8. 保科 勇気1
辺りはすっかり薄暗くなっていた。
仕事の帰り道。
大通りの喧騒から外れた、細い下り坂。
距離にしてほんの数メートルなのだが、
道の両脇から伸びた手のような木々が空を覆い隠し、
そこだけぽっかりと黒い口を開けている。
通るたびに、どうも肌寒いというか、
じっと見つめられているような得体の知れない気配を感じる道だ。
とはいえ、ここを通れば家までの近道になる。
いつも少し息を詰め、さっと通り抜けるのが日課だった。
「社会人になっても暗がりが怖いなんてな……」
自嘲気味に呟きながら、足早に坂を下ろうとした、その時だった。
カツッ。
靴の爪先に、何かがぶつかった。
石にしては嫌に平たく、硬い感触。
立ち止まって目を凝らすと、
暗がりの中に黒く四角い輪郭が見えた。
スマートフォンだった。
画面を伏せるようにして落ちている。
俺と同じように、この不気味な道を急ぎ足で抜けようとして
落としてしまったのだろうか。
狭い一方通行の道だ。夜間でも車は通る。
そのままにしておけば、確実にタイヤに轢かれて粉々になるだろう。
拾って交番にでも届けるか?
しゃがみ込み、手を伸ばす。
本体は、夜の空気以上にひんやりと冷たかった。
しかし、この辺りの交番となると、
かなり来た道を戻らなければならない。
疲れた体には酷な距離だ。
明日の出勤ついでに寄ればいいか。
落とし主は困っているだろうが、
こんな暗い道に今から探しに戻ってくるとも思えない。
道の端に避けておくのも、いいかもしれないが雨が降ったときがな。
まあ、電話がかかってくるかもしれないし。
とりあえず、今晩だけ持ち帰るか。
俺はスマホをポケットに滑り込ませた。
――途端に、電話が鳴り始めた。
お、きたきた。
だが、その音は奇妙だった。
よくある軽快なメロディではない。
『……ピ……ピピ、ピー……』
昔のゲーム機のような、ひどく古臭くて低い電子音だ。
ただの不規則なノイズのはずなのに、その音の上がり下がりが、嫌な感じだった。
得体の知れない気味悪さに急かされ、暗がりを数歩走り抜ける。
慌ててポケットからスマホを取り出した途端、
ぷつり、と着信が途切れてしまった。
表示された画面には不在着信の通知などはなく、
壁紙の画像だけが、暗闇の中でぼうっと青白く光っている。
学生服を着た、無邪気に微笑む女の子がうつっていた。
高校生くらいか?
本人なのか、アイドルとかなのか。
どちらにしろ可愛い子だ。
可愛いのだが――
画面越しのその瞳が、やけに生々しく俺を見つめ返している気がした。
そこで気がついた。
これ、ロックされていない。
触れた拍子に、ぬるりと画面が変わりホーム画面が表示された。
履歴を確かめて折り返すか?
いや、でも相手が女子高生となると厄介だ。
勝手に中を見られたと騒がれないか。
うわ、なんか面倒なことになってきたな。
急に、触れてはいけないものを拾ってしまったような後悔が押し寄せる。
ここに置いていくか? いや、今更だ。
それに、こんな可愛い子が困ってるわけだしな。
俺は無理やり自分を納得させ、結論を出した。
これ以上は触らない。電話が鳴っても出ない。
朝、たった今拾ったような顔をして
交番に届ければいい。




