それでも、彼女の家族はしばらくこの街から離れてやり過ごすことを選んだ。
今、玲奈さんは二つ隣の〇〇県にある、父親の弟の家に身を寄せている。
時折やり取りするメッセージによれば、写真は消えたままだという。
この呪いには、距離という抜け道があるのかもしれない。
私はこの重要な情報を、どうしても勇気くんに伝えたかった。
しかし、相変わらず彼とは連絡が取れない。
着信音は鳴らず、すぐに自動音声へ切り替わってしまう。
まだ、私の番号を着信拒否しているのだ。
玲奈さんから伝えてもらえないかと頼んでみたが、それは断られてしまった。
まだ不確定な情報を安易に流すべきではないと、彼女の父親から固く止められているらしい。
本当は、娘をこれ以上呪いの中心に関わらせたくないだけなのだろう。
焦りだけが、強く渦巻いている。
昼休みのチャイムが鳴り、生徒たちが教室に散っていく。
もちろん、校内での携帯電話の使用は校則で禁止されている。
それでも、放課後まで待っている気になれなかった。
それに、繋がらないか通話を一度試すだけだ。
歩きながら考える。
また奏さんに頼むべきだろうか。
あまりこの件で連絡するのは気が進まなかった。
私は足早に教室を抜け出し、校舎裏の人けのない一角へと向かった。
立ち並ぶ木々と、日陰の湿った土の匂いが漂ってくる。
スマホを取り出そうとした時、奥の方から微かに話し声が聞こえた。
大きな桜の幹が邪魔になって、姿は直接見えない。
私は息を殺し、そっと木の陰から覗き込んだ。
男子生徒に、女子生徒が背中からべったりと抱きついている。
嘘でしょ。
ここは、学校の中だ。
女子生徒の背中越しに、その両手が男子の体を撫で回すように、執拗に動いているのが見えた。
見てはいけない。
そう分かっているのに、なぜか目が離せなかった。
しばらくすると、女子生徒が男子の両手を後ろへ回した。
手際よく、何かで手首を縛り上げている。
男子を強引に地面へ座らせると、彼女はその膝の上に跨り、顔を押し付けてキスを始めた。
うわ、これヤバい人たちだ。
これ以上は見ていられない。
私は足音を忍ばせてその場を立ち去ることにした。
気づかれないように十歩ほど進み、少し肩の力が抜けた。
「何すんだっ!」
怒りを含んだ男子の大声が、背後から突き刺さった。
私はビクリと肩を跳ねさせ、振り返るのを躊躇した。
気になる。
けれど、変なものを見たくない。
足を止めていると、今度は空気を裂くような叫び声が鼓膜を打った。
「ギャァァァ!」
同時に、ボウッと空気が膨張するような重い音が鳴った。
背後の空間が、一瞬にしてオレンジ色に染まる。
そして、その炎の爆ぜる音に重なるように、甲高い女の笑い声が響き渡った。
私は震える足に鞭を打ち、少しだけ桜の木に近づいて遠目からその光景を確認した。
燃え上がる男。
そのすぐ近くで男を見下ろし、狂ったように笑い続ける女。
次の瞬間、見ている前で何かに引火したように、炎が一気に大きく燃え広がった。
赤い舌が、女の制服を飲み込んでいく。
燃え上がる二人の男女。
肌の焦げる異臭が、伝わってきたような気がした。
断末魔のような男の叫び声と、どこまでも楽しげな女の笑い声が、黒い煙と一緒に空へ立ち昇っていた。
私は悲鳴を飲み込み、狂ったように職員室へと駆け出した。
遠くから近づいてくる消防車のサイレンが、学校中を包み込んでいた。
校舎裏には、パニックに陥った多くの生徒や教師たちがやじ馬となって集まっている。
真っ黒に焦げた死体を取り囲み、誰もが顔を引きつらせていた。
その時、門の方向からひときわ大きなサイレンの音が鳴り響いた。
皆の視線が、一斉にそちらの緊急車両へと逸れる。
ほんの一瞬の出来事だった。
群衆の影から、一人の男がスッと進み出た。
男は誰にも気づかれることなく、焦げた残骸の傍らに落ちていた携帯電話を拾い上げた。
そして、素知らぬ顔のまま、再び生徒たちの波に紛れて静かに立ち去っていった。




