38.田中 悠聖6
今、私は美奈の実家の前に立っている。
インターホンに手を伸ばすものの、さすがに足がすくんで踏み出せない。
こんな弱さは、とうに捨て去ったはずなのに。
しかし、彼らに告げるべき言葉はすでに決まっている。
親父と母さんは、呪いの話など全く信じてはいなかった。
それでも、「もしそれが本当なら、老い先短い人生、孫のためなら惜しくない」と笑って了承してくれたのだ。
行くしかないんだ。
有紀を救うためなら、俺はこれからもっと、人として許されないひどいことをしなくてはならないのだから。
意を決してインターホンを押す。
あらかじめ訪問を伝えていたため、義理の両親にはとても温かく迎え入れられた。
だが、その思いやりに満ちた笑顔が、今の私にはひどく辛かった。
出されたお茶をすすりながら、有紀の近況などをぽつりぽつりと話す。
今は恐ろしさのあまり学校にも行けていないのだと伝えた後、私は静かに本題を切り出した。
呪いのシステム。身代わりにならなければ、有紀が死ぬという理不尽な真実。
突然の常軌を逸した話に、二人はあまりピンときていないようだった。
「……悠聖君。君がひどく思い詰めているのはわかった」
義父は、探るような目で私を見つめた。
「だが、もしその常識外れな話が本当ならば、私たちは君の提案を尊重してもいい。……しかし君は結婚の時、美奈を絶対に幸せにすると私に約束したはずだろう!」
義父の怒気を含んだ声が、応接室に響いた。
身代わりになるということは、娘である美奈も死ぬということ。
娘を守りたいという義父の激しい怒りは、私が有紀を想うのと同じ、痛切な親の愛なのだ。
「お義父さん。もちろん、わかっています」
私は、一切の感情を排した声で答えた。
「美奈は死なせません。有紀を、一人ぼっちにしてしまうわけにはいかない」
「……しかし、それでは数が合わない。有紀ちゃんの写真を消すには、身代わりが一人足りないのではないか?」
「世の中には、金に困っている人はいくらでもいます」
私のその言葉に、義父が息を呑んだ。
「まさか、君……」
「人様に迷惑をかけないようにと、私はこれまで娘に教えてきました」
自分でも驚くほど、私の心は冷たく、凪いでいた。
「ですが、もし地獄があるなら、そこで永遠に苦しんでもいい。私は、私の大切なものを守るためなら何でもします。どんな罰でも受ける覚悟です」
重く、息苦しい沈黙が落ちた。
「……そうか。君の覚悟は、よくわかった」
やがて、義父は深くため息をつき、静かに頷いた。
「私も、娘と孫のためなら迷いはないよ」
義父が隣を見ると、義母は真っ青な顔をして、オロオロとどうしていいのか分からない様子で震えていた。
「……無理ならば、はっきりと教えてください、お義母さん」
私は立ち上がり、静かに告げた。
「断るのが当たり前のことです。その時は……私がなんとかしますので」
深く頭を下げ、私は逃げるように美奈の実家を後にした。
夕闇が迫る住宅街を歩きながら、私は冷たく計算を始めていた。
義母が逃げた時のこと、そして不測の事態を考えれば。
あと二人くらい、身代わりを『確保』しておくほうがいいかもしれない。




