50.保科 康介2
さて、これなら解決は難しくないように思える。
距離が呪いを無効化する鍵であるなら、有効範囲から持ち出すだけでいい。
だが、勇気にはまだ話さないほうがいいだろう。
妙にこの携帯に固執している。
解決するのは勇気でなくていい。
「勇気、その橋田の携帯を少し貸してくれないかな。調べたいことがある」
私は努めて穏やかな声で、息子に手を差し出した。
「いや、これはリストの確認もあるし……なんか危ない気もするんだ。渡せない」
勇気は警戒したように、黒い端末を胸元に引き寄せた。
「危ないなら尚更、私に持たせて欲しいんだがね。少しだけでいいから預けてみなさい。上手くやれると思うよ」
「でも……」
「有紀ちゃんを送ってあげなさい」
私は壁掛け時計へ視線を向けた。
「少し暗くなってきた。親御さんを心配させるといけない」
勇気は躊躇うように、隣に座る有紀さんの方を見た。
「この携帯、一日だけならいいだろう。どうだい」
私が重ねて念を押すと、勇気はしぶしぶといった様子で黒い携帯を差し出した。
「その代わり、こっちを調べておいてくれると助かるよ。私の視点以外も、あったほうがいい」
私は代わりに、表面が熱でただれた小林真希の携帯を彼の方へ滑らせた。
勇気はその焦げた塊を慎重に拾い上げる。
そして、有紀さんを送るためにゆっくりと立ち上がった。
「明日、また来るから」
「うん、待ってるよ」
二人の背中を見送り、玄関のドアが閉まる音を確認する。
さて、急がないといけない。
私はすぐに自分のスマートフォンを取り出し、昔からの知り合いに電話をかけた。
数回の呼び出し音の後、のんびりとした声が耳に届く。
「やあ、ひさしぶりだね」
「康介か、本当に久しぶりだな。どうした?」
「まだ、釣りに沖に出ているのかい?」
「あ、ああ、なんだ、釣り始めたのか?」
「それもいいんだけどね、ちょっと沖まで船を出してくれないかい」
「構わんがいつだ」
「明日がいいんだがね」
「まあ、予定はないが、明日はあんまり釣れないと思うぞ」
「それで構わない、いいかい?」
「分かった、明日朝イチで、うちに来ればいい」
「助かるよ」
通話を切り、ふうと短く息をついた。
朝イチでなくても構わないのだが、のんびり過ごす趣味人の友人に感謝する。
遠くの沖合まで出れば、間違いなくこの街の有効範囲から外れるはずだ。
やがて妻が帰宅し、いつもと変わらない食卓を囲んだ。
食後に自室へ戻り、明日の海へ向かうための簡単な支度を始める。
重りになるものはこれで問題ないだろう、健康のために買った一キロの鉄アレイをバッグに入れる。
窓の外から、生温かい夜風が吹き込んできた。
さて、この不気味な呪いの携帯も、明日で終わりになるね。
私は一人ごちて、ふと書斎の机に目をやった。
背筋に、冷たい水滴を落とされたような悪寒が走る。
机の上の、橋田の携帯。
さっき部屋に入った時、私は確実に画面を下にして机の端に置いたはずだった。
しかし、今は違っていた。
黒い端末は、机の上のペン立てに立てかけられるようにして、斜めに自立していた。
カメラのレンズが、真っ直ぐに私の方を向いている。
カシャ。
静寂を切り裂くように、無機質な電子音が響いた。
カシャ、カシャ。
連続してシャッターが切られる音が、鼓膜を冷たく打つ。
足元から、急速に温度が奪われていく。
持ち主がいないはずの携帯が、明確な意志を持って私を捉えていた。
「まさか……そんな事が」
乾いた唇から、掠れた声が漏れる。
少し、甘く見ていたみたいだね。
済まない、勇気。




