45.小林 真希3
家でベッドに横になりながら、私はスマホの画面をじっと見つめていた。
暗い部屋の中で、液晶の青白い光だけが顔を照らしている。
どうしても、あの写真から目が離せなかった。
一人の男を土下座させている写真。
裸にされているわけでもなく、制服は着たまま。
暴力の痕跡も、血の一滴も写っていない。
ただ、土下座しているだけだよね。
でも、土下座させられている顔のぼんやりした男は、泣いているように見えた。
そして、それを見下ろす無表情な男の口元。
奇妙に吊り上がった、いびつで冷たい笑み。
何がそんなに面白いんだろう。
なぜか、ずっと胸の奥がざわついていた。
翌朝、窓から差し込む刺すような日差しで目が覚めた。
いつの間にか、スマホを握りしめたまま眠っていたらしい。
汗ばんだシーツから体を起こした瞬間に理解した。
あれこそが、最高だったんだ。
理由はわからない。
でも、絶対に折れない男の心を完全にへし折り、屈服させた。
その瞬間を切り取った一枚なのだと、直感的に理解できた。
教室に入ると、自分の席に足を投げ出して座る健太の姿があった。
私は鞄を置くのもそこそこに、健太の前に立った。
「どう? すごいでしょ」
昨日撮った山下の惨めな姿と、新しく増えた土下座の写真を見せつける。
「あ、なんだこれ。バカじゃねえの」
健太は画面を一瞥しただけで、面倒くさそうに顔を背けた。
「は? 何言ってんのよ、面白いでしょ」
「おい、真希」
健太の底冷えするような低い声が、教室の喧騒を切り裂いた。
「お前なんか調子に乗ってねえか。ボコるぞ」
ギロリと睨みつけられた目が、本気の殺意を帯びている。
「な、なによ、ムカつく」
「もういい、お前とはつるまねえ」
健太は吐き捨てるように言い、乱暴に椅子から立ち上がった。
これ以上怒らせるのはまずい。
「もー、そんなに怒んないでよ。健太が優しいから甘えすぎちゃったの。もうしないから」
私は咄嗟に甘えた声を作り、健太の機嫌を取るようにすり寄った。
「そういえば健太、写真増えてないの?」
話題を逸らす。
まだ完全じゃないが、多少は機嫌が良くなったのがわかる。
「写真? あー、あの変なのか」
健太はポケットから自分のスマホを取り出し、画面をタップした。
「俺のはなんか変わったぞ」
突き出された画面を見て、私は言葉に詰まった。
そこには、のっぺらぼうのような顔の男の写真が写っていた。
なんか、ダサい。
私は引きつった笑顔を浮かべ、なんとか言葉を飲み込んだ。
そんな奇妙な写真を持っている健太自身も、急にひどくちっぽけでダサい存在に見えてきた。
昼前になると、健太は急に教室を出ていった。
臨時収入があったから遊んでくる、と言い残して。
放課後、私は空き教室に山下を呼び出した。
写真と同じように床に土下座させ、スマホのカメラを向ける。
カシャ、カシャ。
シャッター音だけが、埃っぽい空気を震わせる。
全然、違う。
足元で震える山下が、物欲しそうに上目遣いで私を見上げてくる。
その媚びるような視線が猛烈に気持ち悪くて、私は無言でその顔面を軽く蹴り飛ばした。
違う、こんなんじゃない。
どこかの女を連れてきて、無理やり裸にしてみる?
いや、全然面白い気がしない。
その後も山下にいくつか屈辱的な命令をして写真を撮ってみたが、私の感情は1ミリも動かなかった。
帰り道、夕日に照らされたアスファルトを歩きながら、山下のことはもう完全にどうでもよくなっていた。
あんなすぐに折れる豚は、もう用済みだ。
なんだか、胸のど真ん中にぽっかりと黒い穴が空いたような気分だった。
そんな空っぽの頭の中で、ふと気になったのは健太のことだ。
別になんとも思っていなかったはずなのに、妙に頭の奥に残っている。
もしかして私、健太のこと……。
いや、ないかな。
私は立ち止まり、今日撮った写真を惰性で確認した。
山下の無様な写真が並ぶフォルダ。
その中に、また一枚、新しい写真が紛れ込んでいた。
タップして、画面を拡大する。
「なにこれ……すごい」
私の呼吸が、ピタリと止まった。
「あー、そうか、そうなんだ」
私が本当に欲しかったのは、これだ。
「待っててね、健太」
夕闇が迫る路上で、私はスマホの画面を見つめたまま、顔を歪めて笑った。




