49.保科 勇気9
じっとりとした湿気が、肺の奥までねばりついてくる。
翔太から聞き出した二人を探して、一日中街を歩き回っていた。
しかし、徒労に終わった。
一人目の敦は、バイト先のガソリンスタンドに無断欠勤を続けていた。
店長は苛立ちを隠そうともせず、もうクビにするから知らねえよと吐き捨てた。
もう一人の海斗は、家のチャイムを鳴らした途端に終わった。
ドアの隙間から顔を出した母親は、あのバカは警察に捕まったよと冷たく怒鳴り、ピシャリと扉を閉めた。
手がかりが、指の間からこぼれ落ちていく。
途方に暮れて駅前のベンチに座り込んでいると、父から短いメッセージが入った。
『新情報がある。家に帰っておいで』
重い足を引きずって帰宅し、玄関のドアを開ける。
「ただいま」
リビングに入った瞬間、俺は足を止めた。
父と探偵の長介さんの他に、見慣れた制服姿があった。
「有紀ちゃん、なんでここに?」
俺の問いかけに、有紀ちゃんがむっとした顔で立ち上がる。
「着信拒否、まだ解除されてない気がするんですけど」
「あ、あれ、そうだったかな。どうだったかな」
目を逸らし、誤魔化すように後頭部を掻く。
「あー、忙しかったから忘れてたような」
「もういいです、今すぐここで解除してください」
有紀ちゃんが、ずいっと一歩前に出た。
「……できないよ。できればすぐに帰ってほしい。君にはもう関わる必要のないことだ」
低く、突き放すように言った。
「それなら勇気君だって、そこまでやる必要なんかないでしょ」
有紀ちゃんのまっすぐな瞳が、俺を射抜く。
「俺は、ダメなんだ」
喉の奥が、熱く焼けるように痛かった。
「ここで退くなら俺じゃない。母さんがなんで俺をこう育てたのか……俺には姉がいたとか、何も知らなかったからさ」
拳を強く握りしめる。
「それが、自殺したって……」
「そうか、聞いたのか」
父の静かな声が、リビングの空気を縫うように響いた。
「これは俺が必ず解決する。弔いでもあるし、何より許せないんだ」
「じゃあ、私も協力する。私だって無関係じゃない」
「それは、だめだ!」
俺の声が、ひび割れて大きく部屋に響いた。
「勇気、ちょっと落ち着こうか。座りなさい」
父が穏やかな、けれど逆らえないトーンで言った。
「父さん……」
いつもと変わらない微笑む父を見て、少しだけ肩の力が抜けた。
促されるままにソファに腰を下ろす。
父がグラスに麦茶を注いでくれた。
ひどく喉が渇いていたことにようやく気がつき、冷たい液体を一気に飲み干した。
「さて、呪いを解決できれば問題はないわけだし、まず情報を共有しよう」
父が空になったグラスを受け取りながら言った。
「有紀さんは、危険なことをしない範囲で協力してもらえばいいだろう」
有紀ちゃんは、ほっとしたように笑顔で頷いた。
俺は全く納得できなかったが、まずは父の話を聞くしかなかった。
「さて、まずこの写真を見てくれるかい」
父が、テーブルの中央に黒い塊を押し出した。
鼻を突く、ひどく焦げた嫌な臭い。
熱で変形し、表面がただれたようなスマホだった。
そのひび割れた液晶画面に映し出されていたのは、あの卒業アルバムで見た男の顔と同じ気がした。
「橋田……なんで」
「やはりこれが橋田か」
「父さん、これはどういうことだよ」
長介さんが口を開き、俺の知らないところで起きた出来事を語り始めた。
黒田健太と小林真希を探し当てたこと。
二人が炎に包まれて焼死したこと。
そして、この携帯はおそらく現場で拾われた小林真希のものだということ。
「それなら、リストの名前が赤くなったのは、いじめる側の人間になったってことか」
俺は背筋に冷たい汗を感じながら呟いた。
「そんな変化があったのならば、やはり特別なルールがあるんだろう」
父が顎に手を当てる。
「他には変化はないのかい」
「いや、北島玲奈の家族三人の表示が薄くなってきている気がするんだ」
俺はポケットから橋田の携帯を取り出し、アドレス帳のリストを表示させてテーブルに置いた。
「確かに薄くなっているね」
「心配して連絡しても、全然繋がらないんだ」
「あの……そのことで話があるの」
有紀ちゃんが、少し躊躇いながら口を開いた。
「玲奈さんたちは、この街から離れたの。玲奈さんのお父さんの話だと、ここから遠く離れると写真が消えるって」
「え、離れれば呪いがなくなるってこと?」
急に大きな声が出た。
有紀ちゃんがビクリと肩をすくめて驚く。
「勇気、声が大きいよ」
父がたしなめるように言い、橋田の携帯の画面を見つめた。
「でも、それならこの橋田の携帯を中心にして、呪いの有効範囲があるのかもしれないね」
「康介、なんでもいいけどよ。俺にはよくわからん」
ソファに深く座っていた長介さんが、立ち上がりながら首を鳴らした。
「野暮用もあるんだが、帰っていいか?」
「勇気、リストの他の人間は誰かいるのかい」
父に促され、俺は敦と海斗に出会えなかった経緯を手短に伝えた。
「さすがに警察に捕まったなら、携帯云々は無理だぞ」
長介さんが呆れたように息を吐く。
「どんな罪で、どんな処分かくらいは掴めないかい」
「まあ、そのくらいならなんとかなる」
長介さんはジャケットを肩にかけ、玄関の方へ歩き出した。
「じゃ、また連絡するけど……この女の子はどうする?」
「大丈夫、こっちで送るよ」
長介さんは「じゃあまたな」とだけ言い残して、重いドアを開けて出て行った。
「有効範囲外での実験が必要だね」
父の瞳の奥が、冷たい知的好奇心のような光を帯びていた。
「もしかしたら、簡単に解決するかもしれないよ」
テーブルの上には、焦げた小林の携帯と、不気味な黒い橋田の携帯が並んでいる。
呪いの輪郭が、少しずつ変わり始めていた。




