26.保科 勇気8
辿り着いた橘の家は、気味が悪いほどひっそりとしていた。
俺は躊躇なくインターホンを押す。
『……はい』
スピーカー越しに、ひどく無機質で生気のない声が響いた。
「はじめまして。保科勇気といいます。あんたの家に、携帯届きましたか?」
『……ああ、携帯の。……ええ、届きました。ありがとうございました』
「線香も、あげさせてもらえませんか」
『…………どうぞ』
ガチャリと玄関のドアが開いた。
そこに立っていたのは、酷く憔悴しきった様子の女性だった。
目の下には真っ黒な隈が落ち、幽鬼のように虚ろな目をしている。
「……そちらは?」
女性――橘風花が、俺の後ろに立つ二人の大人を見て警戒するように言った。
「申し遅れました。田中有紀の父です。生前は、娘が大変お世話になったと聞きまして、私もお線香をあげたく……」
「息子の付き添いです」
田中のおっさんと、うちの母さんがそれぞれ短く答える。
風花は冷たい目で三人を見回し、ボソリと呟いた。
「……早めに済ませてください」
家に上がり、重苦しい空気の中で仏壇に線香をあげ、手を合わせる。
遺影の中で笑っている女子高生を見た後、俺は振り返って単刀直入に切り出した。
「風花さんって言うんですよね」
「……はい。それが何か」
「あの変な音、作ったのあんたなの?」
ピタリ、と。
風花の動きが止まった。次の瞬間、彼女の顔が夜叉のように歪む。
「何を……何を……お前たちが、何を知っているというんだあああッ!!」
鼓膜が破れそうなほどの絶叫。俺は思わず耳を塞いだ。
「おー、急に怒鳴るなよ。いやさ、俺も田中有紀さんも、呪われちゃって大変なの。どうしたらいいのか教えてよ」
「……あー、そうだったの」
風花の怒声が、ふいに止んだ。
代わりに、壊れたような、薄気味の悪い笑い声が漏れ出し始めた。
「有紀ちゃんも、一緒に聞いたのね……くふふ、可哀想に」
「すみません」
田中のおっさんが、青ざめた顔で前に出た。
「私は、風花さんの妹さんとクラスメイトだった、田中悠聖といいます。一体、何がどうなっているのですか?」
「呪いとやらは、解けないのですか?」
母さんも震える声で問い詰める。
風花は、虚ろな目で宙を見つめながら、ポツリとこぼした。
「解けるわよ」
その言葉に、部屋の空気が完全に凍りついた。全員が息を呑んで動きを止める。
「マジ? 教えてくれよ」
「……嫌よ。なんで教えないといけないの」
風花の目に、再びどす黒い憎悪が宿った。
「私は、すべて失くしたのよ……。まさか、梨花まで死ぬなんて……。お前らも、みんな不幸になれ! わかったか、帰れ!!」
「何だよ、ブチギレてんなあ」
俺は頭を掻きながら、ため息をついた。
「でもさ、有紀ちゃんが死んだら、その梨花ちゃんだっけ? 悲しむだろ。有紀ちゃんは、本当に娘さんのこと大切に思ってたみたいだぞ」
その言葉が、風花の胸のどこかに刺さったのか。
彼女はギロリと俺を睨みつけ、這いずるような声で言った。
「……お前、本当に嫌なやつだね。呪いの写真、今何枚目?」
「三枚だよ。有紀ちゃんは六枚って言ってたかな」
「……そう、そうなの。わかった。教えてあげるわ。そのほうが……」
急に痩せこけた顔が、口角をあげて歪んだ。
「え、本当かよ。やった」
「スマホの、着信音の設定を開いてみなさい」
言われるがままに、俺は自分のスマホを操作し、音声設定の項目を開いた。
「ん? なんだこれ。『指名』?」
見慣れない項目が追加されている。
「……その音を、誰かに聞かせなさい。聞かせた人数だけ、呪いの写真が減るわ。私はそうだった。なぜそうなるのかは、私にもわからないけれどね」
「聞かされた人は、どうなるんだ」
田中のおっさんが、鋭い声で問い詰めた。
風花は力なくへたり込み、両手で自分の顔を覆った。
「私も……呪われたわ。そして、知らずに音を鳴らしたの。……写真はなくなったわ。でも……しばらくして父と母が不審死した。そして、梨花まで……」
指の隙間から、ドロドロとした嗚咽が漏れ出す。
「ああ……あーーーーーッ!!」
風花は床に突っ伏し、髪を掻きむしりながら完全に錯乱してしまった。
狂ったような叫び声が響き渡る家を後にし、俺たち三人は逃げるように玄関に向かった。
外に出ると空は、背筋が寒くなるほど、現実感のない青さに澄み切っていた。




