30.、田中 有紀8
玄関のドアが開く音がして、私は慌てて一階へと駆け下りた。
お父さんが帰ってきたのだ。
「どうだった!?」
すがりつくように尋ねる私に、お父さんはひどく疲れた顔で靴を脱いだ。
「……ん、ああ。あの不気味な音を作ったのは、たしかに橘さんだったよ。だが……それ以上のことは、何も知らなかった」
「そう……。じゃあ、あの梨花の携帯は?」
「ちょっと、精神的に不安定な人でな。話の途中で急に叫び始めてしまって、携帯を見せてもらうどころではなくなってしまったんだ」
「じゃあ、結局……何もわからなかったんだね」
最後の希望が絶たれたような思いで、私はへたり込みそうになった。
そんな私の肩を、お父さんの両手が力強く、痛いほどに掴んだ。
「大丈夫だ。お前は何も心配しなくていい。父さんが、必ずなんとかするから」
その声はひどく低く、妙な凄みを帯びていた。
「うん……。あ、そういえば、さっきネットでちょっと怪しい記事を見つけたんだけど」
私は震える手で自分のスマホを開き、さっき見つけたオカルトサイトの画面をお父さんに見せた。
過去の焼身自殺と、『指名』といういじめのルール。それが呪いとなって続いているという噂。
画面を見つめるお父さんの目が、一瞬だけ鋭く細められたように見えた。
「……うーん。いかにもアクセス稼ぎの、チープな記事だね。でも、発端となった事件そのものは、事実に近いのかもしれないな」
お父さんはすぐにいつもの穏やかな表情に戻り、私の頭をポンと撫でた。
「保科勇気君が、明日その〇〇町に向かうそうだ。当時の同級生に会って話を聞くらしいから、そしたらもっとちゃんとした情報がわかるはずだよ」
「そうなんだ……わかった」
保科勇気が、あの街へ。
少しだけ安堵した私は、その日は泥のように眠りについた。
ふと、目が覚めた。
枕元の時計を見ると、夜中の一時を回ったところだった。
喉がカラカラに乾いている。水でも飲もうとベッドから起き上がり、暗い廊下を出て階段を下りた。
一階に降りると、真っ暗なはずのリビングのドアの隙間から、薄く明かりが漏れていた。
こんな時間まで、お父さんたちが起きているなんて。
『……そんなことって……!』
不意に、お母さんのひどく甲高い、悲鳴のような声が聞こえた。
『大丈夫だ。……大丈夫だから。俺がちゃんと……』
お父さんの、低く宥めるような声が続く。
何か、深刻なケンカをしているみたいだった。
私は階段の途中で足を止め、息を潜めた。
こんな時に、夫婦喧嘩なんて。
私の呪いのせいで、お父さんとお母さんが揉めているのは明らかだった。
これ以上、あの切羽詰まった声を聞きたくなかった。
私は足音を忍ばせて、逃げるように二階の自室へと引き返した。
布団を頭から被り、ぎゅっと目を閉じる。
私のせいで、お父さんたちが離婚とかしちゃったら嫌だな。




