13.駒田 紬1
冷めきったコーヒーの水面を見つめたまま、私はゆっくりと口を開いた。
「じゃあ、続けるわね。えーと、まず川路は、橋田が転校してくるまで吉田君をいじめてたの。と言っても、今思えば小突くくらいのものね。もちろん悪いことよ、私もよく注意したし」
『あの、なんで吉田だけ君なんですか? もしかして……』
テーブルに置かれた黒い携帯から、保科君の抑揚のない声が響く。
「あー、違うのよ。川路とはよく会うし、あんな性格だから呼び捨てで慣れちゃって。橋田は、君なんてつける価値がないから。ほかの人は君付けってことよ」
『わかりました、変なこと聞いちゃいました』
当時の教室のいびつな空気が、この薄暗い喫茶店にじわじわと染み出してくるようだった。
「それで川路が橋田をいじめ始めて、吉田君も一緒にいじめていた。あとは、花音さんもね」
『吉田と花音もいじめてたんですね』
「花音さんは、いじめというよりは川路が彼女を好きだったからね。それを利用してって感じで、クラスで偉そうに振る舞ってたわ」
胸の奥に、黒くて重い泥のようなものが溜まっていくのを感じる。
「それから私と西本君が何度か注意したんだけど川路は聞かなくて、そして夏休み……」
私はたまらず言葉を切った。
カチ、カチと、壁掛け時計の無機質な秒針の音だけがやけに大きく響く。
『どうかしました?』
「今から話すことは、保科君と穂香ちゃんの中にしまってくれる?」
『わかりました』
目の前に座る穂香ちゃんも、不安げな顔で小さく頷いた。
「私、何回か万引きをしたことがあるの。成績だけが、家での私の価値だった。その頃はそうとしか思えなくてね、言い訳なんだけどさ」
自分の口から出る言葉が、ひどく醜く、ひび割れて聞こえた。
『まあ、そのくらいっていったら良くないんでしょうけど。気にすることじゃないっすよ、時効、時効』
保科君の軽い相槌が、逆に私の罪悪感を深く抉ってくる。
「私にとってはそんな簡単なものではないんだけど、それを橋田に見られたの。そして橋田に言われたわ。そんな汚いことをする人間が、自分に関わらないでくれって」
『へえ』
「それから私は、ずっと見て見ぬふりをするしかなくなった。もしバラされたら、私は終わるって」
テーブルの下で、自分の両手をきつく握りしめる。
あの時の橋田の、軽蔑しきった冷たい目が今でもはっきりと網膜に焼き付いている。
『子どもの時なら、そうなるかもしれないですね。大丈夫ですか? 無理しなくてもいいですよ』
「大丈夫。それから西本君は何度か注意したみたいだけど、一年の終わりまでいじめは続いたの。内容もエスカレートしていて、殴る蹴るは日常的に行われていたわ」
『それは……やりすぎですね』
「そうね、でももう止められなかった。そして一年ももうすぐ終わりって時に、あれが起きた」
『あれ?』
「いつものように、クラスの後ろで何かやってた。もうクラスメイトは、誰もそっちを見ないようにしていたの。そしたら、川路の悲鳴が聞こえた」
薄暗い店内の空気が、ふっと冷たくなった気がした。
背筋にぞわりと嫌な汗が伝う。
「みんなそっちを見たら、川路が橋田に襲いかかるところだった。でも橋田は川路を何度も殴って、川路は負けを認めたようにうずくまった。そして、橋田はみんなに向けて言ったの」
脳裏に蘇る言葉を、口にするのが躊躇われる。
視界に入る穂香ちゃんの表情も硬い。
「俺は仕返しを始めるって」
あの日、教室の空気が完全に異質なものに変わった瞬間の不気味な静寂が、鼓膜の奥にまざまざと蘇ってきた。




