42.保科 勇気7
耳に押し当てたスマホから、ノイズ混じりの低い声が響いた。
「うるせえ、でけえ声出すなよ」
間違いなく、翔太の声だった。
「無事か、良かった」
安堵の息を吐き出すが、それはすぐに凍りついた。
生きている。
アドレス帳から名前が消えたのに、生きているということは。
「翔太、お前呪いを移したのか」
部屋の空気が、急激に冷え込んでいくのを感じた。
「当たり前だろ」
翔太の声は、ひどくあっけらかんとしていた。
「お前、なんで」
無意識に、スマホを握る手にぐっと力がこもる。
「あのよ、普通助かるなら誰でもやるだろ。俺は別に死ぬことなんてなんとも思ってなかったから、付き合ってただけだよ」
事もなげに言い放つ言葉が、鼓膜を冷たく打つ。
「そうか、確かに誰だって死にたくないよな。だけど死にたくなくなったのは、なんでだ」
「別に何でもいいだろ」
面倒くさそうな舌打ちの音が聞こえる。
「女か、女だな」
電話の向こうで、翔太が呆れたように鼻を鳴らした。
「お前って本当に意味わかんねえな。ちげーよ、ババアを一人残せねえだろ。そんだけだ」
予想外の返答に、一瞬だけ言葉に詰まった。
「母親か? 母親をババアなんて呼んだらダメだ」
思わず、説教じみた声が出てしまう。
「そこかよ。まあいいや、つーことで俺は抜ける。じゃあな」
通話が切られそうになり、俺は慌てて声を張り上げた。
「待て、待て待て待て」
「なんだよ」
不機嫌そうな声が戻ってきた。
「お前が呪いを移した奴を教えろ」
「いいけどよ、なんでそこまでやるんだよ」
純粋な疑問が、スマホから漏れ出た。
「俺の名前は勇気だ。それ以上の理由なんかない」
自分でも馬鹿げていると思いながら、低く言い切った。
「あっはっはっ、何だよそれ!」
腹を抱えて笑う翔太の声が、静かな部屋に弾けた。
「やべえ奴は色々見てきたけど、あんたが一番だよ」
ひとしきり笑い終えたのか、少しだけ声のトーンが落ち着く。
「はあ? 意味わからん。とにかく呪いを移したやつを教えろ」
俺が急かすと、微かに服が擦れるような音がした。
「名字は知らねえ。敦はガソスタでバイトしている。海斗は今無職、家はホームセンターの近くの一戸建てだ。そして健太、〇〇高校の二年だ」
健太。
橋田の携帯のリストにあった、黒田健太と同一人物で間違いないだろう。
「そして最後に、吉田俊二」
その名前に、俺の呼吸が止まった。
「俺のオヤジだ。つっても顔も覚えてねえけどな。最後に俺のためになってもらったぜ」
言葉が出なかった。
吉田俊二が、翔太の親だと?
そして、呪いを移した。
その事実が、俺の脳に衝撃を叩き込む。
「そんなことがありえるのか……分かった、お前はもう関わるな。あとは俺がやる」
ひどく疲れた声が、自分の口からこぼれた。
「ああ、あと橋田のことも聞いといたぜ。説明するのは面倒だから録音したやつを送っとく。あんたも別に逃げてもいいんじゃねえのか。じゃあな」
一方的な別れの言葉だった。
「ああ、助かったよ」
ツーツーという無機質な音が響いていた。
スマホを耳から離し、暗くなった画面を見つめる。
本当は、自分でもよくわからない。
確かに知らない誰かに移せば助かる。
なぜ自分の仕事も、命すらも懸けてまでやっているのか。
「俺は理不尽に負けないように、勇気って名前なんだよ」
誰に聞かせるでもなく、静かな部屋でそうつぶやいた。




