18.石川 碧2
何を考えているの、私は……。
薄暗い和室の天井を、ただぼんやりと見上げていた。
足の裏には、ヒリヒリとした鈍い痛みが残っている。
外に飛び出したせいで泥だらけになった私の足を、母は何も聞かずに冷たく濡れたタオルで丁寧に拭き取ってくれた。
「今日はもう、ゆっくり休みなさい」
母の心配そうな声が、今も耳の奥にこびりついている。
まだ夜の九時を回ったばかりだというのに、私は重たい掛け布団の下に身を潜めていた。
なんてことを、してしまったのだろう。
胸の奥がギリギリと締め付けられて、うまく息が吸えない。
そんなつもりじゃなかった。
本当に、そんなつもりはなかったのだ。
ただ、怖かっただけ。
死ぬのが怖くて、頭が真っ白になって、どうにかして助かりたくて。
あの不気味な着信音を、おじいちゃんたちに聞かせた。
私を心配して集まってくれた家族に、あの呪いを押し付けたのだ。
みんなのスマホに、一枚ずつあの写真が入っているのだろうか。
もし誰かが、また写真を撮ってしまったら。
そうだ、絶対に写真を撮らないように言わないと。
でも、なんて説明すればいい?
私が呪いを移したから、なんて言えるわけがない。
自分の命を助けるために家族を犠牲にしたなんて、そんなひどいこと、口が裂けても言えない。
玲奈……。
枕元のスマホを握りしめ、親友の顔を思い浮かべる。
今すぐ連絡して、泣きつきたかった。
でも、できない。
自分の家族に呪いをなすりつけたなんて知られたら、玲奈は私のことをどう思うだろう。
軽蔑されるに決まっている。
見損なったと、冷たい目で突き放されるかもしれない。
それが怖くて、通話ボタンを押す指が震えて動かない。
なんで、こんなことになっているんだろう。
私はただ、普通に夏休みを過ごしたかっただけなのに。
あの人だ。
保科とかいう。
あの人が、早く呪いをどうにかしてくれないのかな。
呪いを解く方法を見つけてくれたら、こんなこと全部なかったことにできるのに。
どうしよう。
本当に、どうすればいいの。
夜中にみんなの携帯をこっそり持ち出して、外を歩いている知らない誰かに音を聞かせる?
そうすれば、家族は助かる。
いや、そんなことしていいわけがない。
見ず知らずの人に呪いを押し付けるなんて、犯罪みたいなものじゃないか。
でも、このままじゃおじいちゃんたちが死んでしまうかもしれない。
いや、六枚に増えなければいいんだ。
おじいちゃんとおばあちゃんは、スマホの使い方もよくわかっていないんだから、そう簡単に何枚も写真を撮るはずがない。
お父さんとお母さんだって、旅行中ならともかく、ここでそんなにパシャパシャ写真を撮ったりしないはず。
だから、大丈夫。
きっと、大丈夫なはずだ。
そう自分に言い聞かせても、心臓の嫌な動悸は一向に収まらない。
窓の外から聞こえる無数のカエルの合唱が、私を責め立てているように聞こえて、私は両手で強く耳を塞いだ。
八月十五日。
部屋の隅で首振り扇風機が、ぬるい風を一定のリズムで送り出してくる。
昨夜から何も食べる気がしない。
手元のスマホが短く震え、画面に玲奈からのメッセージが表示された。
お盆明けのサッカー部の練習のこと。
他愛のない内容が、まるで遠い異国の出来事のように感じられた。
とても返信する気力は湧かない。
画面を見つめながら、私は薄暗い考えを巡らせていた。
いっそ、家族のスマホからあの呪いを、私に全部戻せないだろうか。
そうすれば、このひどい罪悪感から解放される。
でも。
また五枚になる?
あと一枚で死ぬ状態に、自分から戻る?
それは、いや。
絶対にいやだ。
やっぱり、どうすればいいのかわからない。
せめて、写真を撮らないように注意しないといけないのに。
わかっているのに、重い鉛を飲み込んだように体が動かず、布団から出られなかった。
階下の居間では、朝食を済ませた家族がのんびりとくつろいでいた。
「碧は、どんな感じだ?」
新聞から顔を上げた父が、台所を片付けている母に声をかける。
「食欲ないって。大丈夫かしら」
「昨日からちょっとおかしかったな。少し落ち着いたら話してみるか」
「そうしてちょうだい」
「若いんだから、ゆっくりさせておけばいい」
縁側で庭を眺めていた祖父が、静かに口を挟む。
なんとも言えない重い空気が、居間を漂っていた。
「昨日の夜、写真を撮ってからだったね」
テーブルの上に置かれた真新しいスマホを見つめながら、祖母がポツリとこぼした。
「何か、私が嫌なことでもしたのかねえ」
「お義母さん、気にしないでください」
母がエプロンで手を拭きながら、祖母の隣に座る。
「多分、お化粧してないから撮られたくなかったとか、そんな理由かもしれませんよ」
「そうかい。……ところで、撮った写真を見るのはどうするんだったかね」
祖母が、分厚い手帳型のケースを開いて不慣れな手つきで画面を突いた。
「あ、ここです」
母が横から指を伸ばす。
「あ、そこじゃなくて」
カシャシャシャシャシャシャシャ。
不意に、無機質なシャッター音が小刻みに連続して響き渡った。
「どうやりました? 連写になりましたね」
母が苦笑いしながら画面を覗き込む。
「写真はここです。あ、お義母さんの手でほとんど写ってないですね」
「すごいねえ。今の一瞬で、こんなに枚数を撮ったのかい」
祖母は目を丸くして、スマホの画面と母の顔を交互に見た。
祖母はすっかり気を良くしたのか、楽しそうにスマホを弄り始めた。
カシャシャシャシャシャシャ。
再び、暴力的なまでの連写音が居間に響く。
「ほら、これを見てごらん。あの人の変な顔が、こんなにたくさん」
「本当ですね」
祖母と母が、画面を見つめてクスクスと笑い合う。
「なんだ、まったく」
祖父がムスッとした顔で立ち上がった。
「親父、少し親戚のとこにでも顔を出そうか」
見かねた父が、祖父を外へ連れ出す。
「私たちも、後から何か持っていくからね」
母が玄関に向かって声をかけた。
カシャシャシャシャシャシャシャ。
開け放たれた窓から入り込むセミの鳴き声を切り裂くように、またしても軽快な電子音が鳴った。
一瞬で何枚もの瞬間を切り取るその無邪気な音が、のどかな夏の午前中の空気に溶け込んでいく。
二階の薄暗い部屋で丸まっていた私の耳にも、その楽しそうな連写音は、微かに、けれどはっきりと届いていた。
冷や汗が全身から噴き出し、心臓が嫌な音を立てて早鐘を打つ。
何枚撮ったの。
ねえ、今、何枚撮ったの。
まだ、シャッター音は聞こえていた。




