39.保科 勇気15
なんとか見つけた民宿は、意外にも立派な造りだった。
いやー、こんな寂れきった村に、わざわざ泊まりに来るやつとかいるのか?
そんな失礼な疑問を抱きつつも、野宿を回避できたことに心底安堵した。
しかも、出された飯は案外うまい。最高じゃないか。
極めつけは、露天風呂までありやがる。
黒々とそびえ立つ不気味な山々を眺めながら熱い湯に浸かっていると、何かしらの名案が浮かんでくるような気がした。
だが、部屋に帰ると、ぽつんと一つだけ敷かれた布団を見て少しだけ寂しさがこみ上げてきた。
こういう温泉宿ってのは、布団を二つ並べて、女の子とキャッキャ言いながら過ごすものだと思っていたのに。
……まあ、仕方ない。
あの奏ちゃんって、独身かなー。暗いけど、顔はめちゃくちゃ好みだったんだよな。
自分が呪いで死にかけているというのに、俺はそんな馬鹿なことを考えながら浴衣姿でロビーへと向かった。
フロントで働いている従業員たちを捕まえて、スマホの画面を見せて回る。
「すみません、この写真の人、知りませんか?」
にこやかに笑う、西本君の顔。
これを使って、村の人間から情報を集めまくる作戦だ。
だが、さすがに中学生の時の写真だ。見せても「知らないねえ」と首を振られるばかりで、空振りが続いた。
しかし、通りかかった年配の仲居のおばさんが、画面を覗き込んで言った。
「最近の若い子たちは、知らんのよね」
「この写真、二十五年くらい前なんですが」
「そうなの?それなら、今四十歳くらいかね。……そしたら、川路さんがちょうどそのくらいの年だったはずだよ」
「川路さん?」
「ここの『川路旅館』の二代目だよ。多分、この時間ならすぐ近くのスナックで飲んでるはずさ」
ビンゴだ。
俺は仲居さんにお礼を言い、夜の冷たい空気が漂う村の通りへと出た。
教えてもらった『スナックみはる』は、薄暗い路地裏にひっそりとネオンを灯していた。
カランカラン、と古びたベルの音をさせて重い扉を開ける。
「いらっしゃーい」
薄暗い店内から、年嵩の女性の気怠げな声が響いた。
カウンターには、二人の男性客が座っている。
四十歳くらいなら、あの人か。
俺は、奥に座っている体格のいい男に目星をつけた。
「ここ、いいですか?」
俺はわざとらしく、その男のすぐ隣の丸椅子に腰を下ろした。
「お兄さん、初めてだよねえ?」
カウンターの中から、店のおばさんが不思議そうに聞いてくる。
「ええ、そこの川路旅館に泊まってるんです」
「あら、奇遇ね。隣に座ってるのが、その旅館の社長よ」
おばさんが笑いながら、隣のガタイのいい男を指差した。
よし、完璧な流れだ。
「え、社長さんなんですか!」
「……ああ、二代目だがな」
川路と呼ばれた男は、面倒くさそうにグラスを傾けた。
俺はどう話を組み立てるか一瞬考えたが、面倒くさい探り合いは性に合わない。
まあいいやと、直球でスマホの画面を突きつけた。
「社長さん、この人知りませんか?」
薄暗いスナックの照明の下に、西本君の不気味な笑顔が浮かび上がる。
「……ん?」
川路はしばらく画面をじっと見つめていたが、やがて低く唸った。
「……西本、か?」
「当たりです」
「懐かしいな……」
川路の顔に、微かな戸惑いが走った。
「お知り合いですか?」
「あ、ああ……昔、同じクラスだった」
「どんな人だったんですか?」
俺が食い気味に尋ねると、川路はグラスを置き、鋭い視線で俺を睨みつけてきた。
「お前、なんでそんなこと調べてる?」
「俺、西本の遠縁なんですよ」
俺はとっさに嘘をついた。
「こんなとこに親戚がいるなんて知らなくて。で、たまたま遊びに来たんですけど、なんかちょっと変な噂を聞いちゃって。まあ、気になるというか」
「……遠縁、ねー」
カウンターの奥から、店のおばさんが胡乱な視線を向けてくるのがわかった。このままでは怪しまれる。
「あ、僕も何か飲もうかな! おばさん、このお酒なんてどうだい?」
俺はメニューも見ずに、棚に並んでいた高そうなボトルを指差した。
「じゃあ、それを」
「おいおい、それかなり高いぞ」
川路が呆れたように言った。
「じゃあ、社長さんも一緒に飲んでくださいよ。奢りますから」
「……馴れ馴れしいやつだな」
川路は鼻で笑ったが、悪い気はしなかったらしい。
そこからしばらく、俺たちはどうでもいい馬鹿話を続けて場を温めた。
「お前、面白いな」
高い酒が回ってきたのか、川路の口が次第に滑らかになっていく。
「何だっけ、西本の話を聞きたいんだったな」
「ええ。教えてくれるんですか?」
「俺は、見ての通りこのガタイだろ。中学ん時は、結構な『いじめっ子』でよ。いろいろやってたんだわ」
川路は自嘲気味に笑った。
「でも、西本は……なんか強いやつでよ」
「ケンカですか?」
「いや、そんなんじゃねえな。ケンカは弱かったよ。ただ……なんか、芯があるっていうかな」
川路は手元のグラスを見つめ、過去の記憶を探るように目を細めた。
「物静かな奴だったが、絶対に折れない何かがあった。俺みたいな不良でも、ちょっとからかいにくい奴だったんだ。……あの時だって」
「あの時、って?」
俺が鋭く踏み込むと、川路の肩がビクッと跳ねた。
酔いが一瞬で醒めたような、明らかな『恐怖』の色がその顔に浮かんだ。
「……いや。そんだけだ」
川路は慌ててグラスの残りを飲み干し、バンッと音を立ててカウンターに置いた。
「えー、もう少し聞きたいな」
「もう帰る。明日もはえーからな」
逃げるように立ち上がった川路の背中には、決して触れてはいけない過去の亡霊から目を逸らそうとする、異様な焦りが滲んでいた。




