26.田中 有紀4
通話を終えて、スマホをベッドに放り投げた。
私はべっとりと汗ばんだ手のひらをジーンズに擦り付けた。
冷静な大人を気取って対応したつもりだった。
でも、やはり怖いものは怖い。
体の芯から込み上げてくるような震えが止まらない。
ああ、そういえば彼女の名前を聞き忘れてしまった。
着信履歴に番号は残っているから、いつでもかけ直せるはずだけど。
それにしても彼女はまだ危機感が薄かった。
心配だ、でも。
暗い部屋の中で、私は深いため息を吐き出した。
できることをやってみるから、か。
あんな風に希望を持たせるようなことを言ったものの、今の私にできることなんて何一つない。
呪いの連鎖を止めるには、やっぱり勇気君と連絡をとるしかないのだ。
しかし、私のスマホから彼への連絡は、無視されているのか着信拒否の設定にされているのか、一向に繋がらない状態が続いている。
前に考えていた、あの方法をやるべきだろうか。
私は大きく息を吸い込み、冷たいフローリングを踏みしめて、母のいるリビングへと向かった。
テレビの音が小さく流れる部屋で、母はソファに座って洗濯物を畳んでいた。
「お母さん」
私の声に、母が手を止めて振り返る。
「勇気君の連絡先か、勇気君のお母さんの連絡先って知らない?」
「有紀……あなた、何を考えているの」
母の声は、かつてないほどの鋭い厳しさを孕んでいた。
当たり前だ。
あの血の気が引くような日々を考えれば。
再びあの呪いに関わろうとするなんて、正気の沙汰ではない。
私は、先ほどの見知らぬ少女との電話のやり取りを、隠すことなくすべて母に説明した。
彼女の親友が、死んだこと。
呪いが今も誰かの命を食い荒らしていること。
「そんなことがあったの……」
母は膝の上のタオルを強く握りしめ、暗い目を伏せた。
「でも、冷たい言い方になるけれど、関わらない方がいい」
「私には、あなたより大切なものなんてないのよ」
「お母さん……ごめん」
「いいの。あなたのその優しさと勇気は素晴らしいと思うわ」
母が顔を上げ、すがるような目で私を見た。
「でも、お父さんのことも思い出して。またあんなことに巻き込まれたら、今度こそ大変なことになる」
「うん、そうだね」
私は俯いた。
母がこれほど拒絶するなら、これ以上問い詰めるわけにはいかない。
ましてや父には、あの恐ろしい記憶を呼び覚ますことなどできるわけがなかった。
やっぱり、直接〇〇町に行くしかないか。
なんであの時、奏さんの連絡先をちゃんと聞いておかなかったんだろう。
後悔が胸の奥で渦巻く。
「お母さん、明日からの夏期講習は休むから、学校に連絡をお願い」
「有紀……」
「お母さんの言いたいことはわかるよ。でもね」
私は顔を上げ、母の目をまっすぐに見つめ返した。
「その子だけじゃないの。勇気君は、まだ一人でがんばってるんだよ」
一人で、あのどす黒い呪いの泥沼に足を踏み入れたまま。
「黙ってやられるよりは、いいと思うことにするわ」
長い沈黙の後、母が諦めたような、重い息を吐いた。
「でも、何をするかだけは全て私にちゃんと説明して。危険なことは、絶対に許可できないからね」
「わかった。〇〇町の西本奏さんって人なら、勇気君の今の電話番号を知っているはずなの。だから、明日はそこへ行ってみるつもり」
「それなら……ちょっと待ちなさい」
母は立ち上がり、リビングの隅にある棚の引き出しを開けて、何かをごそごそと探し始めた。
「確か、この辺に入れたはずなんだけど……」
古い領収書やハガキの束をかき分け、母が一枚の小さなメモ紙を拾い上げた。
「あったわ」
それは、あの時勇気君のお母さんが書いたメモだった。
「お母さん……それ」
「こういうの、なんでか捨てられずに取っておいてしまうのよね。だから片付かないのよ」
母は自嘲気味に笑いながら、メモを私に差し出した。
「ありがとう」
受け取ったメモには、乱れたボールペンの字で三人の名前と電話番号が並んでいた。
駒田、吉田、西本。
私は迷わず『西本』の横の電話番号にかけた。




